2007年05月02日

殉死

何とも痛ましいことである。

発砲立てこもりの男に撃たれて、殉死した、23歳の林一歩巡査部長である。
その若さ。絶句する。
そして、その親、妻、一歳になる子供の悲しみは、いかばかりか・・・

私は怒る。

警官が発砲して犯人を射殺すると、必ず人権団体とか、アホどもが、非難するのである。
警察も、世論を恐れて、後手後手の対応をする。

今回の事件は、犯人射殺でよい。
無鉄砲に発砲し、住民も動くことが出来なかったのである。
とんでもないことだ。

今までの世論に影響されることなく、どんどんと警察官は、発砲して、射殺しなければ、必ず被害者が出る。それも、死ぬのである。

善魔の宗教家ではない。
優秀な警察官が死ぬより、狂った犯罪者が死んだ方が、世の中のためになる。

警察庁幹部は、不運が重なったと言うが、違う。
人命に捕らわれていたのである。犯人を射殺すれば、簡単であったが、人命という正義に立ち向かう哲学を持たないゆえである。

人命という正義を、考え直す時期である。
これから、まだまだ銃による、事件が起こる。今までとは、違う。
犯人を射殺せよという命令を発してよい。

立てこもった男が、最後は、抵抗なく出てきたという。この男の命が助かり、警察官が死ぬなどという不運は、御免こうむりたい。

こんな悲しい思いを、もう私は経験したくないのである。

この男が、どうやって償おうが、亡くなった警察官は、帰らないのである。

時代が時代ならば、この男の刑は、市中引き回しの上、磔、火あぶりの刑である。
ただし、哀れを持って言うならば、この男は、精神疾患である。
その妻は、暴力ゆえに、シェルターと呼ばれる避難所に暮らしていた。
元、暴力団という。暴力には、勝てない。勝つためには、暴力の原因である精神疾患の治療が必要である。

精神疾患は、治療が必要である。
人権団体が言うならば、それを言うべきである。そして、暴力団の者に接見して、治療を受けるべく、説得することである。しかし、彼らは、そんな危険なことはしない。ただ、遠くから声を上げるだけである。
人命尊重と。
善魔といったが、多くの宗教家が、そうであるように、彼らもそうである。

ペルーで日本大使館がテロリストに占領された時、最後にフジモリ大統領は、犯人を全員射殺した。
もし、生かしていたら、必ず犠牲者が出たのである。
誰の命も、一律に同じく尊いという甘い考えは持たない方がよい。

勿論、テロリストにならざるを得なかったという、その人の人生の岐路を考えることは、実に必要なことであるが・・・
犯人を理解するための、哲学的思索は、実に必要であることを、付け加えておく。



posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。