2007年03月14日

インド人の富豪

インド人の富豪が急増しているという。
資産10億ドル、約1171億円の富豪を、米経済誌フォーブスが発表した。
インドは、前年の24人から、36人に増えたという。
ちなみに日本は前年より、3人少ない24人である。
インドの首位は、資産320億ドル、約3兆7490億円である。

日本よりも富豪がいる。複雑な心境になった。
それは、インドにボランティアをする日本人がいるからだ。
貧しい人のため、子供たちのために、支援をする。また、医療のボランティアもである。
もしインドに、仏教の施しの精神があればと思う。

インドの富豪が、一億円を出せば、36億円になる。
それでも、膨大な福祉が行える。
インドには偉大な聖者が現れる。
非暴力のガンジー、福祉のマザーテレサ。
ガンジーは、政治の神様であろう。そして、マザーテレサは、貧しい人、捨て置かれた人の神様である。
しかし、マザーテレサも、インド人の心を作ることが出来なかった。

仏教が広く行き渡っていた時代は、布施の行為は、広く大々的に行われていた。
多くの王は、競って布施の行為を行った。
仏陀滅後、千年を経て、次第に仏教が衰退すると、次第にバラモンの教えからヒンドゥーに引き継がれて、仏陀も、ヒンドゥーの神の一人として奉られる羽目に陥る。
魔界の息が吹き返してくる。

三蔵法師玄奘がインド、天竺に向かった700年代も、すでに衰退の様子が伺われている。そして、仏陀滅後、二千年、1500年代になると、イスラムが台頭してくる。
仏教国は、イスラムに根絶やしにされる。シルクロードの国々がそうである。

インド魔界の神々は、四方八方に散るようになり、日本にも多くの神々が渡来した。
帝釈天、毘沙門天、等々、仏教の神として認識されたが、全く関係ないのである。
インドの天上界は、魔界の霊界であり、霊界という世界も異にする。
それをそのまま、仏教の天上界として信じる者もいるから、驚く。
仏教には、天国思想は無い。
浄土という思想は、後に出来たものである。
霊界には、浄土、涅槃という霊界は無い。
世界一の資産家、ビル・ゲイツは、約6兆5620億円を有する。彼は、それを福祉活動に充てるべく行動を開始した。
資産を使い果たせないし、いくらお金があっても、空しいであろう。
彼の心の中には、キリストの言葉が、響いているはずである。
金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと。
やはり死後の世界が、彼をして行動させるのである。

日本の金持ちは、どうか。
全く、金の使い方が解らない。
生まれもって資産のある者に、ロクな者がいない。
金持ちがアホだから救われないときている。また、今では、金さえあれば偉いと思われる時代であるから、また救われない。
貧乏人の僻みと思うなかれ。生まれつきの金持ちは、結局、人生の秘密を知らぬままに、この世を去る。
因果というものは、恐ろしい。
金があるということで、大きな負を与えられていることを知らない。

実は、私の霊学の奥義である。
この世は地獄である。あの世に、地獄などない。たとえ、あったとしても、この世の地獄には適わない。
針の山、血の池など、物の数ではない、この世の地獄に比べればである。
一番の地獄は、地獄にいるという意識が無いことである。
家宅の火、燃えている。無常は迅速である。
絶対孤独の存在が、虚無の孤独であるから、ああ無情である。

気性の激しいイエスが言う。金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと。つまり、金持ちは、天国に入ることが出来ないという。その意味は、何か。
正しく説明出来る者は、いない。
実は、イエスの言葉に大きな矛盾がある。
貧しき者は幸いなりと言う。それに、心の貧しい者としたのは、作意がある。
教会も、金持ちによって支えられるからである。貧しいの前に、心という言葉を置いた。
貧しい者が幸いであるはずがない。
貧すれば鈍する。貧しさも、極まれば、心が荒む。
イエスは、分配する心を言うのである。それを実行するのは、貧しい人が圧倒的だという逆転である。
貧しい者のの寄付は、すべてであるが、金持ちの寄付は、すべてではない。すべてを与えることが出来るのは、貧しい故である。持てる者の、因縁は深い。
イエスが、この世に価値を置かなかったのが、見て取れる。
お金は、誰のものかと問うと、カエサルのものはカエサルに、神のものは、神にと言う。
つまり、お金は、この世だけのものであり、それ以外の秘密は、神のもの、つまり、自分のものであると言う。
金持ちは、自分のものを持てないのである。
イエスが言う、神のものを持てないのが、金持ちである。

日本人は、裸で生まれて、裸で死ぬと言った。
お金を持ったまま死ぬことは出来ないとも。
金は天下の回り物とも。
つまり、金は誰のものでもない。それは方便に過ぎないと。それを忘れて、日本人は、浮遊した。
多く所有した人が死ぬと、大半が浮遊する。次元移動が出来ない。自縛する霊の多くは、そういう者である。
怨霊ならば、まだいいが、自縛というと、それは地獄である。つまり、この世に自縛する。
死ぬに死ねない程、辛い苦しいことがあろうか。
それ、ほとんど無間地獄という。



posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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