2007年03月11日

少子化問題

少子化問題である。
政治の問題であると言う。それも、然り。
フランスでは、三人の子供がいれば、税金は全額免除されるという。二人では、公共施設料金が云々という。だから、日本もと言う。
皆々、子供を生まない、生めない政治家が言う。
ウソである。
あの貧しい時代、一つの家族の子供は、10人前後である。これを、何という。

私は言う。
問題は、子供を生まない世代の親にあると。
彼らが育てた子供が、子供を生まないのである。いかに、とんでもない教育をしたかということである。子供など、いらないと思わせたのは、その親であろう。
自分も出来ない理想を子供に夢見て、子供を飼い殺ししたのである。
見よ、その子供の子供が、引き籠り、ニート、フリーターである。

時代の問題だというのは簡単である。
問題は、伝統教育を成さなかったからである。
子供に迎合して、子供を支配して、子供を犠牲にして、この体たらくである。
その年代の者の言い分は、いつまでも青春であるから、笑う。
日本の伝統は、老成の思想であり、年老いても青春であるとは、欧米のアホどもの思想である。
いつまで、色気づいているのか、アホ。

心が、若いということは、馬鹿だということである。
心は、成長して、大人になり、老成するから、いい。
こうして、欧米型の思想を取り入れて、このやとまの国の伝統を無きものにした、アホ馬鹿間抜けである。
いつまでも、若いというのは、化け物だと知らない。
その程度の成長しかしなかった者の子供が、子供を生みたいと思うか。

東西に分断されていた頃の、東ドイツの男女関係は、凄まじかった。やり放題、生み放題である。国が、子供の面倒をみるからである。
勿論、共産国というストレスであろうが、セックスしか発散することが出来なかった。
東ドイツに留学していた、知り合いは、寮で毎晩行われる上下左右の部屋からの、喘ぎ声に驚かされたという。
そのセックスは、日本人の様ではない。阿鼻叫喚の快楽の叫びである。
さて、言う。
それほど、少子化を恐れるなら、子供を国でみればよい。さすれば、阿鼻叫喚でセックスし、生みまくるだろう。
今、女は、やりたくてしょうがないのである。ただ、男が、それについて行けないだけである。ホテルにも、男が女に連れられて入る時代である。
国が、どんどん生ませるとよい。
結局、そこまで出来ないのである。
しかし、政治家は、声高に叫ぶ。国の問題であると。
男が、女とセックスせず、男同士でしたり、ダッチワイフを共にしたりすることのないように、考える方が、はるかに実がある。

伝統を忘れると、こういうことになる。
すると、伝統の意味さえも解らない者がいる。
何せ、東大の教授でさえ、何をもって伝統というのかと言う時代である。
しまいに、誰が伝統を決めるのだという。終わっている。
伝統の一番は、食事の作法であると言っておく。以下省略する。



posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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