2007年02月23日

統一地方選挙

統一地方選挙があるからか、政党のチラシが入ってくる。
ある政党団体のチラシを読んだ。良い政策が書かれてある。地方の行政に関するものは、納得した。
区議は、この政党の候補者に投票してもいいと思った。
しかし、一つだけ、問題を感じた。
「愛国心」など国家主義の強制を危惧とある。
教育基本法改正の、第二条「教育の目標」にある、愛国心を養うことが盛り込まれたということである。これは、国民に強制する道を開くものだとある。
続けて、学校の現場で、強制と処分が行われているという。今回の改正で、教育に「心」に踏み込んだ強制が行われることを危惧するという。
「日本全般に見られる学力やモラルの低下、家庭や地域での教育力の衰退などは、教育基本法で解決されるものではないという。むしろ教育改革の名のもので、憲法で保障されている「教育の機会均等」がなし崩しにされ、格差の拡がりと子供たちの平等に学ぶ権利が奪われ、教育現場は混乱に陥ると思われます。」と書かれてある。

このように解釈するのは、簡単である。また、そのような解釈をするのかという驚きである。教育に「心」に踏み込んだ強制という言葉は、おかしい。今まで「心」に踏み込まないから、おかしくなったのであろう。自由と平等の思想が、正しく施行されなかったゆえであろう。
そして、驚きは、愛国心を養うことが、国民に強制の道を開くという。
国民はともかく、学校教育の場で、愛国心を教えることは、当然過ぎるほど、当然であり、学校という場は、公の場であるということを、忘れている。
そして、強制という言葉を、教育に関しては、誤っている。
教育とは、強制である。
強制以外の何物でもない。こういう言葉が嫌なら、柔らかな強制と言う。
教育することは、すなわち強制が伴うと何故理解できないのか。
愛国心を教えないで、どうする。学校という場所、つまり「公」の場所だからこそ、愛国心を教えられる、理想的にである。
それはまた、日本のみならず、国際人としても、実に必要なことである。

学校の現場で、強制と処分が、行われているということは、国歌斉唱と国旗掲揚であろう。
解りやすく、極端に言う。
イスラムの国で、アラーの神、及びマホメットに対する不敬があれば、外国人でも殺される。私は、多くの国に出たが、その国の国民、市民が大切にするもの、国王をはじめとして、その国の国旗に対しては、敬意を払う。他国に旅すると、それは常識以前の常識である。
子供に、公の場所での、作法を教えないでの、教育とは何か。
「心」に踏み込むとは、どういうことか。それを自由と平等、権利だと言うならば、日本人としての、責務があろう。
もし、海外で事件や事故がある場合は、私たち日本人は、日本国籍のある者として、扱われる。そして、日本が責任を持つ。
「心」踏み込むというならば言う。
「心」というものを示して見よ。私の前に、その「心」というものを見せて欲しい。
この政治家たちは、精神も、心も、魂も、明確に出来ないはずである。
それらを、ごちゃまぜにして、ものを考えているはずである。
こころ、とは、大和言葉で、こオこオろオ、である。
端的に言う。
心とは、息遣いである。息が心である。
心乱れれば、息が乱れる。
心の教育を言うが、誰一人、息を整えることを教えられない者に、心のことを言う権利は無い。心の在り処を知らないのである。
オの音霊は、送ることであり、息を送る、息を出すことである。息は出せば、吸わなければいけない。そこで、息遣いが生まれる。心とは、そういう状態を言う。
どうしても、そう言いたいならば、精神と言うべきである。精神は、言葉の世界であるからだ。

よく聞くがいい。
愛国心は、教えられて成るものである。これ教育の骨頂であろう。
国家主義を恐れるということは、潜在的に、本人が、国家主義というものを持つからである。国家主義とは、全体主義に似たものを言うのであろう。
つまり、国家によって、個人の自由と、人間の平等が損なわれると考えるのであろう。
強迫観念であり、妄想である。または、自分が国家元首になった暁には、そのように行為するということであろう。
今、現在の日本で、国家主義、全体主義に似た状況が出るかといえば、全く考えられないのである。言えば、大企業主義である。
しかし、政治家だれもが、大企業主義を崩壊出来ないでいる。そうなれば、日本は世界から孤立するからである。よって、多くの中小企業が、それらの犠牲となり、今の経済状態を生み出している。

さて言う。こうした矛盾の中に、世界というものがある。
政治家とは、何か。
素晴らしい政策を上げるが、一番大切なものの考え方を知らない。
政治を語るならば、まず、言葉を知るべきである。
そして、日本人ならば、大和言葉の在り処を知るべきである。
辞世の句を読むことが出来ないような、政治家は、お勉強をし直すべきである。
我が身を捨てて、地域のため、県や市町のため、国のために生きられることが出来なければ、政治は止めた方がいい。
愛国心の無い者が、日本の政治家になれるか。
愛国心を漢語で読むから、解らなくなる。これを、大和言葉で言う。
みくにを、いつくしむ、こころ、である。それは、おおいなる、やわらぎの、こころ、つまり、大和魂から成るものである。




posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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