2007年02月11日

大和言葉によって日本語はなる

大和言葉によって日本語はなる。
それでは、大和言葉とは何か。簡単である。漢字の表記でも、訓読みをすれば、すべて大和言葉になる。
有史以前から、使用していた言葉である。
文献から言うと、8世紀初頭に、初めて歴史書である、古事記、日本書紀が編纂される以前から、使用されてきた言葉である。
清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき 与謝野晶子
きよみずへぎおんをよぎるさくらつきよ こよいあうひとみなうつくしき
祇園は地名であるから、欄外で、すべて、大和言葉である。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる 石川啄木
東海も地名に入るから、欄外で、すべて、大和言葉になる。
東風をこちと読むと大和言葉になる。それを、とうふうと読めば、音読みであり、大和言葉にはならない。
君を、きみと読めば大和言葉であり、くんと読めば漢語になる。
例えば、童謡の歌詞を見る。
浜千鳥という曲
青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る
濡れた翼の 浜千鳥
翼を、つばさと読んで、大和言葉になる。それを、よく、と読めば漢語になる。
漢語主体の歌詞などもあるが、それを上げずとも、これで十分であろう。
松尾芭蕉の俳句も、すべて大和言葉である。
古池や かはづ飛び込む 水の音
荒波や 佐渡によこたふ 天の川
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
例えば、歌謡曲の名曲、古賀政男の影を慕いて
まぼろしの影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ我が思い
つつめば燃ゆる胸の日に
身はこがれつつ偲び泣く
みな大和言葉である。
ここで驚くべきとこを言う。万葉時代は、仏教、儒教、そしてシナ文学、それが津波のように押し寄せていた。特に、600年には、膨大な書物が隋からもたらされている。
古代日本人が知らない文化、特に、言葉の文化が大量に入っていた。それを、身に付けたというから、驚くのである。今の英語やフランス語を学ぶという比ではない。
日本初の勅撰集は、和歌ではなく、漢詩集の「凌雲集」である。814年。ちなみに、最初の和歌の勅撰集は「古今和歌集」であり、漢詩より90年後のことである。
万葉集の編纂に関わった、大伴家持の歌一首
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に いで立つ乙女
紅を、くれないと読む。すべて大和言葉である。
私が何をいいたいかと言えば、漢語、外来語の影響甚大であったが、和歌の世界では、すべて大和言葉が使われていたということである。
いかに、大和言葉が、血となり肉となっていたか。それは遺伝子に組み込まれたようにして、言葉の世界にあった。精神を言葉の世界と定義すると、日本の精神は、大和言葉にある。そして、精神のみか、その曖昧な心、たゆたふ心も、大和言葉よりなり、何と、魂のレベルまでにも至るのである。
それは言霊の思想である。言葉、一音、そのものに神が宿るという思想である。
大和言葉を発するということは、言霊の力が働き、事が動く、事が成ると考える。
分け入っても分け入っても青い山 山頭火
大和言葉の世界は、分け入っても分け入っても青い山 なのである。





posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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