2006年09月01日

九月

去る者は日々に疎し
と、言われる。確かに、生きることに精々ならば、忘れて生きることが楽なのでしょう。過去を捨てて、前に進む。それ以外の術はない。
生きるということは、次しかない。
私の前には、藤岡宣男がいます。藤岡の創造です。
あれから一年を過ぎて、藤岡は、益々私の心に満ちています。
藤岡は亡くなったが、無くなってはいない。
世の中は、猛スピードで前に進んでいるようですが、果たして、本当でしょうか。
明日という、未来という幻想に、進んでいる可能性もあります。確たるビジョンの無い未来は、危険です。
事故から、私は毎日、藤岡を思わないことはない。つまり、私は明日を藤岡と見定めて生きているのです。
生きるということは、不安定であります。しかし、人は死によって確定します。死によって確実な存在になるのが人間の本性です。
死を考えることのない哲学も思想も、学問も無益です。
ただし宗教で言うところの死は、妄想です。
自分の中にあるものしか、見えない、聞こえないのです。それを身をもって知ること。それを総称して謙虚といいます。
知らないことが多いということを知らない人は、死後、絶望的な傲慢の次元に留まります。



posted by 天山 at 10:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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