2016年07月05日

生きるに意味などない14

岸田氏の論調を、私が言えば、人間が大脳化したことにより、神経症に陥ったということになる。

無益な大脳化である。

しかし、後には戻られない。
そこから、出発するしかないのである。

人類は、七転八倒して、生きる意味を探してきた。
そして、辛うじて、蜃気楼のような、意味を見出して、自分に言い聞かせて、生きて来た。ご苦労なことである。

一番手っ取り早いのは、神仏という、妄想であるが、別エッセイで、神仏は妄想である、を書いているので、あまり、それには、触れないで書くことにする。

神仏を取り入れると、すんなりと、意味を見出すことが出来る。
また、宗教の開祖の言葉を信じきって、生きれば、なんとなく、生きられる。

それが、ウソでも、何でも言いのである。
それに、しがみついていれば、何とかなるのである。

輪廻転生という、考え方も、まともであるが、実際、それがあっても、ここ、ここに生きる私は、ただ、一人なのである。
来世があるとしても、今の私は、ただ一人の私である。

宗教の次に、主義というものがある。
これも、実に、妄想である。
そんなものは、無い。あるはずが無い。

民主主義・・・共産主義・・・
本当に、機能していると、考えているのだろうか。
それらに、属すると思っている人たちは、単なる、宗教の信仰と変わらない。

つまり、主義を信仰しているのである。

民主にせよ、共産にせよ・・・
一体、実態は、あるのか。無い。

だが、それで、意味付けを行うという、愚かなことをしている。
政治家・・・
悲しいことに、気づかない。
いや、気づいても、後には戻れないのである。

辛うじて、それを信仰する振りをして、政治家をしている人もいるだろう。
だから、政治資金に、いつも、問題が付きまとう。
自らを律しなければ、政治家など、やっていられない。
そして、彼らは、ウソをつく。

何も、韓国、朝鮮人、中国人だけが、嘘つきなのではない。
世の中の、政治家は、皆々、嘘つきである。

勿論、学者も、その仲間。

そんなことは、皆々、解っていて、解ったことを知らせず、世の中の権威に従う。というか、権威も、実は、無いのであるが、権威を付けるという、演技を演ずる。

何も意味のないことに、意味を見出す人間の性である。
この、性とは、さが、と読む。
性とは、そのようである、そのように生まれついた、のであるという意味。

人間は、その性から、逃れることは、出来ない。
つまり、絶望的な生き物なのである。

全く、生きるに意味などない、のである。

posted by 天山 at 06:22| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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