2016年06月03日

玉砕128

東京を廃墟にした米軍は、その後、全国の地方都市に向けて、空爆を行う。
甚だしい、国際法違反である。

更に、米機動隊も、日本沿岸を我が物顔に、遊弋し、軍や工場施設に、砲弾を加えていた。

天皇は、大局を判断して、何とか、速やかに、講和に持ち込みたいと考えていらした。

4月5日、重臣会議が開かれ、総辞職した、小磯国昭内閣の、次期総理を選考したが、席上、東條大将は、
本土決戦をひかえて、国務と統帥一体化のため、次期総理は、陸軍から出したい、
と力説する。

そして、鈴木貫太郎枢密院議長が、推された。
だが、鈴木は、高齢であり、とても、国家存亡の大任を負う自信がなかった。

その鈴木に、天皇は、
頼むから、どうか、まげて承知してもらいたい
との、仰せである。

そこまでのお言葉に、断る訳にはいかなかった。

天皇は、速やかに、終戦にこぎつけようと考えた。

しかし、軍部は、強固に戦争続行を叫び、和平を口にすれば、国賊、敗戦主義者として、投獄されるという、情勢下で、いかに天皇とはいえ、講和の推進は、至難の業だった。

そして、その頃、最後の悲劇、沖縄戦が、始まるのである。

沖縄方面の、海軍作戦を要約すると、「菊水作戦」に始終する。

この菊水作戦とは、本州、四国、九州、そして南西諸島、つまり、沖縄本島、宮古島、石垣島、徳之島、伊江島などに、基地を置く、第一機動部隊の兵力を持って、沖縄に来攻した米軍に対し、攻撃を仕掛けるものである。

昭和20年4月6日の一号から、沖縄本島の地上戦が終息した、6月22日まで、続けられたもの。

その本質は、捷号作戦、つまり、レイテ決戦以来の、特攻である。

昭和20年3月17日、それは、硫黄島の戦闘が、終わりに近づいていた頃である。

神奈川県日吉台にあった、連合艦隊司令部は、米機動部隊が、3月14日頃、当時、米機動部隊の一大策源地であった、カロリン諸島西の、ウルシー環礁を出発し、九州方面に向かいつつあるとの情報を得た。

連合艦隊としては、兵力の温存から、しばらく成り行きを見守る考えだったが、九州南部の、鹿屋基地にあった、第五航空艦隊司令長官、宇垣中将は、承服しなかった。

陸上で、飛行機をむざむざ爆破されるほど、愚かなことはないと、即、出撃を唱えて、譲らない。

3月17日、23時、飛行機の航続距離内に、米機動部隊四郡の確認が報じられると、宇垣は、ただちに全力攻撃を決意した。

同日深夜の、雷撃隊を皮切りに、黎明から、昼間にかけての発進が、夜に入っても続き、全出撃は、441機、そのうちの59機は、特攻である。
未帰還79機を出して、18日の攻撃は、終了した。

59機の、特攻隊である。
玉砕だ。

沖縄戦に関して、一つ書いておく。
沖縄戦は、市民も巻き込んでの、激戦である。
だが、内地から、続々と、兵士が終結し、沖縄を守るために、戦ったということである。

更に、その特攻隊の数である。
沖縄を守るために・・・

ただ、沖縄を犠牲にしたのではない。

ここに、敗戦後の、沖縄に対する、様々な感情論が生まれた。
沖縄県民に、申し訳が無いという、思い・・・
勿論、それは、それでいい。

しかし、全日本の兵隊が、出動したということだ。
沖縄戦は、陸海空の、三位一体の働きがある。

翌19日、米艦載機は、広島と阪神地方を襲った。
宇垣は、119機を発進させ、25機が、未帰還となった。

この攻撃では、米側の資料によると、
空母ワスブに命中した一弾が、飛行甲板を貫き、格納庫で爆発し、大事に至るところを、防ぎとめた。
だが、そのわずか数分後、特攻機が突入し、舷側すれすれに海中に落ちた。
外部リフトに触れて爆発し、死傷者300名近くを出した。
その後、ワブスは、戦場から引き揚げた。

また同じ時刻、空母フランクリンに、爆弾が二発命中し、大爆発を起こして、死者700名、負傷者265名が出て、戦場離脱を余儀なくされた。

戦争である。
両軍に、犠牲者が出る。

特攻隊、25機の未帰還も、玉砕である。




posted by 天山 at 05:26| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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