2016年04月19日

玉砕116

25日朝、エンガノ岬の東方洋上において、小澤部隊は、敵に捕捉されつつあった。

小澤は、確認できないが、遠くから、自隊を見張る敵を、肌で感じていた。
米空母部隊は、確実に、食いついてきていた。

小澤中将は、連合艦隊、および関係各部隊にあてて、
機動部隊本隊、敵艦上機の触接を受けつつあり
と、打電した。

この重大な電報は、肝心の栗田長官には届かなかった。
栗田中将こそ、この電報を鶴首して、待っていたはずなのである。
原因は、今日に至るまで、解明されていない。

結局、大和では、受信されなかったのである。

小澤部隊の旗艦瑞鶴は、電探により、米機の大編隊を探知していた。
一方、米空母の索敵機は、小澤部隊に、触接し、その兵力と行動を、次々と、打電報告していた。

いまや、小澤部隊は、完全に、オトリの任務を達成しょうとしていた。

7時29分、北上しつつあった、小澤部隊の旗艦瑞鶴は、電探により、米機の大編隊を探知していた。

そして、米空母の索敵機は、小澤部隊に、触接し、その兵力と行動を、次々と打電報告していたのである。

8時15分、艦隊の上空に舞い上がった直衛の、ゼロ戦18機は、群がり襲ってくる米機の大軍に向かい、毅然と突入していった。

こうして、米側呼称の、エンガノ岬沖海戦の火蓋が切られた。

その結果、小澤部隊は、瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳の全空母を失い、直衛機全滅、駆逐艦秋月沈没である。

しかも、これらの犠牲により、達成されたオトリ作戦の成果も、栗田艦隊には、届かなかったため、使命達成に寄与することが、できなかったのである。

では、その後の、栗田艦隊である。
敵の魚雷にはさまれて、一時、北進した大和は、反転して、南進に移ったが、艦艇の大部分は、敵を追って、視界から消え去っていた。
敵情も、分からない。

大和の艦隊司令部では、幕僚たちが、この追撃戦に、疑念を抱き始めていた。
敵空母部隊は、遁走してしまったのではないか。

実は、司令部は、相手が、改造空母であることを、見破っていなかった。

栗田長官は、幕僚の意見を受け入れ、追撃中止を決定した。
そして、再び、栗田艦隊は、レイテ湾に向かって、進撃を開始した。

結果、戦果は、改造空母一、駆逐艦三の計四隻であったが、日本側は、それを、敗戦後まで知ることが無かった。
もっと多くの戦果を上げたと思っていたようである。

栗田艦隊の進撃再開の地点は、レイテ湾口スルアン島から、約90浬の北方であり、目的とする、タクロバン沖まで、同じく90浬、22ノットで前進すると、四時間半で到達する計算になる。

再出発を開始した時、
敵ノ正規母艦部隊、ヤキ一カイリアリ 0945
という内容の、南西方面艦隊の発信と思われる、電報が送られてきた。

新たな、敵空母出現の情報である。

ヤキ一カ、とは、航空機用の兵要地図により示された符号であり、スルアン灯台から、約160浬の地点を意味した。

このときの栗田艦隊の一からすれば、その地点は、北方約80浬の近距離である。

大和の司令部では、この電報をめぐり、騒然となった。
広げられた海図を前に、幕僚たちの意見が、二つに割れた。

栗田長官は、一旦、レイテへの進撃を決意し、艦隊は、輪形陣を作り、しばらく南下した。しかし、新しく出現した敵の存在が気にかかってきた。
その上、新しい敵に向かうべきだという、小柳参謀長を介した、大谷藤之助作戦参謀の進言があり、動揺する栗田長官の心が決まった。

ただ、キカ一の電報には、何故か、発信名が記録されていない。
敗戦後、この電報は、虚偽であると、判明した。

未だに、それは、謎である。

栗田長官は、全軍に反転を下令した。
しかし、当然のこと、その地点には、敵はいなかった。
ここに至って、さすがに、レイテを目指す意欲が失せていた。

艦隊は、29日までに、全艦、ブルネイに帰還した。

一週間前、同地を出発した際、戦艦7、重巡11、軽巡2、駆逐艦19、合計39隻という、堂々たるものが、戦艦4、重巡3、軽巡1、駆逐艦9の、合計17隻という、姿に変わっていた。

つまり、無くなったものは、すべて、玉砕である。



posted by 天山 at 05:47| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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