2016年04月14日

もののあわれについて803

かしこには、よべもつれなく見え給ひし御けしきを忍びあへで、のちの聞えをもつつみあへず、恨み聞え給うしを、その御返りだに見えず、けふの暮れはてぬるを、いかばかりの御心にかは、と、もて離れて、あさましう、心もくだけて、よろしかりつる御ここち、またいといたう悩み給ふ。なかなか、正身の御心の内は、このふしを、ことに憂しとも思しおどろくべき事しなければ、ただおぼえぬ人に、うちとけたりし有様を見えし事ばかりこそくちをしけれど、いとしも思ししまぬを、かくいみじう思いたるを、あさましう恥づかしう、あきらめ聞え給ふかたなくて、例よりも物恥ぢし給へるけしき見え給ふを、いと心苦しう、「物をのみ思ほし添ふべかりける」と見奉るも、胸つとふたがりて悲しければ、




あちらでは、宮の親子では、昨夜も、薄情なと、見えた大将のご様子に、堪えきれず、のちのちの外聞をも、はばかりきれず、お恨みの手紙を差し上げたのに、そのお返事さえ来ないで、今日も暮れてしまったのを、どの程度の、お気持ちなのかと、呆れ果てて、驚くほかなく、精根も尽きて、少しましだったご気分が、改めて、酷く苦しみになる。
かえって、ご本人の、お心の内は、この事を、特に辛いとも、心騒がせることもなく、ただ、思わぬ人に、くつろいでいたところを見られた、ということが、残念だと、それほどにも、心にかけていらっしゃらない。
御息所が、こんなに酷く、気にされるのを、思いがけず、恥ずかしいと、言い訳を申し上げようとも言葉なく、いつもより、恥らっている様子が、見えるので、御息所は、お気の毒に思い、ご心配ばかりが重なること、とお顔を見ていると、胸がつまり、悲しいので・・・




御息所「今さらにむつかしき事をば聞えじ、と思へど、なほ御すくせとは言ひながら、思はずに心幼くて、人のもどきを負ひ給ふべき事を、取り返すべき事にはあらねど、今よりはなほ、さる心し給へ。数ならぬ身ながらも、よろづにはぐくみ聞えつるを、今は何事をも思し知り、世の中のとざまかうざまの有様をも、思したどりぬべき程に見奉りおきつることと、そなたざまは後安くこそ見奉りつれ、なほいとはけて、強き御心おきてのなかりけることと、思ひ乱れ侍るに、今しばしの命とどめまほしうなむ。




御息所は、今更、新しく、嫌な事は、申し上げまいと、思いますが、矢張り、御運命とは、いいながら、案外に、考えが甘くて、人の非難を受けることになって。今更、元に戻せることは、出来ないが、今から、矢張り、そのような用心をなさいませ。人並みでもない、この身ながらも、できる限り、お育て申してきましたのに。今では、何事もお分かりで、世の中の、あれこれの事情も、見当がつくくらいになって、くださることと、そういうほうは、安心だと、存じておりましたのに、矢張り、本当に幼くて、しっかりしたお心構えのなかったこと、やきもきしまして、後は少し命を延ばしたい気がします。




ただ人だに、少しよろしくなりぬる女の、人二人と見るためしは、心憂くあはつけきわざなるを、ましてかかる御身には、さばかりおぼろげにて、人の近づき聞ゆべきにもあらぬを、思ひのほかに心にもつかぬ御ありさまと、年ごろも見奉り悩みしかど、さるべき御すくせにこそは、院よりはじめ奉りて思しなびき、この父おとどにも許い給ふべき御けしきありしに、おのれ一人しも心を立ててもいかがは、と思ひ寄り侍りし事なれば、末の世までものしき御ありさまを、わが御あやまちならぬに、大空をかこちて見奉り過ぐすを、いとかう人の為わが為の、よろづに聞きにくかりぬべき事の出でき添ひぬべきが、さても、よその御名をば知らぬ顔にて、世の常の御ありさまにだにあらば、おのづから、ありへむにつけても、慰む事もや、と思ひなし侍るを、こよなう情けなき人の御心にも侍りけるかな」と、つぶつぶと泣き給ふ。




平人でさえ、少しましな身分の女になると、男二人にまで会うことは、感心しない、軽々しい事ですのに、それどころか、こうした御身分では、あのようなことくらいで、誰が、お近づき申すべきではないのに、思いもかけない、面白くも無い、御結婚と、あれ以来、心を痛めておりました。御運命だったのですね。院をはじめとして、皆様、ご賛成になり、あの人の、父大臣にも、縁組を御許しなさろうとの、ご内意があったのに、自分ひとりだけが、我を張るのも、どうかと思い、従いましたことですから、後々までも、恥ずかしい有様を、ご自分の過ちではないので、大空を恨んで、お守りして参りましたが、本当に、こうして、人のためにも、わが為にも、何に付けても、聞き苦しいような事が、この上にも、出てくるのでしょうが、そうなっても、よそでの評判は、知らない振りをして、世間並みのされ方をしていれば、いつしか、日が過ぎてゆくうちに、心の安まることもありましょうという、気持ちになりましたが、この上なく、思いやりのない、あちらのお心でございます。と、ほろほろと、泣くのである。

夕霧に対する誤解から、このような状況に陥る、宮の親子である。
当時の、高い身分の人たちの、様子である。




いとわりなくおしこめて宣ふを、あらがひはるけむ言の葉もなくて、ただうち泣き給へるさま、おほどかにらうたげなり。うちまもりつつ、御息所「あはれ、何事かは人に劣り給へる。いかなる御すくせにて、安からず、物を深く思すべきちぎり深かりけむ」など宣ふままに、いみじう苦しうし給ふ。物の怪なども、かかる弱めに所うるものなりければ、にはかに消え入りて、ただ冷えに冷え入り給ふ。律師も騒ぎたち給うて、願など立て、ののしり給ふ。深きちかひにて、今は命を限りける山籠りを、かくまでおぼろけならず出で立ちて、壇こぼちて帰り入らむ事の、面目なく、仏もつらくおぼえ給ふべき事を、心を起こして祈り申し給ふ。宮の泣きまどひ給ふ事、いとことわりなりかし。




とても辛く、何も言えず、おっしゃることに反対して、弁明する言葉もなくて、ただ泣いている様子は、おっとりしていて、気品がある。それを見つめて、御息所は、あはれ、どこが、人に劣っていらっしゃるのか。どういう、御運命で、心も休まらず、物思いされなければならない因縁が、強いのか。などと、おっしゃるうちに、酷く苦しみになる。物の怪なども、こういう、弱り目に威勢を増すものだから、急に気を失って、ただ、もうずんずん、冷たくなる。
律師も、慌てふためき、願などをかけ、大声でお祈りする。深い願で、今では、命の限りと考えていた山籠りを、こうまで、なみなみの思いでなく、出てきて、壇を壊して、甲斐なく、山へ引き返して入ることが、面目なく、仏も残念に思われることだと、心を込めて、お祈り申し上げる。
宮様の、泣き惑いされることは、全く、無理の無いこと。




posted by 天山 at 06:40| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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