2016年03月30日

玉砕113

フィリピン全域にわたり、猛威をふるった台風が、やや下火になった、10月17日、レイテ湾口スルアン島にある、海軍見張り所は、雨に煙る海上に、敵艦隊を発見した。
各方面に、緊急急電を発した。

レイテに反攻を指向した、マッカーサー攻略部隊だが、この報告に、神奈川県日吉台にあった、連合艦隊司令部は、即座に反応し、全軍に対し、捷一号作戦警戒を発令した。

18日、リンガ泊地の栗田艦隊は、即座に行動を起こす。
第十戦隊の旗艦が先頭を切り、その後を続々と、戦隊が続いた。

栗田艦隊が、ブルネイに到着したのは、20日の正午近くである。
丁度その頃、レイテ湾に、マッカーサーの上陸部隊の、大軍が殺到していた。

レイテ湾に面した、タクロバンと、その南のパロ方面、および、サンホセと、その南のドラッグ方面に対し、軍団16万5千名のうち、兵員約6万、車両、弾薬、軍需品など、10万7千トンが、揚陸された。

私が、レイテのタクロバンに慰霊に出掛けた際に、当時、少女だった、お婆さんに出会った。彼女曰く、たくさんの日本人が死にました、と。
それはそれは、沢山であろう。

レイテ島は、全島に戦禍が広がったのである。
タクロバンの逆の、セブ島側の、オルモックという場所。
私は、まだ出掛けていない。

特攻隊の、最初は、レイテ島のタクロバンである。
そして、オルモックにも、散華した若者が多い。

ブルネイ泊地に入港した、艦隊、駆逐艦など、39隻からなる、大艦隊は、到着早々、栗田艦隊は、燃料補給に忙殺された。
時間の余裕がなかったのである。

21日17時から、旗艦愛宕の艦隊司令部に、各指揮官、関係科長以上が呼集されて、作戦計画の打ち合わせが行われた。
この席で、初めて、レイテ湾タクロバン方面に突入すると、具体的な目標が、指示された。司令部から発表された作戦計画は、リンガ泊地を出発して、ブルネイに回航するまでの間に、作戦参謀大谷藤之助を中心に、練られたものである。

この計画における苦心は、艦隊行動をより効果的にするため、南北両方面から、レイテ湾に進撃するというものであった。
大谷参謀は、速力の遅い、旧式戦艦山城と、扶桑の第二戦隊を、別動隊として、スリガオ沖から、北上突入させる案を立てた。

22日、栗田艦隊は、第一、第二部隊の順に、ブルネイを出撃、レイテ湾を目指した。

その後を、続々と、各戦隊が続く。

ブルネイ湾を出ると、艦隊は、大和を中心にする第一部隊と、金剛を中心とする、第二部隊の二群に分かれ、隊の間隔を6000メートルにとり、対潜警戒就航序列で北上した。

対潜警戒を怠っていたわけではないが、日没後は、16ノットに減速して、ジグザグ運動を止めて、パラワン島沖合い10浬を北上した。

栗田艦隊にとって、レイテへの道は、遠く、かつ困難極まるものだった。

その行程は、警戒航行や、途中の会敵を考慮すれば、1500浬を覚悟しなければならないほどだ。
当然、米艦載機の襲撃や、水上部隊との遭遇などが、予想された。
さし当たっての難関は、敵潜水艦に狙われることだった。

第一の米潜の出没地帯と予想されたブルネイ湾口は、無事に通過し、23日、第二の難所である、パラワン水道の南口に達した。

艦隊がこの水道を抜けるには、約300浬の行程を経なければならなかった。
誰の目にも、この狭い水路は、米潜が待ち受ける危険地帯である。

米軍側から見ると、23日午前1時頃、パラワン水道南口で、哨戒中の二隻の米潜水艦のうち、ダーターが、レーダーで栗田艦隊を発見し、栗太艦隊を追い越して、艦隊に向かった。

米艦隊は、こちらに向けて進む、日本艦隊のほぼ真正面に位置していた。
次の瞬間、艦隊は、ジグザグ運動を開始し、ダーターの視野から見て、右に艦首を振り、重巡四隻は、一斉に横腹を見せた。距離は約9000メートル。

この機を逃さず、ダーターは先頭の一番艦隊に狙いをつけ、艦首発射管から、魚雷六本を発射した。

そのうちの、四本が命中した。
ついで、艦を急旋回すると、二番艦に向け。艦尾発射管から、魚雷四本を発射した。うち、二本が艦隊の中の、高雄に命中した。

その他の詳しい様子は、省略する。

高雄は、応急処置を行い、26日、ブルネイに帰還し、シンガポールに回航している。

その後、この海域で同じく第四戦隊の重巡摩耶が雷撃を受け、ほとんど瞬時に、沈没している。

私から言えば、遠回りにレイテに向かっていたのである。

栗田長官の乗る、愛宕が攻撃され、艦体が30度ほどに傾いたとき、栗太長官は、幕僚たちと共に、海面に浮かんだバジルから身を躍らせ、海中に飛び込み、駆逐艦目指して、泳いだ。
後に、司令部付近の職員たち、約30名が、続いた。

駆逐艦に乗り移ると、愛宕は、すでに沈んでいた。

駆逐艦岸波に移乗した栗田長官は、大和に信号を送り、
大和に旗艦変更の予定、本職移乗まで第一戦隊司令官指揮を執れ
と、命じる。

長官以下、愛宕生存者の大和への移乗は、夕方に終わった。
全軍の指揮は、再び、栗田長官が執ることになる。

大和の艦橋は、満員である。
艦隊司令部の移乗が終わると、艦隊は、ただちに行動を起こして、北上した。

そして、シブヤン海に進入する。
ミンドロ島沿いに南下した。

地図で見ると、レイテまで、大回りをしていることが、分かる。

フィリピン群島を二分する形の、シブヤン海は、栗田艦隊にとって、第二の難所であった。

米潜水艦、米空母部隊の行動範囲内に入ったことを、覚悟しなければならない。

ミンドロ島南方を迂回して、北東に針路を変え、タブラス海峡を抜けた艦隊は、24日、未明、ジグザグ運動をしつつ、シブヤン海に入っていった。




posted by 天山 at 03:56| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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