2016年03月15日

もののあわれについて796

月くまなう澄み渡りて、霧にも紛れずさし入りたり。浅はかなる廂の軒は、程もなきここちすれば、月の顔に向かひたるやうなる、あやしうはしたなくて、まぎらはし給へるもてなしなど、言はむかたなくなまめき給へり。故君の御事も少し聞え出でて、さまよう、のどやかなる物語りをぞ聞え給ふ。さすがに、なほ、かの過ぎにしかたに思し落すをば、うらめしげに恨み聞え給ふ。




月の光は、陰りもなく澄み切って、霧にも遮られず、部屋に差し込んでいる。浅い作りの廂の軒先は、奥行きがないので、言いようもなく、なまめかしくしていられる。亡き柏木のお話も、少し申し出されて、感じよく、穏やかな話を、申し上げる。それでも、やはり、亡くなった柏木より、低くお考えになっているのを、夕霧は、恨めしく、恨み申し上げる。




御心のうちにも、「かれは、位などもまだ及ばざりける程ながら、たれもたれも御許しありけるに、おのづからもてなされて、見なれ給ひにしを、それだに、いとめざましき心のなりにしさま。ましてかうあるまじき事に、よそに聞くあたりにだにあらず、おほ殿などの聞き思ひ給はむことよ。なべての世のさしりをばさらにも言はず、院にもいかに聞しめし思ほされむ」など、離れぬここかしこの御心を思しめぐらすに、いと口をしう、わが心ひとつにかう強う思ふとも、人の物いひいかならむ。御息所の知り給はざらむも罪えがましう、かく聞き給ひて、心幼くと思し宣はむもわびしければ、女二「明かさでだに出で給へ」と、やらひ聞え給ふよりほかのことなし。




お心の中でも、あの柏木は、位なども、まだ問題にならないほどだったのに、どなたも、どなたも、お許しになったので、自然にそんな気持ちになって、お馴染みになったが、それさえ、酷く薄情な人なってしまった。それどころか、こんな、あってはならない事を。人事として、聞ける間柄でさえないものを、太政大臣などが、お聞きになったら、どう思うことか。
一般の世間の非難は、言うまでもないことで、院におかせられても、どのように、お聞き遊ばすのか、などと、御縁者の、誰彼の心を、色々と考えると、まことに残念で、自分一人が、このように気づよく思っても、世間の噂は、どんなことになろうか。御息所が、ご存知ないのも、罪深い気がして、こうと聞いて、考えのない事をと、思いになり、おっしゃる様子も、それが、辛いので、女二の宮は、せめて、夜を明かさずに、お帰りくださいと、追い出されるより、致し方がないのである。




夕霧「あさましや。事あり顔に分け侍らむ朝露の思はむところよ。なほさらば思し知れよ。かうをこがましきさまを見え奉りて、かしこうすかしやりつ、と思し離れむこそ、その際は心もえ治めあふまじう、知らぬ事々、けしからぬ心使ひもならひ始むべう、思ひ給へらるれ」とて、いとうしろめたくなかなかなれど、ゆくかりにあざれたる事の、まことにならはぬ御ここちなれば、いとほしう、わが御みづからも心劣りやせむ、など思いて、たが御ためにもあらはなるまじき程の霧にたち隠れて、いで給ふ。ここちそらなり。

夕霧
萩原や のきばの露に そばちつつ 八重たつ霧を 分けぞゆくべき

濡れごろもは、なほえ干させ給はじ。かうわりなうやらはせ給ふ御心づからこそは」と聞え給ふ。げに、この御名のたけからず漏りぬべきを、「心のとはむにだに、口清うこたへむ」と思せば、いみじうもて離れ給ふ。

女二
分けゆかむ 草葉の露を かごとにて なほ濡衣を かけむとや思ふ

めづらかなる事かな」と、あはめ給へるさま、いとをかしう恥づかしげなり。年ごろ、人に違へる心ばせ人になりて、さまざまに情けを見え奉る名残なく、うちたゆめ、好き好きしきやうなるが、いとほしう心恥づかしげなれば、おろかならず思ひ返しつつ、かうあながちに従ひ聞えても、のちをこがましくや、と、さまざまに思ひ乱れつついで給ふ。道の露けさも、いとところせし。




夕霧は、驚きます、ただならぬ仲のような顔で、踏み分ける朝露が、どう思うでしょう。でも、そうおっしゃるならば、ご承知ください。このようなバカな姿を、見せ申して、うまく騙して、追い出した、とお考えなさるようなら、その時は、この心も、抑えることが出来ずに、思いもかけない事や、けしからぬ考えも、出てきそうに思われます。と、後が気になり、かえって、心残りだが、出し抜けに手を出すことは、本当に、経験のないことなので、宮にも、お気の毒であり、ご自身も、自己嫌悪にならないかと、考えになって、どちらの御ためにも、目立たないほどの朝露にまぎれて、お出になる。その心は、上の空だ。

夕霧
萩原の、軒先の露に濡れつつ、幾重にも立ち込めた、霧を分けて帰らなければ、ならないのですか。

濡衣は、あなたも、お晴らしになれませんでしょう。こう、無理に追い出し遊ばす、お心のせいです。と、申し上げされる。まことに、宮様の、御浮名は、聞きにくく伝わるに違いないが、我が心の咎めにだけでも、潔白だと考えよう。と、考えて、酷いこと、よそよそしい、なされようである。

女二
ご自分が、踏み分けてゆく、草葉の露に、濡れるのを言いがかりにして、私にまで、濡衣を着せようと思いですか。

聞いたことのない、お話です。と、たしなめられたご様子は、負けたと思う。長年、人とは違った人情家になって、色々、思いやりのあるところを、お見せしていたのとは、違って、油断させ、好きがましい態度なのが、お気の毒であり、気が引けるので、少なからず、反省しつつ、こう無理して、お言葉に従い、後で馬鹿を見ないかと、ああか、こうかと、思案にくれながら、出てお行きになる。その道の、露も、酷いものである。




posted by 天山 at 06:10| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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