2016年03月02日

玉砕108

昭和26年、9月8日、サンフランシスコにおいて、対日平和条約、サンフランシスコ条約が調印された。

日本の独立である。

即座に、日本政府は、吉田茂首相以下、閣僚、衆参両議長を引き連れて、靖国神社に向かった。
平和条約から、一ヶ月と10日、秋の例大祭の、10月18日である。

敗戦後、初の公式参拝である。

これは、何より、真っ当な感覚である。
日本人として、真っ当な行為である。

さて、戦犯問題に関する、大切な取り決めは、サンフランシスコ条約第11条に書かれている。
これを了承して、日本は、占領六年目に、独立した。

第11条の取り決めは、大きく分けて、二つある。

一つは、日本は、戦争裁判の「判決」を受け入れるということ。
ところが、この「判決」の部分を「裁判」と、誤訳してしまったのである。

原文は、「判決」を認めるということになっている。

それでは、判決と裁判では、どう違うのか・・・
判決を受け入れるという場合は、A級戦犯の処刑に対し、さかのぼり、クレームをつけないということ。
事実上、処刑が行われた場合、受け入れるも、受け入れないもない。
取り返しがつかないのである。

だが、裁判を受け入れるという場合は、戦勝国が敗戦国を裁いた、裁判の理不尽な報復の構図を、認めろということになる。
日本は、未来永劫、東京裁判の内容について、異論を認めないということになる。

したがって、敗戦後、40年近くも、裁判を正当なものとして、受け入れねばならなかったかのように、取り沙汰されて、戦勝国の裁判について、一切、批判、糾弾することは、出来ないという、受け取り方をしてきたのである。

何たる、不覚か・・・

誤訳・・・
つまり、焦っていたゆえに、論議の仔細について、見逃していたのか。

そして、もう一つの、取り決めは、独立日本として、自らの手で、戦犯を釈放するのは、当然だが、その場合も、裁判の当事国の了解を得るようにということに、なっていたのである。

平和条約締結後、フィリピン・モンテンルパ、オーストラリア・マヌス島から、それまで戦犯として拘留されていた、日本兵が、続々と帰国している。
帰国後は、引き続き、巣鴨プリンズに収容された。
およそ、千人である。

日本としては、勝手な行動を取ってはいない。
平和条約第11条の規定通り、関係諸国の了解を求め、結果として、日本の手で、次々と、戦犯を釈放して、1958年、巣鴨プリンズは、閉鎖された。

サンフランシスコ平和条約に、日本と合計49カ国が、署名、批准し、日本は独立した。
それらの国々・・・

省略するが・・・
中華民国、つまり、台湾も、中華人民共和国も、韓国も、参加していない。
これは、事実である。

つまり、戦勝国扱いではなかったのである。
全く、論外だった。

そして、重要なことは、この条約に署名、批准していない国は、この条約に関するいかなる権利も権限も、与えないと、明記されている。

だから、中国、韓国は、全く、論外の対象であり、何の権利も権限も、有しないのである。

更に、条約には、署名、批准しない国が、日本に対して、減損され、害されるものではないと、明記されている。

平和条約締結の場から、外されていた国は、一切の、クレームをつけることは、許されないのである。

原文
対日平和条約第25条
この条約の適用上、連合国とは・・・、該当国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする・・・。ここに定義された連合国の一国ではないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によっても前記のとおり定義された連合国の一国ではない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

中国も、韓国も、論外なのである。
つまり、何ら、クレームをつける権利などはない。

A級戦犯が合祀されている、靖国神社に裁判するのは、近隣諸国の感情に対して云々・・・と言う話は、中国、韓国のことを言う。
他の、諸国は、何も言わない。

東南アジア、南アジア、そして、太平洋の島々のよる、国々・・・
一切、干渉しないのである。

靖国神社に参拝することは、当然なことであると、理解し、知っているのである。

戦没者に対する、慰霊の心は、何処の国も、変わらない。
当然なことである。

更に、日本国内法には、戦犯という、存在はない。
次に、その証拠を書き付ける。




posted by 天山 at 06:14| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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