2016年03月01日

玉砕107

靖国神社に関して、もう少し、考えてみたい。

戦勝国は、敗戦後、一ヶ月目から、戦犯狩りをはじめ、年内に逮捕して、翌年、4月29日に、起訴して、5月3日から裁判を開始し、敗戦三年目には、七人のA級戦犯を、抹殺した。

戦勝国の意思に、逆らうことが出来なかった、占領下の体制である。

処刑されたのは、七人だが、A級戦犯としては、ほぼ250名が指名されたのである。

勿論、この裁判は、今では、茶番だと、知られている。

その、A級戦犯が、祀られているということが、近隣諸国の感情に配慮するということになる。だが、それは、中国と、韓国のみである。

更に、国内では、政教分離の原則に反するという、人達がいる。

だが、不思議なのは・・・
内閣が成立すると、伊勢神宮に参拝するが、それに関しては、何も問題がないのである。

首相の、靖国神社参拝が違法なら、伊勢神宮への参拝も、違法であろう。

そして、国立追悼施設の建設をという、馬鹿げた者もいる。

ここで、中国に関する、無知を上げる。
東京裁判で、裁く側になったのは、11カ国であり、その中には、中華人民共和国は、存在していない。
つまり、毛沢東が、中華人民共和国の名乗りを上げたのは、1949年、10月1日であり、A級戦犯の処刑が行われたのは、前年の、1948年、昭和23年、12月23日である。

それまで、国家が存在していない・・・
つまり、A級戦犯を裁いた法廷について、知っている人は、中国にはいないのである。

それゆえに、中国は、日本に対して、靖国神社参拝に関して、云々する資格はないのである。

東京裁判に参加していたのは、台湾、中華民国である。

その後、1971年の、国連加盟以降、中国は、一つになったのだから、東京裁判の件は、中華人民共和国に継承されているという、説があるが・・・

果たして、台湾と、中国は、同じ国だろうか。
中国共産党が、勝手に息巻いているが・・・

台湾は、民主主義国家であり、中国は、共産党一党独裁政権である。
同じとは、言えないのである。

台湾からは、一度も、靖国神社について、関与するものはない。

つまり、中国と、韓国は、全く、靖国神社に対して、云々する、権利がないのである。

何度も書くが、韓国は、当時、日本であった。
戦勝国では、無かった。
韓国も、日本と同じく、敗戦したのである。

その後、アメリカ主導により、独立した。
それだけのことだ。

東京裁判について・・・
少し述べる。

連合国11カ国の裁判官の中で、唯一、国際法専門の判事は、インドのパール判事であった。

そして、そのパール判事が、ただ一人、日本無罪論を唱えたのである。
と言われが、違う。
無罪とは、言っていない。

ただし、A級戦犯が「平和に対する罪」を犯したとして、処刑されたことに、真っ向から、反対した。
つまり、「平和に対する罪」は犯罪ではないというのである。

当時、国家には、それぞれ交戦権があり、他国に対する武力行使を犯罪とする、国際法は無かった。

これに対して、検察側は、日本は、不戦条約を破ったから、犯罪に値すると述べた。
これに対して、パール判事は、不戦条約締結以後、第二次大戦まであの間に、条約に違犯して武力行使を行い、犯罪とみなされた例は無いと反論した。

まして、その指導者の個人的責任を問いただした例は、皆無であること。
日本のみが、このような法廷に被告として立たされ、罪状を科せられるのは、不当だとしたのである。

更に、東京裁判の矛盾を、最も明確に表すものとして、日本との間で、中立条約を結んでいたソ連が、条約の有効期間でもあるに関わらず、前年の2月に、一方的に、ヤルタ会談で対日参戦を決定したことに対して、そのソ連が、日本を裁く権利を与えられていることの、理不尽を、鋭く指摘している。

また、東条一派が、共同謀議により、一方的に事態を開戦に持ち込んだという、議論を頭から、否定した。
東条首相は、全力を尽して、外交交渉にあたったが、アメリカ側はすでに、調整不可能の結論を出していたと、延べ、あの時点で戦争は、避けられないものだったとしている。

正論である。
あの大戦は、日本にとっての、自衛戦争だったというように、同時の状況を分析した。

それを、もっと突っ込んで行けば・・・
戦争を仕掛けたのは、アメリカにあると、なる。

パール判事は、労作、パール判決書を書いた。
しかし、それは、法廷で読まれること無く、占領政策に有害だとして、発禁の扱いを受けている。
日本で、正式に発刊したのは、東京裁判から、20周年に当たる、1966年である。

勿論、それは、注目を集めた。

東京裁判とは、戦勝国が、勝手に、敗戦国である、日本を裁いた、世界史上類のない、暴力である。
戦勝国・・・アメリカの、実に汚い手であった。

ちなみに、彼らキリスト教白人主義の犯した、植民地政策から、何から何までの、罪を、日本に背負わせたのである。
捏造の裁判であった。

posted by 天山 at 06:26| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

玉砕108

昭和26年、9月8日、サンフランシスコにおいて、対日平和条約、サンフランシスコ条約が調印された。

日本の独立である。

即座に、日本政府は、吉田茂首相以下、閣僚、衆参両議長を引き連れて、靖国神社に向かった。
平和条約から、一ヶ月と10日、秋の例大祭の、10月18日である。

敗戦後、初の公式参拝である。

これは、何より、真っ当な感覚である。
日本人として、真っ当な行為である。

さて、戦犯問題に関する、大切な取り決めは、サンフランシスコ条約第11条に書かれている。
これを了承して、日本は、占領六年目に、独立した。

第11条の取り決めは、大きく分けて、二つある。

一つは、日本は、戦争裁判の「判決」を受け入れるということ。
ところが、この「判決」の部分を「裁判」と、誤訳してしまったのである。

原文は、「判決」を認めるということになっている。

それでは、判決と裁判では、どう違うのか・・・
判決を受け入れるという場合は、A級戦犯の処刑に対し、さかのぼり、クレームをつけないということ。
事実上、処刑が行われた場合、受け入れるも、受け入れないもない。
取り返しがつかないのである。

だが、裁判を受け入れるという場合は、戦勝国が敗戦国を裁いた、裁判の理不尽な報復の構図を、認めろということになる。
日本は、未来永劫、東京裁判の内容について、異論を認めないということになる。

したがって、敗戦後、40年近くも、裁判を正当なものとして、受け入れねばならなかったかのように、取り沙汰されて、戦勝国の裁判について、一切、批判、糾弾することは、出来ないという、受け取り方をしてきたのである。

何たる、不覚か・・・

誤訳・・・
つまり、焦っていたゆえに、論議の仔細について、見逃していたのか。

そして、もう一つの、取り決めは、独立日本として、自らの手で、戦犯を釈放するのは、当然だが、その場合も、裁判の当事国の了解を得るようにということに、なっていたのである。

平和条約締結後、フィリピン・モンテンルパ、オーストラリア・マヌス島から、それまで戦犯として拘留されていた、日本兵が、続々と帰国している。
帰国後は、引き続き、巣鴨プリンズに収容された。
およそ、千人である。

日本としては、勝手な行動を取ってはいない。
平和条約第11条の規定通り、関係諸国の了解を求め、結果として、日本の手で、次々と、戦犯を釈放して、1958年、巣鴨プリンズは、閉鎖された。

サンフランシスコ平和条約に、日本と合計49カ国が、署名、批准し、日本は独立した。
それらの国々・・・

省略するが・・・
中華民国、つまり、台湾も、中華人民共和国も、韓国も、参加していない。
これは、事実である。

つまり、戦勝国扱いではなかったのである。
全く、論外だった。

そして、重要なことは、この条約に署名、批准していない国は、この条約に関するいかなる権利も権限も、与えないと、明記されている。

だから、中国、韓国は、全く、論外の対象であり、何の権利も権限も、有しないのである。

更に、条約には、署名、批准しない国が、日本に対して、減損され、害されるものではないと、明記されている。

平和条約締結の場から、外されていた国は、一切の、クレームをつけることは、許されないのである。

原文
対日平和条約第25条
この条約の適用上、連合国とは・・・、該当国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする・・・。ここに定義された連合国の一国ではないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によっても前記のとおり定義された連合国の一国ではない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

中国も、韓国も、論外なのである。
つまり、何ら、クレームをつける権利などはない。

A級戦犯が合祀されている、靖国神社に裁判するのは、近隣諸国の感情に対して云々・・・と言う話は、中国、韓国のことを言う。
他の、諸国は、何も言わない。

東南アジア、南アジア、そして、太平洋の島々のよる、国々・・・
一切、干渉しないのである。

靖国神社に参拝することは、当然なことであると、理解し、知っているのである。

戦没者に対する、慰霊の心は、何処の国も、変わらない。
当然なことである。

更に、日本国内法には、戦犯という、存在はない。
次に、その証拠を書き付ける。


posted by 天山 at 06:14| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

玉砕109

サンフランシスコ平和条約発効二日後の、4月30日、早くも国会にて、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を成立させた。

それは、戦場にて、傷ついたり、病気をしたのがもとで、亡くなった人、および戦死者の遺族に、遺族年金を保障するということを、決めたものだ。

更に、翌年、昭和28年、1953年、8月1日、前記の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部改正を行い、戦犯とされた人達にも、この法律を適用し、戦犯の遺族にも、同等の遺族年金、および、弔慰金を支給することを決めた。

それは、全会一致だった。

これは、この時点で、戦勝国が、どんな決定を下そうとも、独立日本政府として、戦死、戦傷病者も、戦犯による、刑死も、すべて国家の犠牲になったとして、厚生大臣の認定により、その扱いに、差をつけないというものだった。

つまり、言い換えれば、ここで、日本からは、戦犯という存在が無くなったのである。
戦犯処刑という言葉は、公文書にて、「法務死」と書かれることになった。

何と、温情のあることか。
それは、天皇の御心に添うものである。

当時の国会議事録には、戦死者は、戦勝国から見れば、犯罪人であろうが、日本人にとっては、犠牲者であるという、意識である。

ここで一人、木戸幸一内大臣の日記から見ると、
昭和20年12月6日、戦犯容疑者として、逮捕状の出た、木戸は、昭和天皇から、夕食に誘われている。
木戸が、戦犯容疑者指名を理由に、それを辞退したところ、
天皇は、「米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり」との、仰せである。

つまり、天皇の御心が、広く日本には存在したのである。

独立日本は、戦犯に対して、国を守った人としての、揺るぎない、位置づけを行なったのである。

当時の政治家は、偉いものである。
用意周到に、独立国日本として、戦犯の名誉を守った。

つまり、恩給法第九条によれば、
「死刑又は無期刑若しくは三年を超える懲役者は禁錮の刑」に処された者は、恩給権が消滅すると決められていた。その通りにすれば、戦犯として、処刑された者は、恩給が受けられなことになる。
だが、援護法の適用により、戦犯刑死という言葉を一掃して、「法務死」と呼び変えたことにより、戦犯として死刑となった者も、事務手続き上、なんら問題なく、恩給の支給対象になったのである。

同時に、戦犯刑死者の、靖国神社合祀となれば、問題が起きたかもしれないが、これも、国家で、法務死と規定した以上は、支障のないことになる。

つまり、靖国神社に祀れたのは、「戦犯」ではなく、「法務死」をされた方という形になる。

この、援護法制定の後に、衆議院本会議にて、戦犯の赦免に関する決議、可決により、サンフランシスコ平和条約、第11条の規定に従い、関係諸国の了解を得た日本には、自国の手で、戦犯の赦免に結論をつけて、巣鴨プリンズを閉鎖したのである。

日本には、戦犯は、存在しないのである。

再度、言う。
戦犯の問題は、昭和28年、独立から二年目に、すべて解決済みとなったのである。

日本のマスコミ、そして、中国、韓国の言い分には、全く、根拠の無いものである。
戦犯を祀る、靖国神社に参拝することは・・・云々・・・

あの、毛沢東でさえ、言わなかった。

特に、日本のマスコミは、悪意ある、言いがかりである。
反日左翼、マスコミという。

総理大臣は、公人として、堂々と、靖国神社に、参拝すべきである。
当然のことである。

カトリック作家の、曽野綾子氏でさえ、戦没者慰霊は、その夫、三浦氏と共に、靖国神社に詣でると言う。
何故か・・・
それは、靖国に帰ると、約束したからだという。
約束した以上、当然、靖国に詣でるのである。

そして、それは、国が、約束したことでもある。
戦死者は、靖国に英霊として、神として、祀る。

日本は、宗教の自由がある。
しかし、靖国神社は、宗教施設と言う前に、戦没者慰霊の、社、やしろ、なのであるということ。

政教分離には、当てはまらない。
別格なのである。

靖国で会おうと、斃れた兵士たち・・・
その心を、無下にすることが出来るのか。

私のように、遠く、異国の戦場まで出掛けて、追悼慰霊をせずとも、靖国神社に参れば、充分な慰霊になる。
その、慰霊の心を、知る者なのか・・・

更に、宗教を問わず、靖国神社は、誰もが参ることが出来る。
戦没者に対する慰霊であり、神道の信仰の問題ではないのである。

付け加えておく。
祈りの最高の形は、黙祷である。
これは、長年、慰霊を続けた私の、確信である。

余計な言葉、祈りの言葉は、必要ない。
祈りは、黙祷である。

靖国神社は、それの最たる場所である。
posted by 天山 at 06:20| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

玉砕110

特攻隊員の、遺書、遺文、日記を紹介しているが・・・
実際、時間がかかっている。

それは、読み込むうちに、涙が出るからだ。
何の事はない、文であるが・・・
だからこそ、感慨深い。

死を目の前にして、書く行為は、末期の眼がある。

更に、驚くべきは、その若さ。
若くして、死ぬことを前提に、物を書き付ける行為は、一体、どんな心境なのかと、想像する。

陸軍初の特攻隊である、富嶽隊の一員として、ルソン島東方の海上で、27歳にして、特攻死した、米津芳太郎少尉は、出撃前日、母と兄宛に、「訣別」と題する、遺書を残している。

再び還らざる出撃命令降りました。
今に及び何等心残りは御座いません。吾々人間として最大なる修養、ししとして死に赴く境地もさらに会得し、只軍人勅論、戦陣訓の訓をそのまま実行するのみです。
二十七年間の生涯を、何等子として弟としての道を守りあたはざりしを深く恥ずる次第です。
すべてを兄上に委ね、心置きなく悠久の大義に生きんとしております。
男子の本懐これに過ぎず。
遺品の中にある「マニラ」産の化粧石鹸、参謀長より賜った品です。二個の中、一個を峯子嬢に差し上げて下さい。
では呉れ呉れも母上をお願い致します。
迎寒の折、呉れ呉れもご自愛の程。

原文を読みやすくしている。

三人兄弟の末っ子として生まれた。
父を知らない。

戦友の話では、出撃前に、爆撃機の尾翼の陰で、泣いていたという。

後に、母よね、に、届けられた骨壷には、米津の汗のしみたシャツ一枚が、納められていたという。

二十七
人の世を生き
特攻す
語り継がれる
大和魂   天山

悠久の大義に・・・
それは、日本が存続する限り、続く大義である。

知覧から、出撃して、沖縄海域にて、22歳で、特攻散華した、和田照次は、出撃当日、両親と三人の妹に宛てて、遺書を残している。

昨年の七月以降、遂にお目にかかる機会はありませんでした。しかしあの時、夏の清々しい夕べ、明るい燈の下で皆様と楽しくお話した時の事はいつも忘れません。
私が居なくなってもみんなげんきで、御父さんは外でお働きになる、お母さんは内の仕事をおやりになる、けさ江やふき江、ともえはすこやかに大きくなって幸福な家庭を持つようになる。そして皆が明るく楽しく助けあって美しい生活を営む。私はそれを希ひ、それを祈っております。
出撃前で時間がありません。
私の心は如何にしてもこの大業を完遂する事と、みな様のお元気であることを願う事です。
では、御機嫌よう、さようなら

特別な文ではない。
ただ、思いの通りに、書いている。

だが、それが、遺書なのだ。
肉親に宛てた、遺書を、他人の私が読む。
まさか、その死後、70年を経て、他人が読むとは、考えなかっただろう。

特攻隊員は、実に優しい人間だった。
そこに、軍国主義のかけらもない。
ただ、使命に真っ当すること。

私は、どうしても、彼らのお陰で、生きているような気がする。
彼らの、死によって、生かされて、生きていると、感じる。

陸軍特攻振武隊の、第四剣隊の隊長として、23歳で、沖縄海域にて、特攻死した、中島秀彦は、出撃前日に、妹周子と栄子、出撃当日に、父母に、短い遺書を書いている。

周子宛
出撃前日。
何も言う事はない。
唯銃後女性としてひたすら驕敵撃滅に邁進せよ。戦争は意志の闘争だ。大戦果を挙げてやるから待っておれ。

栄子宛
毎日元気か。
お母さんにあまり考えなさるなと言って呉れ。
今度外出したら何か買ってやる。
体に気をつけよ。

父・六郎宛
拝啓。
只今当地に居ります。後、数時間後出撃、見事撃沈して見せます。私物品は整理して送付致しました。当地からは軍刀だけです。敬具

母・かた子宛
拝啓
色々とお世話になりました。晴の出撃も後数時間後です。お体を大切に。一足先にさよなら。

とても、短い。
その短さの中に籠る、思いは・・・

現実というものは、ただ、このように淡々として、存在する。
数時間後に、別の世界の人になる。
死ぬ。

平和を語るためには、戦争を知るべきであり、防衛と、軍備の有り様を知るべきである。
彼らが守った国を、只今の人も、守らねばならない。

posted by 天山 at 06:30| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

打倒・韓国65

韓国では、今日でも役人が上から下にいたるまですっかり賄賂漬けになっている。これは韓国社会の大きな恥部であるが、伝統的なものである。
朴テヒョク

25年ほど前に、書かれた本でも、そうようであり、現在もそうである。
そして、それは、また、李朝時代から続いている。

全斗煥政権のときに、政府が音頭をとって「清白吏運動」が推進された。アメリカやヨーロッパ諸国や日本だったら考えられないことである。それほど役人のあいだに、賄賂を受け取ることがゆきわたっていたのだ。


勿論、それも、宗主国だった、中国と全く同じである。

李朝末期の実状について、「朝鮮事情・朝鮮教会史序論」から、
王権は、理論的には最高のものだといわれているが、実際は非常に脆いものである。二、三代にわたる有名無実な国王と数回続けられる摂政政治の時代に、大貴族たちは、ほとんどの権力を掌握してしまっている。朝鮮人は、国王について見ざる能わざる人だ、と噂している。
朝鮮人は、現在の社会状況を頭と足が完全にやせ細っている一方、胸と腹だけが極度にふくらんで今にも破裂しそうな、そんな人間の姿で描いている。頭は国王を無力にし、下層貴族は農民たちの血を絞っているのである。

また、同書には、1866年、韓国で殉教した、フランス人神父が、パリの本部に送った書簡を、載せている。

朝鮮の大官たちの心は、金を集めて自分たちの目をたのしませるときだけ、喜びます。このことを心得ている門客は、控訴中のあらゆる人びと、あらゆる罪人、あらゆる下級職の野心家を探しあて、自分の取り分として十分に金を取り、権力にとりなしをしてもらわねばならない主人のためにさらに多額の金を用意させたのちに、彼らの仲介者を買って出て、ひいては保護をも約束します。一度金を払えば、彼の助けによって田舎者でも大博士となれ、両班になれ、また罪人も無罪となり、泥棒が司法官にさえなれます。一言でいって、門客と金さえあれば、取り除くことのできない障害もなく、洗い落とせない汚れもなく、無罪を証明できない罪もなく、首尾よく偽って立派に仕立てあげられない恥辱もありません。

門客とは、高官の舎廊棟に自由に出入りできる、客人のことである。
今日の、ブローカーのようなもの。

朴氏は、今日の韓国の有力な政治家と、その周辺を囲む人々について描いているようではないか! と書く。
25年前の本である。
ところが、今も続いている。

1866年に、殉教した、神父の発言である。
それが、現在までも、続く韓国社会である。

法治国家とは、言い難い社会、韓国。
現在の、裁判所の判決も、そのようである。

勿論、法治国家として、発展を望んだ日本統治時代は、本当に良い社会だった。
日本が去ると、途端に、逆戻りである。

そして、自分たちが、偉いと思う根性である。
何をやっているのか、分からないという、精神病者のようである。

朴氏の、書くことは、恐ろしい程である。
以下、

韓国では、交通事故で捕まっても、その場で鼻薬を効かせれば、見逃してくれる。だから、ドライバーには、運転免許証のあいだに、一万ウォン札を何枚かいつもはさんでいる者が多い。

パトカーは、白く塗られているために、通称「ベクチャ」(白い車)と呼ばれるが、パトカーの警官を二、三年勤めたら家が一軒買えるといわれるほどである。
警察官は庶民から「ライセンスをもった詐欺師」と呼ばれている。もっとも、その庶民も警察官になったら、袖の下を受け取るのだから救いがない。

だが、まだ、恐ろしいことが書かれる。

警官が日常的に賄賂を取るのは、けっして単独犯ではない。警察ぐるみだ。外勤の警官は、警察署へその日のあがりを持って帰って、署長以下全員で分けるのである。これは「上納」と呼ばれている。警察内部の共済制度のようなものである。

このような例を上げれば、キリがないようで・・・

あらゆる場所で、賄賂が必要なのだ。
もう一つだけ、書く。

学校の教師も、賄賂をとることでは例外ではない。幼稚園でも、国民学校―小学校のこと、でも、ふつうは母親が、年に春と秋の二回、子供の担任の先生に「寸志」を包むものだ。

喫茶店や、教員室で封筒に入れた現金を渡す。教員室だったら、先生が机の引出しを少しあけておくから、そこに入れる。先生はよきにつけ、悪しきにつけ、母親を呼び出す。

もっとも封筒が薄すぎた場合には、先生が突然のように威厳を回復して、「ああ、こういうものは貰えないから、あんたが使いなさい」といって、拒まれることになる。当事者の母親の立場になってみたら、相手の良心を麻痺させるだけの、殺虫剤の配合量が足りなかったのである。

恐ろしいことは、
もし、教師に袖の下を包まなかったら、子供が苛められることになる。・・・
子供のほうから親に、先生に金をあげるようにせがむことになる。

韓国の母親たちは、ことさらに教育熱心だ。「チマパラム」(スカートの風)といわれるが、自分の子供にだけよい成績をとらせようとして、金を包むことになる。小学校の教師だって、警察官にけって負けてはいない。小学校の教員を三年も勤めれば、家が建つ、といわれるほどだ。

更に、
現在では、大学の講師や教授になるのにも、裏金を必要とする。相場は、駆け出しの講師でも一億ウォンはかかるといわれる。(日本円では、約千六百万円)
これは、大学の経営者と教授会のメンバーの臨時収入として分けることになっている。

裁判だって、金しだいといわれる。韓国には恥ずかしいことだが、裁判のブローカーがいるのだ。

もう、この辺で、止める。

具合が悪くなる。

posted by 天山 at 07:16| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

打倒・韓国66

ホーマー・ハルバートの、朝鮮亡滅という本から、
裁判は金しだいでどうにでもなり、多額の金を提供するか、裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾にもっていることを見せつけるかしたほうが、かならず有利な判決にありつけることが世間一般の常識になっている。この国では、富と官職とは、実際上は同義語である。

これが、今の韓国の社会でもある。

これが、李朝時代からの伝統である。
そして、そこから、抜け出られていないのが、現状だ。

現在の韓国は、破産の手前である。
財閥企業も、結局は、海外資本に取られて、利益は、海外に流れる。
国民が、豊かになることは、限りなく無いのである。

以前にも書いたが、財閥企業に入社出来なければ、負け組に入り、以後、負け組の生き方を強いられる。

その若者たちが、熱を上げるのが、反日である。
唯一、それだけが、善なのである。
日本は、悪だから・・・

更に、悲劇なのは・・・
韓国人は、弱い者を虐めるのである。

ハルバートの、朝鮮亡滅には、
動物がひどく苦しがっていることが判るときでさえ、一般の朝鮮人はまったく関心を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子どもも大人も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめころしてしまう。
と、ある。

路上で不運な犬が首に縄をつけて犬肉店に引っ張られていくとき、子どもの群れがガヤガヤ騒ぎながらそのあとをついていく。子どもたちは、かわいそうな犬が首を絞められ、最期のあがきをするのを見たいという期待に胸をふくらませている。
とのこと。

これが、人間にも、適用される。

弱い、負け組人間は、皆々から、苛められるのである。

韓国社会は、思いやりが皆無である。
それは、朴テヒョク氏も書いている。

韓国では、エリートが、食堂の従業員や、運転手に対して、威張り散らすのは・・・
として、
矢張り、両班からの語りである。

李朝の始祖、李成桂が、軍人であり、クーデターによって、政権を簒奪したために、武と剣を警戒したゆえに発生した、両班という、存在。

両班は文官と武官の文武両班から構成されたから、両班と呼ばれた。
班は、席次とか、地位を意味する。

矢張り、中国に真似た、科挙がある。
科挙は、文武両班の官僚を採用するための、文科と、武科の試験に分かれた。

その他に、中国と摂政するための通訳を登用するための、訳科や、医科、天文、地理などの、陰陽科、技術科、技術官を採用するための、雑科があった。
しかし、文科こそが、科挙の中で、最も格が高く、重要だった。

両班にとって、科挙に合格することが、立身出世の関門だった。科挙こそ、死活を決定するもの。

受験生は古典をひたすら丸暗記して、美辞麗句を書く稽古に耽った。このような学問は、外観を整えることでしかなかったし、まったく実用性がなかった。実世界に何一つ役に立たない学問に打ち込むうちに、人格が歪められて、おかしくなる。儒教や中国の古典の教養を欠いた、働く民衆は野卑な存在でしかなかったから、民衆に対する思いやりなどはいだきようがなかった。


朴氏は、腐った中国の、儒教に侵されたと、嘆く。

それが、今でも、韓国のエリートが民衆に抱く、感情の元だ。

腐臭を発する中国文化が、韓国人の精神と社会生活を救いようがないほどまでに、ねじ曲げてしまったのだ。


これは、気の毒としか、言い様がない。
日本にも、儒教が入ってきた。しかし、日本の場合の儒教は、皇室から、そして、民に降ろされたものであり、一度、フィルターを通して、そして、日本流にアレンジされた。

例えば、イスラムでも、中東のイスラムと、インドネシアのイスラムは、別物とも言えるほど、違う。

儒教の中でも、排他的な朱子学は、江戸時代の政治の主たるものだったが・・・
全く、朝鮮のようには、行かなかった。

道教も、老荘思想とは別物となっていた、日本。
不思議である。

日本は、腐臭のする、中国文化を取り入れたが、腐臭させなかった。
それは、民族の根本が違うとしか、言い様がない。

いいとこ取り・・・
島国日本は、大陸の文化を、たっぷりと、受け入れたが、最初が肝心である。
兎に角、皇室という、フィルターを通したがために、歪なものも、真っ当なものとして、日本流として、咀嚼し、民に広がった。

だから、受け入れないものもあった。
すべてを、そのまま、鵜呑みにしなかったのである。

例えば、宦官や、纏足という習慣、制度である。
男性器を切り取り、官僚を作るなどということは、全く受け付けていない。

科挙という試験も、受け入れなかった。
勿論、多くの人達は、実に良く学んだが・・・
朝鮮のようではなかったのが、救いである。
posted by 天山 at 06:56| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

打倒・韓国67

私は、現在の日本の社会は、実に良い社会だと、思っている。
その一つは、言論の自由である。

韓国を好きだと言っても、嫌いだと言っても、いい。
韓国から渡来した文化を、評価することも、大いに結構だ。

親韓の人も、反韓の人も・・・
それぞれ、言いたいことを言える。

だが、韓国は、どうか・・・
それが、出来ないのである。
親日を口にすると、社会から、抹殺されるという。

反日が正義であり、親日は、悪なのである。

私は、総体的に、韓国を見て、この、打倒・韓国を書いている。
しかし、個人的に、韓国人と付き合うと、きっと、気の合う人も多いだろう。

更に、韓国人でも、冷静に、日韓関係を眺めることの出来る人達もいる。

引用させて貰った、朴氏や、シンシアリー氏、呉氏などなど・・・

私は、日本の社会が、健全であるためには、それぞれが、個人が、考えていることを、聞ける器量が必要だと、思っているし、それを希望する。

韓国、朝鮮人に対する、ヘイトスピーチを、容認していない。
しかし、その人達は、韓国で行われる、反日の言葉は、ヘイトスピーチではないのかと、言う。
それも、一理ある。

日の丸を、引き裂き、火を付けるなどする行為・・・
矢張り、気持ちの良いものではない。

さて、再度、韓国に、腐臭のする中国文化の影響を見る。

朴氏が、紹介する。
ホーマー・ハルバートは、李朝末期の韓国で活躍した。その、朝鮮亡滅、には、新羅が統一国家をようやく形成したときから、強力な中国文化が流入するようになったと、言い、

完成された古い文明の所産が、洪水のように流れこんできたのである。そのため、自らの営みで進歩を切り開いていこうとする励みが、まったく奪い取られてしまった。人民の創意性は、その芽をもぎとられ、彼らは、中国式理想に圧倒されてしまった結果として生じた知的停滞から、いまなお立ち直っていない。しかも、この中国思想が、かならずしも朝鮮人にぴったりくるものではなかったから、いっそうこのことが悔やまれる。それ以来というもの、朝鮮人は、中国文化のすさまじい進出のおかげをこうむるというよりは、それに耐えながらどうやら生き延びてきたといえよう・・・
ハルバート

日本では、ウリジナルという、冷やかし言葉で、韓国人の、我らが最初だという、歴史的事実を捏造する様を、表現する。
そして、中国人も、それに同調して、呆れている。

何せ、儒教の始祖、孔子でさえ、韓国人だというのだから・・・

文明は、韓国から始まった・・・

だが、実際は、上記の通りである。

中国は、文明の所産を放出することを通じて、大いに朝鮮を手助けしたとはいえるけれども、朝鮮自体の側からいえば、そうした文明の産物をいっきょにでなく徐々に受け入れ、そして朝鮮ふうにつくり変え、そうしたことを通じて、自らの知性を開発しつつ、文明の単なる物質的福祉に優る何物かを獲得するほうが、はるかによかったに相違ない。
ハルバート

それが、何故、出来なかったのか・・・
あまりにも、中国文明が、凄かったのか。

しかし、現実はそうならなかった。中国式の思考、宗教、風俗、芸術、文学、科学、倫理が朝鮮をおおった。私の考えるところ、その日から朝鮮民族の退化がはじまり、ついには現在のような絶望的な状態に落ち込んだのである。
ハルバート

恐るべき退化現象は、中国思想の導入とともにはじまった。若い新興国は、目の前に置かれた誘惑に抵抗しえなかった。それはちょうど、およそ節制ということを教えてもらったことのない子どもの前に、キャンディを山積みに出してやるようなものだ。中国文化にとびつき貪り食い、結局、食いすぎのために死んだのである。
ハルバート

朴氏は、
キャンディというよりは、毒饅頭というべき毒入りのキャンディだった。ちょうど同じころに、本家の中国も絶望的な状態にまで落ち込んでいたのは、当の中国人も、中国文化を貪り食ったために、食いすぎて死んだということだった。
と、書く。

これを、現在の韓国の人が、どう解釈するのか。
と、いうより、それを知らないのだろう。
教えられないからだ。

陸続きのせいか・・・
海を隔てると、日本のように、貪らないのか。

だが、日本にも、中国文化に、心酔していた人達が、大勢存在する。
そして、憧れた。
更に、中国に出掛けた文人も多い。
ところが・・・
憧れた中国文化は、皆無だった。

それよりも、油断も隙もない、中国人を見て、絶望した。

朝鮮の、事大主義とは、大に付くという、姿勢を言う。
いつも、大、あるいは、強いモノに付いた。

それは、中国文化か・・・
いや、それが、朝鮮人である。
ハルバートが、絶望的と言うが、実際は、最初から絶望的な民族だった。

そのように、解釈するしかない。
現在の、韓国人社会を見ても、絶望的である。
何処にも、救いがないのである。

だが、韓国人の名誉のために、韓国人も持つ、ある心境について、朴氏の、解説で、紹介する。

posted by 天山 at 07:34| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

打倒・韓国68

韓国人の名誉のために、朴氏が、指摘する、韓国人の精神の、理想像を紹介する。

ところが、儒教や中国文化という分厚く、醜い表皮を剥ぎとってみることができれば、韓国には、独自なすばらしい気質や、はつらつとした精神がある。韓国人は本来、気品にあふれた民族なのだ。韓国人は、豊かな人間性を十二分に備えている。


これは、期待する。

韓国独特の観念にモッがある。モッは、韓国だけに固有な言葉であるから、漢字をあてはめることができない。


モッを説明すれば「自然のように」とか、「自然で、無理のない生き方をする」とか、「一つの人生を天意無縫に生きる味がある」ということになろうか。


それは、老荘思想にもあるが・・・

日本語の「風流」とか「粋」とか比べることがあるが、それよりももっと精神的で意味が深い。このようなモッの精神は、韓国美術のなかでも高麗青磁や、李朝白磁によく現れている。自然がおのずから備えている美しさを、そのまま映しだしているのだ。中国の陶磁は、精密をきわめているが、身震いするほど人工的である。


確かに、高麗青磁、李朝白磁は、素晴らしい。
日本の焼き物も、朝鮮からもたらされたものである。

佐賀県の有田焼などは、そのまま、朝鮮からの職人によるものだ。
青磁や、白磁の伝統を継いでいる、焼き物である。

日本の、風流、粋とは、一部分の精神的活動である。

韓国は、陶芸が有名であるにもかかわらず、青磁、白磁のなかにも、花瓶が存在しない。花を切ってきて、屋内に飾るという習慣がないからだ。あるがままの自然を愛するために、日本の生け花のような発想が生まれなかったし、華道のような様式が発達することもなかった。花は、自然のなかで咲いているのが美しい、と考えてきたからである。


モッは人生哲学である。自然の道理にあった生活を尊ぶことである。自然に背くことが、人の心を傷つけることになる。ここから人間として歩むべき道があり、人間として持つべき心構えがあるという徳目が生まれる。


これ、韓国人の、面目である。
それは、理解する。
そして、共感する。

日本には、もののあはれ、という、心象風景が、あらゆる文化的なものに、流れている。

韓国の、モッを体現することは、難しいが、理解することは、出来る。

その、モツ、と老荘思想の、無為自然、そして、日本の、もののあはれ、というもの、それぞれの民族の、あり得べき、姿なのだろう。

どの、民族のものが、優れているという、問題ではない。

それぞれの、共感度が問題だ。

韓国では、人格のなかにモッのある人が、人として理想像とされてきた。そのような人を「モッチェンイ」と呼ぶが、「モッチェンイ」は、表面的には両班として礼儀正しく振舞うが、内面は自由な心を持ち、和やかで、無理をしない、人に迷惑をかけることなく、しっかりとした人生観を持っている人だということになる。


是非、現代の韓国人も、それを目指して欲しいものだ。

現在は、全くそんなものは、見えない。

今日、モッという言葉は、「モッチダ」(すばらしい)というときに使われているものの、外観について表現する言葉となってしまっている。李朝後期から、そのように意味が歪められて用いられるようになった。


現在では、ピエール・カンダンの靴を履いたり、ディオールのワイシャツを着たり、高価な香水をつけているのが、「モッタ」ということになっている。「モッチャンイ」というと、「おしゃれな人」という意味に変わってしまい、韓国社会は、あらゆるものが金額によって評価されるようになってしまった。


とても、残念なことだ。
言葉の意味合いが、変われば、その、モッという精神も無い。

言葉は、民族の精神の命である。

礼儀正しく振る舞って、心は自由である、という、モッという精神。
残念なことだが、反日行為をする、韓国人には、皆無と言える。

李朝時代の韓国は、官吏が上から下まで賄賂漬けになっていた。これも本場の中国であって、中国の悪臭に染まったものだった。韓国には、清廉潔白な官吏を意味する清白吏(チョンペクリ)という言葉がある。李朝時代を通じて、清白吏に対する憧れが強かった。しかし、憧れが強かったという事実は、清白吏がいかに稀であったかを、物語っているものである。


腐臭のする、中国文化に染まってしまった、朝鮮の悲劇である。

それでは、韓国人の精神とは、何か・・・
実は、もはや、何処にもそれらが、見当たらないのである。

そんな素晴らしい精神を有していた、韓国の人々・・・
早く目覚めて、民族の誇りと、その精神を、取り戻して欲しい。

民族の誇りを、取り戻すことによって、韓国は、新たに生まれ変わることが出来る。
そのような、指導者が、韓国には、必要である。

政治家ではない。
韓国から、思想家が出なければならない。
posted by 天山 at 06:54| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

打倒・韓国69

韓国と、韓国人を理解するためには、韓国での儒教の、在り方を知らなければならないようだ。

朴氏が、
儒教は、韓国人に悲劇をもたらした。儒教も「メイド・イン・チャイナ」である。儒教は孔子を開祖にしていることから、西洋では孔子教「コンフューシャニズム」と呼ばれている。この儒教が怪物となって暴れまわり、韓国人を苦しめることになった。
と、言う。

日本の江戸時代も、儒教を持って幕府が、政治を行なったが・・・
朴氏が書く儒教は、それとは、全く違うものである。

韓国では、大学教授が学生に対してだけではなく、周囲に対して権威を繕うのは、儒教の伝統の影響をこうむっているからである。儒教といえば、徳川幕府は、儒教の教えを用いて国を治めた。しかし、日本の儒教は、韓国や中国の儒教と比べれば、生っちょろいものである。・・・


確かに、そのようである。

儒教は、韓国人の性格を捻じ曲げてしまった。儒教は、瓶の上に載った巨大な漬物石のように、韓国人の精神を押し潰してしまった。


儒教が、中国で起こり、国教のようになったのは、紀元前136年のことであり、それから、20世紀、清が滅びるまで、続いた。
現在の、共産党一党独裁政権が続く理由も、理解出来るのである。

朝鮮に儒教が、入ってきたのは、14世紀末の、武力によって、高麗王朝を倒して、王位に就き、新王朝を創建してからである。
つまり、李朝朝鮮である。

太祖と呼ばれる李成桂は、首都を開城から現在のソウルである漢陽に遷都して、名称も漢城に改めた。また、儒教を国教として定めて崇儒斥仏を建国の理念とした。儒教という精霊を壺から取り出したのだった。


韓国では、それまで、仏教が力を持っていた。
新羅、百済、高句麗の三国時代から、高麗朝に至るまで。
高麗時代は、仏教の全盛期である。
儒教も取り入れられたが、仏教と、共存していたのである。

高麗朝までの儒教は、李朝における儒教とは、全く異なっていた。

李成桂が、政権を取ると、そのクーデターを支持した、高麗の若手官僚たちが、儒教を信奉していたゆえに、儒教を国教としたのである。

李朝は、儒教を韓国の民族性に合わせて、換骨奪胎することがなかった。


それが、悲劇の始まりである。

儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。


結果、仏教は、壊滅的状態になって行った。

李朝朝鮮は、儒教によってがんじがらめに縛りあげられた。韓国は李朝500年にわたって、儒教によって支配された。儒教は倫理説であるが、為政者のためにつくられた教えである。もとの中国でも、国家に忠実な御用学であった。


朴氏によれば、孔子の教えは、
目上の者によく服従し、古来から伝わってきた作法を、プログラムされたロボットのように守れば、天下社会の秩序が保たれるというものである。既存の秩序を守らなければならないという教学なのだから、支配者にとっては、都合がきわめてよかった。儒教は、他の教えや批判的な思考や、新しい考え方とか、人々の好奇心をいっさい封じ込めてしまった。そのために、儒教のもとでは、進歩がいっさいなかった。
と、いうことだ。

思想というものは、恐ろしいものである。
今では、この儒教の教えが、韓国人の、民族性まで、歪にし、更に、精神的に非常に不安定にさせていると、考える。

儒教は、共産主義にほんとうに似ている。これまでの共産主義国家を想像してみてほしい。共産主義を国教にして民衆を支配した国家は、みな国が本来備えているべき活力を失っている。自由がないからだ。共産主義も権力者のための御用学になってしまった。共産主義国では、旧ソ連から中国、旧ドイツ、北朝鮮、ベトナムにいたるまで、党幹部の並びかたの順番といったつまらないことが重視されたように、権威主義的な上下関係をことさらに強調してきた。


つまり、儒教は、別な形での、共産主義なのである。
厳密に考えると、そういうことになる。
それが、韓国人の精神を破壊した、ということである。

共産主義も、儒教と同じように神仏の存在を否定し、世俗的な権威を至上の権威とした。共産主義は、儒教と同じように独善的で、他の思想をすべて排斥して、批判や、新しい発想をいだくことを許さなかったから、人に備わっているもっとも大きな力である考える力を麻痺させてしまった。


韓国人は、考える力を、麻痺させたままに、今に至るとなる。
李朝時代の、500年間の、儒教が、今も存続しているのだ。

孔子は、家庭に加えて一族を重視した。孝は、儒教においてもっとも基本的な徳目である。親に孝行したり、先祖に感謝するのはよいことだが、親や、先祖の恩を途方もなく膨らませたために、人々は親や、先祖の恩という過大な債務によって押し潰されてしまった。
韓国語の「アボジ」(父)という言葉は、日本語の「父」や、英語の「ファーザー」よりもはるかに権威があって、重々しいものだ。


それが、現在まで続く。
確かに、良いことではあるが・・・
それが、極端になると、どうなるのか。

韓国社会の、停滞を招いている。

ただし、現在は、その、孝行も、廃れた。
親を捨てる韓国人たち・・・

そうすると、どうなるのか・・・
破滅である。
そして、もう、自制が効かない、社会になる。

こうして見ると、韓国の、病理が見えてくる。
悲しいことだ。

posted by 天山 at 08:06| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

もののあわれについて796

月くまなう澄み渡りて、霧にも紛れずさし入りたり。浅はかなる廂の軒は、程もなきここちすれば、月の顔に向かひたるやうなる、あやしうはしたなくて、まぎらはし給へるもてなしなど、言はむかたなくなまめき給へり。故君の御事も少し聞え出でて、さまよう、のどやかなる物語りをぞ聞え給ふ。さすがに、なほ、かの過ぎにしかたに思し落すをば、うらめしげに恨み聞え給ふ。




月の光は、陰りもなく澄み切って、霧にも遮られず、部屋に差し込んでいる。浅い作りの廂の軒先は、奥行きがないので、言いようもなく、なまめかしくしていられる。亡き柏木のお話も、少し申し出されて、感じよく、穏やかな話を、申し上げる。それでも、やはり、亡くなった柏木より、低くお考えになっているのを、夕霧は、恨めしく、恨み申し上げる。




御心のうちにも、「かれは、位などもまだ及ばざりける程ながら、たれもたれも御許しありけるに、おのづからもてなされて、見なれ給ひにしを、それだに、いとめざましき心のなりにしさま。ましてかうあるまじき事に、よそに聞くあたりにだにあらず、おほ殿などの聞き思ひ給はむことよ。なべての世のさしりをばさらにも言はず、院にもいかに聞しめし思ほされむ」など、離れぬここかしこの御心を思しめぐらすに、いと口をしう、わが心ひとつにかう強う思ふとも、人の物いひいかならむ。御息所の知り給はざらむも罪えがましう、かく聞き給ひて、心幼くと思し宣はむもわびしければ、女二「明かさでだに出で給へ」と、やらひ聞え給ふよりほかのことなし。




お心の中でも、あの柏木は、位なども、まだ問題にならないほどだったのに、どなたも、どなたも、お許しになったので、自然にそんな気持ちになって、お馴染みになったが、それさえ、酷く薄情な人なってしまった。それどころか、こんな、あってはならない事を。人事として、聞ける間柄でさえないものを、太政大臣などが、お聞きになったら、どう思うことか。
一般の世間の非難は、言うまでもないことで、院におかせられても、どのように、お聞き遊ばすのか、などと、御縁者の、誰彼の心を、色々と考えると、まことに残念で、自分一人が、このように気づよく思っても、世間の噂は、どんなことになろうか。御息所が、ご存知ないのも、罪深い気がして、こうと聞いて、考えのない事をと、思いになり、おっしゃる様子も、それが、辛いので、女二の宮は、せめて、夜を明かさずに、お帰りくださいと、追い出されるより、致し方がないのである。




夕霧「あさましや。事あり顔に分け侍らむ朝露の思はむところよ。なほさらば思し知れよ。かうをこがましきさまを見え奉りて、かしこうすかしやりつ、と思し離れむこそ、その際は心もえ治めあふまじう、知らぬ事々、けしからぬ心使ひもならひ始むべう、思ひ給へらるれ」とて、いとうしろめたくなかなかなれど、ゆくかりにあざれたる事の、まことにならはぬ御ここちなれば、いとほしう、わが御みづからも心劣りやせむ、など思いて、たが御ためにもあらはなるまじき程の霧にたち隠れて、いで給ふ。ここちそらなり。

夕霧
萩原や のきばの露に そばちつつ 八重たつ霧を 分けぞゆくべき

濡れごろもは、なほえ干させ給はじ。かうわりなうやらはせ給ふ御心づからこそは」と聞え給ふ。げに、この御名のたけからず漏りぬべきを、「心のとはむにだに、口清うこたへむ」と思せば、いみじうもて離れ給ふ。

女二
分けゆかむ 草葉の露を かごとにて なほ濡衣を かけむとや思ふ

めづらかなる事かな」と、あはめ給へるさま、いとをかしう恥づかしげなり。年ごろ、人に違へる心ばせ人になりて、さまざまに情けを見え奉る名残なく、うちたゆめ、好き好きしきやうなるが、いとほしう心恥づかしげなれば、おろかならず思ひ返しつつ、かうあながちに従ひ聞えても、のちをこがましくや、と、さまざまに思ひ乱れつついで給ふ。道の露けさも、いとところせし。




夕霧は、驚きます、ただならぬ仲のような顔で、踏み分ける朝露が、どう思うでしょう。でも、そうおっしゃるならば、ご承知ください。このようなバカな姿を、見せ申して、うまく騙して、追い出した、とお考えなさるようなら、その時は、この心も、抑えることが出来ずに、思いもかけない事や、けしからぬ考えも、出てきそうに思われます。と、後が気になり、かえって、心残りだが、出し抜けに手を出すことは、本当に、経験のないことなので、宮にも、お気の毒であり、ご自身も、自己嫌悪にならないかと、考えになって、どちらの御ためにも、目立たないほどの朝露にまぎれて、お出になる。その心は、上の空だ。

夕霧
萩原の、軒先の露に濡れつつ、幾重にも立ち込めた、霧を分けて帰らなければ、ならないのですか。

濡衣は、あなたも、お晴らしになれませんでしょう。こう、無理に追い出し遊ばす、お心のせいです。と、申し上げされる。まことに、宮様の、御浮名は、聞きにくく伝わるに違いないが、我が心の咎めにだけでも、潔白だと考えよう。と、考えて、酷いこと、よそよそしい、なされようである。

女二
ご自分が、踏み分けてゆく、草葉の露に、濡れるのを言いがかりにして、私にまで、濡衣を着せようと思いですか。

聞いたことのない、お話です。と、たしなめられたご様子は、負けたと思う。長年、人とは違った人情家になって、色々、思いやりのあるところを、お見せしていたのとは、違って、油断させ、好きがましい態度なのが、お気の毒であり、気が引けるので、少なからず、反省しつつ、こう無理して、お言葉に従い、後で馬鹿を見ないかと、ああか、こうかと、思案にくれながら、出てお行きになる。その道の、露も、酷いものである。


posted by 天山 at 06:10| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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