2016年02月25日

もののあわれについて794

いと苦しげにし給ふなりとて、人々もそなたにつどひて、おほかたも、かかる旅どころにあまた参らざりけるに、いとど人ずくなにて、宮はながめ給へり。しめやかにて、思ふこともうちいでつべき折かなと、思ひ給へるに、霧のただこの軒のもとまで立ち渡れば、夕霧「まかでむ方も見えずなりゆくは、いかがすべき」とて、

夕霧
山里の あはれをそふる 夕霧に 立ちいでむ空も なき心地して

と、聞え給へば、
女二の宮
山がつの まがきをこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず

ほのかに聞ゆる御けはひに、なぐさめつつ、まことにかへるさ忘れはてぬ。




とても、苦しそうにしていられるようだとあり、女房たちも、御息所に集まって、普通は、こんな仮住居に、沢山はお供しなかったのに、いっそう、人少なく、宮は、物思いに沈んでいられる。夕霧は、心の内を打ち明けるのによい折と思っていると、霧が、この軒の所まで立ち込めたので、夕霧は、出てくる方角も、わからなくなったようで、どうしたものでしょう。と、言い、

夕霧
山里の、物寂しさを募らせる、この夕霧の中を、帰ってゆく気持ちには、なれません。

と、申し上げると、


卑しい、山里の垣根を包み込める霧も、ここに、気持ちのない人は、引き止めないのです。

微かに聞こえてくるご様子に、心を慰めながら、本当に、帰るのを、忘れてしまった。




夕霧「中空なるわざかな。家路は見えず、霧のまがきは、立ち止まるべうもあらずやらはせ給ふ。つきなき人はかかる事こそ」などやすらひて、忍びあまりぬる筋もほのめかし聞え給ふるに、年頃もむげに見知り給はぬにはあらねど、知らぬ顔にのみもてなし給へるを、かく言にいでて恨み聞え給ふを、わづらはしうて、いとど御いらへもなければ、いたう嘆きつつ、心のうちに、またかかる折りありなむや、と思ひめぐらし給ふ。「なさけなう、あはつけき者には思はれ奉るとも、いかがはせむ。思ひわたるさまをだに知らせ奉らむ」と思ひて、人を召せば、御司のぞうよりかうぶり得たる、むつまじき人ぞ参れる。しのびやかに召し寄せて、夕霧「この律師に、必ずいふべき事のあるを、護身などに暇なげなめる、ただ今はうち休むらむ。今宵このわたりにとまりて、初夜の時はてむ程に、かの居たるかたにものせむ。これかれ候はせよ。随身などの男どもは、栗裾野の荘近からむ。まぐさなど取りかはせて、ここに人あまた声なせそ。かうやうの旅寝は、軽々しきやうに人もとりなすべし」宣ふ。あるやうあるべし、と心得て、承りて立ちぬ。




夕霧は、気持ちが落ち着かない。帰り道は見えないし、霧のこめたこのまがきは、立ちどまることも出来ないまでに、追い払われ遊ばす。物慣れない者は、こんな目に遭う。などと、ぐずぐずして、抑えきれない思いを、少し打ち明けられるが、これも、まるで、気づかないわけではないが、知らない顔で、通してきたのに、こうして、言葉に出して、お恨み申し上げると、うるさくなり、いよいよ、お返事もないので、ひどくがっかりしつつ、内心では、二度と、こんな機会があろうか、と思案を巡らす。
酷い人、考えのない人と、思われても、今更、どうしよう。長年思い続けてきた事だけでも、知っていただこう。と思い、供人をお呼びになり、右近衛府の将監から叙爵した、側近の者が参上した。そっと、お傍に呼び寄せて、夕霧は、ここの律師に、どうしても、言っておかねばならない事があるが、護身などで暇もなさそうだ。今頃は、休んでいるだろう。今晩は、この辺りに泊まって、初夜の終わる頃に、律師のいる場所に行こう。誰と誰をおいてゆけ。随身の者共は、栗栖野の荘だ近くだ。馬に、まぐさなどを食わせて、ここは、大勢の声を立てずに。このような所で泊まるのは、ふさわしからぬと誰もが、考えるだろう。とおっしゃる。何か訳があるのだろうと知り、承知して、去った。




さて、夕霧「道いとたどたどしければ、このわたりに宿かり侍る。同じうは、このみすのもとに許されあらなむ。阿闍梨のあるる程まで」など、つれなく宣ふ。例は、かやうに長居して、あざればみたるけしきもも見え給はぬを、うたてもあるかな、と宮おぼせど、ことさらめきて、かるらかにあなたにはひ渡り給はむも、あさましきここちして、ただ音せでおはしますに、とかく聞え寄りて、御消息きこえ伝へにいざり入る人の影につきて、入り給ひぬ。




そうして、夕霧は、帰り道がはっきりしないので、この辺に、宿をお借りします。同じことなら、この御簾の傍をお許し下さい。阿闍梨が控え所に下がる時分までです。などと、何食わない顔で、おっしゃる。いつもは、このように長居して、ふざけたような態度は、見せないのに、困ったことだと、宮は考えるが、わざとらしく、さっさと、あちらへ座をお移しになるのも、具合の悪い気がして、ただ、音を立てずに、お出で遊ばすと、あれこれと言い寄って、お言葉を申し伝えに、奥にいざり入る女房の影に隠れて、御簾の内にお入りになった。




まだ夕暮れの、霧に閉ぢられて、内は暗くなりにたる程なり。あさましうて見返りたるに、宮は、いとむくつけうなり給うて、北の御障子のとにいざりいでさせ給ふを、いとようたどりて、引きとどめ奉りつ。御身は入りはて給へれど、御ぞのすその残りて、障子はあなたよりさすべきかたなかりければ、引きたてさして、見ずのやうにわななきおはす。人々もあきれて、いとわりなくて、あらあらしくはえ引きかなぐるべくはた物し給はねば、女房「いとあさましう。思う給へよらざりける御心の程になむ」と、泣きぬばかりに聞ゆれど、夕霧「かばかりにて候はむが、人よりけに、うとましうめざましう思さるべきにやは、数ならずとも、御耳なれぬる年月も重なりぬらむ」とて、いとのどやかにさまよくもて静めて、思ふ事を聞え知らせ給ふ。




まだ夕暮れなのに、霧に閉じ込められて、家の内は、暗くなっているころ。女房は、びっくりして、振り返ると、宮は、薄気味悪くなり、北側の、襖の外に、いざってお出ましになった。とてもうまく探り当て、お引き止めした。お体は、出てしまわれたが、お召し物の裾が残り、襖は、あちらから止め金のかけようもないので、閉めたまま、水のように、震えている。
女房たちも、呆れて、どうしたらよいのか、考えもつかない。こちらから止め金もあるが、困り切って、手荒く引き離す事のできるご身分のお方でも、ないゆえ、女房は、何とひどいことを。思いもかけないお心です。と、泣くように申し上げるが、夕霧は、この程度、お傍にいるのが、誰にもまして、いやらしい、けしからぬと、お考えになるようなことでしょうか。つまらない私ですが、お耳に慣れての、年月も、随分になりましょう。と、悠々と、焦らず、体裁よく、落ち着いて、心の中をも申し上げる。




posted by 天山 at 06:58| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。