2016年02月22日

もののあわれについて791

げにさも思しぬべき事と、あはれに見奉り給うて、源氏「その焔なむ、誰も逃がるまじき事と知りながら、あしたの露のかかれる程は、思ひ捨て侍らぬになむ、目蓮が仏に近き聖の身にて、たちまちに救ひけむ例にも、え継がせ給はざらむものから、玉のかんざし捨てさせ給はむも、この世には恨み残るやうなるわざなり。やうやうさる御心ざしをしめ給ひて、ものさわがしきやうに、静かなる本意もなきやうなる有様に、明け暮らし侍りつつ、みづからのつとめに添へて、いま静かにと思ひ給ふるも、げにこそ心幼き事なれ」など、世の中なべてはかなく、いとひ捨てまほしきことを、聞えかはし給へど、なほやつしなく御身の有様どもなり。




そのように、考えるのは、当然だと、中宮の心を、気の毒に思い、源氏は、その焔は、それは、誰もが逃れることができないと、分かっていながら、露のような命の消えない間は、この世を、捨てられません。目蓮は、仏に近い、聖でいて、すぐに母親を助けたいという故事に続く、第二の例は、付け加えることは、お出来にならないでしょう。ご出家遊ばしても、この世には、恨みが残ることです。だんだんと、そういうお気持ちを強くなさり、あの苦しみの煙が、綺麗になるような事をして下さい。私も、出家しようと考えることも、ございますが、何か、ざわざわとして、静かにしていたいという、願いも叶えられない有様で、毎日を過ごしています。自分のために、勤行と一緒に、お母さまの供養も、そのうちに、静かにと存じますが、いかにも、至らない考えでした。など、この世は、何もかも無常であり、出家したいことを、お互いに、お話し合いされるのだが、それでも、出家は、難しい、お二人の有様なのである。




よべはうち忍びてかやすかりし御ありき、今朝はあらはれ給ひて、上達部なども、参り給へるかぎりは皆御送り仕うまつり給ふ。東宮の女御の御有様のならびらく、いつきたて給へるかひがひしさも、大将のまたいと人に異なる御さまをも、いづれとなくめやすしと思すに、なほこの冷泉院を思ひ聞え給ふ。御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞ覚え給ふ。院も常にいぶかしう思ひ聞え給ひしに、御対面の稀にいぶせうのみ思されけるに、いそがされ給ひて、かく心安きさまにと思しなりけるになむ。




昨夜は、こっそりと、お手軽なお出ましだったが、今朝は、知れてしまい、上達部に至るまで、上皇御所にお出でになった方、皆が、揃って六条の院に、お供をお勤めになる。東宮の女御は、並ぶ者のないご様子で、大事に育てただけのことはあり、大将、夕霧は、他の連中と、かけ離れて、優れていて、どちらも安心だと、源氏は、思うのである。
それでも、この冷泉院を心配される気持ちは、二人の子供以上であり、心から気にしている。冷泉院の方でも、いつも気にされていらっしゃるが、ご在位中は、お会いすることが、ほとんどなかったので、気がかり思っていらしたため、気がせいて、このように、気楽な状態になりたいと、ご譲位されたのである。

冷泉院とは、源氏の隠し子である。
本当の親子になる。




中宮ぞ、なかなかまかで給ふ事もいと難うなりて、ただ人の中のやうに並びおはしますに、今めかしう、なかなか昔よりもはなやかに、御遊びをもし給ふ。何事も御心やれる有様ながら、ただかの御息所の御事を思しやりつつ、行の御心すすみにたるを、人の許し聞え給ふまじきことなれば、功徳のことを、たてておぼし営み、いとど心深う、世の中を思し取れるさまになりまさり給ふ。




中宮、秋好む中宮は、今は、かえって、お里下がりが大変出来にくくなり、臣下のご夫婦のように、いつもご一緒に、いらっしゃる。現代風なご生活は、かえって、昔より、派手で、音楽会などもされる。
何事も、ご満足のゆくご様子なのだが、ただ、あのお母さまのことを考えて、仏道修行のご希望が、強くなったが、お許しが出そうもないことなので、お母さまの、追善供養を主にして、なさり、益々と、信仰心が深くなり、この世を、無常と悟ったご様子が、強くおなりである。

敬語続きで、現代文にするのは、大変である。
すべて、敬語で、敬語の敬語である。

とりあえず、鈴虫を、終わる。
次は、夕霧、である。



posted by 天山 at 06:56| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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