2016年02月09日

玉砕101

陸軍特攻隊六十一振武隊の一員として、25歳で、沖縄方面海域にて、特攻散華した、若杉潤二郎の、母宛の遺書である。

母上様
先日は突然帰って驚きのことだったろうと思います。早速お便り差上げようと思いながらさて改まって書くこともなく過ごして来ました。何の親孝行も出来ず心苦しく思います。二十年幸せだったと心から思います。有難う御座いました。
自分も小隊長として可愛い部下三名、十九と二十の若武者を引き連れて突撃して往きます。花はつぼみと言いますが本当に清らかなものです。篠原、田中、山本の三伍長です。この手紙がつく頃は見事戦果をあげてみせます。自分よりこの三人の可愛い部下の為祈ってやって下さい。
くれぐれもお身ご大切に長命を祈って居ります。お元気でお元気でお過ごし下さる様。
では往きます。必ずやりますからご心配なく。
皇国の弥栄祈り 玉と散る
心のうちぞ たのしかりける


上記で、驚くのは、自分よりも、三人の可愛い部下のために、祈って下さいというものだ。
特攻賛美をする者ではないが・・・

特攻と言う行為は、このような美しい心情を作るものなのか・・・
自分のことよりも、部下のために、言って下さいという、心境である。

感動する。

25歳の若者が、この心境に至る行為に、特攻という行為がある。
死を目の前にして、人は、末期の眼を持つ。
この末期の眼が、これほど、美しいとは・・・

正に、神と呼ばれる者に、相応しい。
靖国神社では、英霊という、神として、祀られている。
ただ、その名を、奉持するのである。

名前を奉持するのは、何も、日本の伝統だけではない。
インドネシアの英雄墓地も、それぞれの墓石を建てているが、遺骨はない。
ただ、名前を一つ一つの墓石に記してある。

その中には、元日本兵であり、その後、インドネシアの独立戦争に加担した、日本兵も、英雄として、祀られている。

さて、靖国神社の問題の一つに、宗教という枠がある。
敗戦後、アメリカ占領軍により、国家神道の形を解体された。
それは、それでいい。

その後、宗教法人というものに、神社が入ることになる。

だが、神道自体が、教祖無く、教義も無い。
それは、縄文期からの、伝統である。

日本の伝統的、宗教的、あり方である。

的なのだ。

他の宗教から、一つの宗教施設に、慰霊をする、更に、神社参拝をするという、イメージがある。
全く、それには、意味は無い。

靖国神社は、当時の日本国の、約束を果たす場所だった。
つまり、戦争にて、命を亡くした兵士は、靖国に、神として、祀るという、約束である。

その約束を、ただ、実行しているだけである。

ちなみに、神社は、神社本庁に属するが、靖国神社は単立の施設である。

戦没者を追悼慰霊する、場所として、当時から、国が約束していた施設なのである。
その約束を、淡々と果たす施設である。

一つの宗教施設であるという、考え方が誤っている。

そして、もう一つは、戦犯を合祀しているというものである。
戦犯とは、東京裁判にて、判決が下されたものである。
戦勝国側が、勝手に、戦犯として、裁いたものである。

日本には、戦犯というものは、存在しない。

戦争犯罪人を、祀る施設に、慰霊するのは、誤りだ、などとは、他国の言うことである。それは、日本の伝統を無視した、実に、野蛮な考え方である。

世界の至る所の国は、その国の戦没者に対して、礼を尽くす。
日本も、それと同じように、戦没者に尽くしているのである。

マッカーサーが、靖国神社を取り壊そうとした際に、カトリックの神父に相談している。
そこで、ドイツ出身の、ブルノー・ビッテル神父に言われた。

もし、靖国神社を焼き払っさたとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。・・・
いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものたちは、すべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを、進言する。
との、言葉である。

どの国においても、戦没者は、手厚く祀られる。
当然、日本の場合も、同じであり、宗教云々の問題ではないということだ。

白人の、キリスト教であるから、日本の神道については、全く理解が出来ないだろう。
一神教の考え方では、日本の伝統的、宗教的存在を、理解出来るわけがない。

また、更に言えば、宗教という、概念は、キリスト教から出たものである。
江戸時代に、宗教という言葉は、なかった。
あえて、言えば、通訳の際に、宗派という言葉を使った。

宗教学なるものは、キリスト教が一番上で、他の宗教は、キリスト教に発展してくるという、前提で、成り立ったものである。

勿論、今は、違う。
一神教が、悪の源であると、考える人達が増えてきた。

ユダヤ、キリスト、イスラム教という、一神教を見れば、一目瞭然である。
いつも、戦争をしている。
相手の宗教を、絶対に認めない。
実に、非寛容で、排他的である。
更に、異教徒は、殺してもいいのであるから、手が付けられない。

また、更に、それぞれの宗派の対立も、実に野蛮極まりないのである。

日本の宗教的、神道という、伝統行為を、理解出来る訳がない。
神道は、宗教的であるが、宗教ではない。

日本の伝統である。



posted by 天山 at 04:27| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。