2016年02月05日

もののあわれについて790

六条の院は、中宮の御方に渡り給ひて、御物語など聞え給ふ。源氏「今はかう静かなる御住まひに、しばしばも参りぬべく、何とはなけれど、過ぐるよはひに添へて、忘れぬ昔の御物語りなど、承り聞えまほしう思ひ給ふるに、なににもつかぬ身の有様にて、さすがにうひうひしく、所せくも侍りてなむ。われより後の人々に、方々につけて後れ行くここちし侍るも、いと常なき世の心細さの、のどめ難う覚え侍れば、世離れたる住まひにもやと、やうやう思ひ立ちぬるを、残りの人々のものはかなからむ、ただよはし給ふな、と、さきざきも聞えつけし、心たがへず思しとどめて、ものせさせ給へ」など、まめやかなるさまに聞えさせ給ふ。




六条の院、源氏は、中宮の御殿に、お出でになり、お話などを申し上げる。源氏は、今は、このように、お静かなお住まい、いつもお伺いするはずで、別に、大したことではなくても、年を取るにつれて、忘れない昔話なども、伺い、申し上げしたく存じますが、私は、何とも優柔不断の状態で、それでも、動きまわるのが、きまり悪く、窮屈でもありまして、いつ死ぬかわからない人の世の、心細さで、ゆっくり出来ない気がします。この世を離れた、山寺にでもと、次第に気持ちは、進みますが、後に残る者達が、頼りないことでしょう。よろしくお願い申し上げますと、前にも申し上げましたが、その気持を変えずに、ご注意されていただきたいと、申し上げます。と、真面目なお話を、申し上げる。




例のいと若うおほどかなる御けはひにて、秋好「九重の隔て深う侍りし年頃よりも、おぼつかなさのまさるやうに、思ひ給へらるる有様を、いと思ひのほかにむつかしうて、皆人のそむき行く世を、いとはしう思ひなる言も侍りながら、その心のうちを聞えさせ承らねば、何事も先づたのもしき影には聞えさせならひて、いぶせく侍り」と、聞え給ふ。源氏「げにおほやけざまにては、限りある折節の御里居も、いとよう待ちつけ聞えさせしを、今は何事につけてかは、御心に任せさせ給ふ御うつろひも侍らむ。さだめなき世と言ひながらも、さしていとはしき言なき人の、さわやかにそむき離るるも有難う、心やすかるべき程につけてだに、おのづから思ひかかづらふほだしのみ侍るを、などかその人まねにきほふ御道心は、かへりてひがひがしう、おしはかり聞えさする人もこそ侍れ。かけてもいとあるまじき御事になむ」と聞え給ふを、「深うも汲みはかり給はぬなめりかし」と、つらう思ひ聞え給ふ。




いつものように、お若く、おっとりしたご様子で、秋好は、御所の奥に住んでおりましたころより、お目にかかれず、どうしていらっしゃるのかと、心配する気持ちが強くなるように、思われ、考えもしなかった嫌なことで、皆が出家したり、亡くなったりするこの世を、捨てたくなるようなこともございますが、その気持は、まだ申し上げてご意向を伺っておりませんので、何事も、第一に、あなた様を頼りにする癖がついていますので、機にしております。と、おっしゃる。
源氏は、お言葉通り、宮中にいらした時は、しきたりの場合、場合のお里下がりを、嬉しくお待ちしていましたが、今は、何の理由で、ご自由に、遊ばすことが出来ましょう。定めなき世とは、申しても、これといって、理由のない人が、さっぱりと出家してしまうのは、出来ないことでして、気軽に出家出来る身分の者でも、いつしか、関わりあう係累が出来ます。どうして、そんな人ら真似て、負けずに、出家しようとするお気持ちでは、かえって、変な心がけと、推察することもあっては、困ります。絶対に、されてはいけないことです。と、申し上げるのを、自分の気持ちを、深く汲みとってくださらないのだと、中宮は、辛く思うのである。




御息所の御身の苦しうなり給ふらむ有様、いかなる煙の中に惑ひ給ふらむ。なきかげにても、人にうとまれ奉り給ふ御名のりなどの、出で来ける事、かの院にはいみじう隠し給ひけるを、おのづから人の口さがなくて、伝へ聞しめしけるのち、いと悲しういみじくて、なべての世いとはしく思しなりて、かりにても、かの宣ひけむ委しう聞かまほしきを、まほにはえうち出で聞え給はで、ただ、秋好「なき人の御有様の、罪軽からぬさまに、ほの聞く事の侍りしを、さるしるしあらはならでも、おしはかりつべき事に侍りけれど、おくれし程のあはればかりを忘れぬ事にて、物のあなた思う給へやらざりけるが物はかなさを、いかでよう言ひ聞かせむ人の、勧めをも聞き侍りて、みづからだにかの焔をも、醒まし侍りにしがなと、やうやうつもるになむ、思ひ知らるる事もありける」など、かすめつつぞ宣ふ。




母親の、御息所が、ご自身、お苦しみになっているご様子、どのような煙の中で、困っていらっしゃるのだろうかと、お亡くなりになってからも、源氏に、嫌がられる物の怪になり、名乗りでたということ、六条の院では、厳しく隠されたが、いつしか、人の口は、うるさいもので、伝え伝えて、お耳に遊ばしたので、悲しく、辛く、何もかもが嫌になり、いい加減でもいい、お母さまがおっしゃった事を、詳しく聞きたいのだが、そのままには、おっしゃらず、ただ、秋好は、お母さまが、あの世で、罪が軽くないように、耳をすることもございましたので、その証拠がはっきりしているのではなくても、娘の私が、推察すべきことでしたのに、先立たれた時の嘆きばかりを、忘れずにおりまして、死後の世界を考えませんでした、至らなさ。何とかして、教えてくれる僧侶の勧めを聞きまして、せめて私でも、その、お苦しみの焔を和らげて差し上げたいと、年を取るにつれて、考えるようになりました。など、出家の理由を、暗におっしゃる。




六条の御息所が、秋好む中宮の、母親だった。
その、御息所は、何度も、物の怪となり、源氏に関わる人達に、憑いたのである。

生きている時は、生霊として、死後は、死霊として。

当時は、病などは、物の怪のせいであると、信じていた。
ただ、生霊、死霊につけては、現代でも、私は、その可能性があると、言う。

それは、人の思いである。
思念と言ってもいい。

生きていても、その死後も、思念は、無くならない。
そのように、考える。
科学の無かった時代の、産物とは、考えない。

ただ、現代の人が、忘れてしまったのである。

また、物に、思いが憑くということも。
それを、物にも、心があると、表現した。
それも、現代でも、充分に有り得ることだ。



posted by 天山 at 06:22| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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