おましを譲り給へる仏の御しつらひ見やり給ふも、さまざまに、源氏「かかる方の御いとなみをも、もろともに、いそがむものとは思ひ寄らざりし事なり。よし後の世にだに、かの花の中のやどりに、へだてなくとを思はせ」とて、うち泣き給ひぬ。
源氏
蓮葉を 同じ台と 契りおき 露のわかるる けふぞ悲しき
はちすばを おなじうてなと ちぎりおき つゆのわかるる けふぞかなしき
と御硯にさしぬらして、香染なる御扇に書きつけ給へり。宮、
女三の宮
へだてなく 蓮の宿を 契りても 君が心 やすまじとすらむ
と書き給へれば、源氏「いふかひなくも思ほしくたすかな」と、うち笑ひながら、なほあはれと思ほしたる御気色なり。
北廂との間の、御障子も外して、御簾がかけてある。そちらの方に、女房たちをお入れになり、静かにさせてから、宮にも、法会の内容がお分かりになるように、予備知識を教えて差し上げる。いかにも、ご親切なお扱いである。
宮が、御座所を明け渡しされ、その仏様の飾り付けに、目を向けると、あれにつけ、これにつけ、感慨無量で、源氏は、こういうことのお仕事も、ご一緒することになろうとは、思いもかけなかったこと。せめて、来世で、あの蓮の中の宿を、いっしょに仲良くしようと、思って下さい、とおっしゃり、お泣きになる。
源氏
来世は、蓮の葉を、二人一緒の台にしようと約束して、でも、蓮の葉に置く露のように、別々でいる、今が悲しい。
と、宮の御硯に筆をつけて、宮の香染の扇に、お書付になった。宮は、
女三の宮
仲良く、蓮の花で一緒に約束してくださっても、あなたのお気持ちは、澄み渡りせず、住みも、しないのではないのでしょう。
と、お書きになったので、源氏は、申し出を認めず、悪口をおっしゃる、と、ほほ笑みながらも、やはり、胸がいっぱいになる、ご様子である。
例の、御仔達なども、いとあまた参り給へり。われもわれもと営み出で給へる。棒物のありさま心ことに、所せまきまで見ゆ。七僧の法服など、すべて大方の事どもは、みな紫の上せさせ給へり。綾のよそひにて、袈裟の縫目まで、見知る人は、世になべてならずと、めでけりとや。むつかしうこまやかなる事どもかな。
いつも通り、親王方なども、とても大勢参上された。六条の院の、婦人方が、競争でお作りになった、お供え物の、出来具合は、実に見事で、あたりを圧倒するほど。七僧の法服その他、一通りのことは、すべて紫の上が、やらせになった。その法服など、綾織で、袈裟の縫目まで、わかる人は、世間にないものだと、誉めたという話である。
うるさく、細かいことです。
最後は、作者の言葉。
講師のいと尊く、事の心を申して、この世にすぐれ給へる盛りを厭ひ離れ給ひて、長き世々に絶ゆまじき御契りを、法花経に結び給ふ。尊く深きさまをあらはして、ただ今の世に才もすぐれ、ゆたけききらを、いとど心して言ひつづけたる。いと尊ければ、皆人しほたれ給ふ。
講師が、大変尊く、この法要の事情を申して、この世で盛でいらっしゃるのに、仏道にお入りになり、長い来世まで続く、夫婦の契りを、法花経により、お結びになる。宮の尊く深い御心を、申す。現在、才学弁舌ともに他を圧倒している者が、いっそう、気をつけて言い続けるのが、まことに尊いので、一同皆、涙を流される。
ゆたけき さきら
弁舌に巧みであること。
これはただ忍びて、御念誦堂のはじめと思したることなれど、内にも、山の帝も聞こし召して、みな御使どもあり。御誦経の布施など、いと所せまきまで、にはかになむ事広ごりたる。院に設けさせ給へりける事どもも、そぐと思ししかど世の常ならざりけるを、まいて今めかしき事どもの加はりたれば、ゆふべの寺におき所なげなるまで、所せきいきほひになりてなむ、僧どもは帰りける。
今日の法要は、内々で、ただ御念誦堂の、聞き始めと思いになったことだったが、主上におかせられてもまた、法王陛下もお耳に遊ばして、いずれからも、お使いが来る。お経の、御札の布施なども、置ききれないほどで、急に、大げさなことになった。六条の院で、ご準備あそばされたことも、簡単と思ったが、並々のものではなかったのに、それ以上に、華やかな事の、数々が増えたゆえに、寺には、置き場所もないと思われるほど、豪勢なことになり、僧たちは、帰った。
ここでの、布施とは、女三の宮のために、経を読んだ僧たちへの、お礼のことである。
御誦経と、御という、敬語をつけるのは、女三の宮の身分が高いから。
兎に角、原文は、敬語のオンパレードである。
登場人物たちが、皆、皇室に関係するものだからである。