2016年01月21日

玉砕99

南西諸島方面で、特攻死した、22歳、旗生良景は、串良基地に赴任した、昭和20年4月16日から、出撃の4月28日まで、遺書の代わりに日記を書いた。

今日はまだ生きております。
昨日父さんにも母さんにも、兄、姉にも見送って頂き、全く安らかな気持ちで出発できました。T子にもお逢いになった由、本日川村少尉より依託の手紙で知りました。皆なんと感じられたかは知りませんが、心から愛した、たった一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部だと思って、いつまでも交際して下さい。葬儀には、ぜひ呼んで下さい。
当地は、前進基地の感が身にひしひしと迫ります。昨日も今日も、グラマン、シコルスキーの銃爆撃下、士気極めて旺盛、爆敵の心いや高く、大艦と引き換えの大事な体を、泥にまみれつつ、いたわっております。

ここは故郷の南端の地、春はようやく更けて、初夏の迫るを覚えさせられます。陽の光和やかに、緑濃き故郷を敵機に蹂躙される無念、やる方なし。この地、父母の在す故郷を、死を持って護らんと、いよいよ決意を固くしております。

国を守るということは、すなわち、故郷を守り、そこに住む、家族を護るという意識だ。
愛国心というより、郷土愛と言ってもいい。

彼は、日記の最初に、今日も生きています、と綴る。

今日も生きています。
陽光麗かに、微風頬を撫でて過ぎ、蝉の声しきり。ここ基地の空は、あくまで平和です。この平和も、銃撃に夢を破られます。父母の在す地、故郷の南端、しかもここは最前線です。体を粉にして、愛する日本を守りぬき、皆を幸福にしてあげるのだと、さらに闘魂を湧き立たせております。
皆に逢えて安心です。心に残るは、T子のことのみ。弱い心、お笑い下さい。しかし死を前にして、T子に対する気持ちの深さを、今更のように驚いています。人間の真心の尊さを、思った下さい。

今日も生きています。
朝からB29の空襲です。滝の落ちるような落下音、それに続く物凄い爆音、機上で勇敢な搭乗員も、地上では這いまわっています。四方に上がる黒煙と火焔、空には雲雀が囀り、地上には蓮華が咲き乱れているのに、無念やる方ない。

そして、4月28日、神風特別攻撃隊八幡神忠隊に、出撃命令が出された。

基地に到着してから、12日目のことである。

最後の日記である。

只今より出発します。何も思い残すことはありません。
お父さま、お母さま、兄さん、姉さん、御幸福に。
軍服をぬいで行きます。真新しいのが行李の中にありますから、それを家に取って、古い方をT子のところへ送って下さい。必ずお願いします。戦死がわかりましたら、一度家へ呼んで、遺書などをお渡しになればよいと思います。
おばあさん、良和ちゃん、和子ちゃん、皆元気に暮らして下さい。
日本は必ず勝ちます。帝国の繁栄のために、死所を得たるを喜んでいます。
心爽やか、大空の如し。こうしているのも、あと暫くです。
さようなら、お元気で。
御一同様。

こういう人達によって、今、現在の日本の平和を、享受している、私達である。
ありがたい。

ここで、考える。
特攻は、最終的に、撃沈させるというより、突入するということの、行為自体に、意義があると、思う。
それを悟った、特攻隊員である。

これは、生命尊重という、価値観をも、超える。
強制ではなく、志願するからである。

だから、敗戦後、このような行為は、皆無になった。
その時代が、産んだ、壮絶な生き方であると、言う。
つまり、もう、二度と、特攻攻撃という行為は、無い。

次に、21歳で、南西諸島方面にて、特攻死した、伊瀬輝男を見る。
入隊翌月の、昭和19年1月25日、配属された佐世保第二海兵団で、家より送られてきた、小包を渡された。

中には、母、姉が、仕上げた千人針の腹巻き、常備薬と、何通かの手紙が入っていた。

まず出て来しは孝治郎の習字なり。
「ガンバレ」
実に雄々しく書きたり。わが手を取りて教えし結果、三重丸張出しの成績ならん。また日の丸の絵、一年生にしては格段の出来栄え。頑張れ孝治郎、勉強するのだぞ。片仮名で綴りし手紙も同封あり。
「アンチャンニアイタイ。シャシントハナシテイル。オモチヤオカシノトキハ、タベナサイ・・・」
等々、一字一字がたまらなく可愛い。その純粋に余を慕い懐かしんでくれるのに、涙がでるのをどうすることもできなかった。

最後に出てきたもの・・・ああそれは、母の手紙であった。母の手紙、実に思いがけないものであった。母から手紙を貰ったことは、勿論一度もない。母が字を書くのを見たこともない。
その母が、余に手紙をくれたのだ。
紙の切れ端にたどたどしく書かれた母の字、我を思いしあまり書きたるものなり。
有難し。
たどたどしく子供の如く天真爛漫なる文字、ああ我が母の字なりけり。
「父母のことは心配せず、任務につとめよ。金ぴら様は船神だから信仰せよ」
涙、泉の如く、胸つまり五体ふるう。この有難き母の愛、雄々しき愛、母上、不孝の子、ここに誓って母上の教えを守ります・・・と幸福に吊床の中にしばし眠らず。

戦場では、息を引き取る際に、お母さん、母さんという、声が響いたと聞く。

天皇陛下万歳・・・とは、あまり聞かない。
勿論、陛下万歳を叫んだ兵士もいる。
しかし、圧倒的に、母を呼ぶ。

敗戦後、岸壁の母、という、歌が、何度もリメイクされて、歌われた。
それは、母と子の、互いの思いの深さを歌う歌詞である。

海山千里というけれど、なんで遠かろ、なんで遠かろ、母と子に・・・
歌詞の一部である。

遠い異国に出ても、母と子の思いは、つながっている。
愛国心、家族愛、肉親の情・・・
戦争は、それら、すべてを、確認したものだった。


posted by 天山 at 06:20| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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