2016年01月20日

玉砕98

22歳で、沖縄東方海域において、特攻死した、小泉宏三が、両親に宛てた手紙である。

何も私がやらなくとも特攻隊員は幾らもあるだろうに、と考える人もあるかもしれません。だがそう言う考え方は私の心が許しません。この戦争遂行に一体何万の尊い人命が失われた事でしょう。これら靖国の神々の前にも、そして幾多の困苦を闘いつつ生産に敢闘しつつある人々に対しても、絶対かかる私的な考えは許されません。
俺がやらなくて誰がやるか、各々がこの気持ちでいなかったら日本は絶対に負けると言って決して過言ではありません。
そして国が敗れて何の忠がありましょうか、七生報国の決意を果たすべき時は今、正にこの一期に掛かっているのです。
お父さんお母さん、私を失われる事は悲しいことでしょうが、このような事情を良くお考えになって下さい。
そしてこの決戦の一つのちからに、自分の子がなった栄光に思いを及ぼして下さい。

私は、特攻隊の、遺書、遺文を書き続けているが、それを、理解してくれる人は、多数ではないと、思っている。

国のために、命を捨てる・・・
そんな馬鹿な行為が、出来るものか・・・
日本は、そのような国になったと、私は、思う。

だが、今一度、平和国家、戦争をしない国といっても、戦争が、向こうから近づいて来た時に、どうするのかとも、思う。
戦争放棄しても、戦争の側から、向かってきた場合は、どうする。

只今の世界は、テロ戦争が勃発している。
そして、中国が、その覇権主義を剥きだしてきた。

東シナ海・・・尖閣諸島にも、手を伸ばしている。
あらゆる偽装を念頭に置いて、我が国の、核心的利益だと、言うのである。

侵略行為は、すでに始まっている。
更には、沖縄までも、手を伸ばして、工作員を乗り込ませている。

特攻隊が、必死で守った、沖縄を、中国が侵略して、よいものか。
それを、許してよいものか。

やはり、19歳で、南西諸島方面で、特攻死した、服部寿宗も、自分の戦死について、出撃前夜、母宛に、綴る。

我戦死すと聞かれてもどうか泣かずに立派に死んだと褒めて下さい。少しも力を落とされる様なことのない様に。そして恭宗や節子に力を落とさず励まして、しっかり各々の進む道に邁進させて下さい。
戦地にある父上には呉れ呉れも母上より宜敷くお伝え下さい。私からは別にお便りは出しませんでした。

母上様、父上様、恭宗殿、節子殿。
益々御壮健で何時迄も御幸福にお暮らしになられん事を、寿宗大空の一角よりお祈り致しておりますと同時に、皆様の輝かしい前途を見守っております。では之にてお別れします。
一家の前途に幸あらん事を祈って筆を置きます。永々有難う御座いました。

我が身の死ぬことより、その家族の幸福を祈るという、姿。
家族に対しても、敬語を使う心遣いである。

簡単にいえば、武士道である。

この国には、誇るべき、武士道と、特攻隊精神が存在する。

忘れる事のないように、私は、こうして、書き綴る。

昭和18年12月、およそ十余万人の大学生が、学業半ばにして、徴集された。
学徒出陣である。
このうち、約2000人が、第十四期海軍飛行予備学生となり、402人が、帰らぬ人となった。

その学徒たちの遺書、遺文が、密かに、遺族に届けられたという、ああ同期の桜、という本から抜粋する。

彼らは、神風特攻隊が編成され、その真の闘いに、参加した面々である。

22歳、南西諸島方面で、特攻死した、佐々木八郎。
入隊半年前の日記である。

僕は、戦の庭に出ることも自分に与えられた光栄ある任務であると思っている。現下の日本に生きる青年として、この世界史の創造の機会に参賀できることは光栄の至りであると思う。我々は死に物狂いで、与えられた義務としての経済学を研究して来た。この道を自ら選んだ自分の義務であるからだ。そのうえ体力に恵まれ、活動能力を人並み以上に授かった自分としては、身を国のために捧げ得る幸福なる義務をも有しているのだ。2つながら、崇高な任務であると思う。
戦の性格が反動であるか否かは知らぬ。ただ義務や責任は課せられるものであり、それを果たすことのみが我々の目標なのである。全力を尽くしたいと思う。反動であろうとなかろうと、人として最も美しく崇高な努力の中に死にたいと思う。形にとらわれることを僕は欲しない。後世史家に偉いと呼ばれることも望まない。名も無き民として自分の義務と責任に生き、そして死するのである。

日本人は、偉かった。
このように、考えることが出来たのである。

当時、学生たちは、様々な情報から、祖国日本が、危急存亡の時にあると、知っていた。そして、それを守るのが、自分たちであることも。

義務と責任・・・
今ほど、この義務、責任の不在な時代は、無いと思える。
権利だけを、主張する、反日左翼などの行為、行動を見れば、一目瞭然である。

さて、佐々木は、昭和18年12月8日、海軍への入隊前日、最後の日記を書く。

悠久の歴史の流れに身を委ねて、僕は僕の真髄を発揮しよう。対人的な個々の感情には、好悪愛憎の些些たる波がつきまとう。すべては大いなるものの力によって決されるのである。
僕は今は遺言を書くまい。ただ今まで恩顧をうけた人々がそれぞれの道を真っ直ぐに歩んで、それぞれの天命を全うされんことを望むのみである。各人が世界史の審判に何の恐るるところなく直面せられんことを望むのみである。幸いに諸兄、健康に、それぞれの道を歩まれることを、そしてそれぞれの人が、佐々木八郎なる人間の与えた印象を、それぞれの人なりに濃く淡くその胸にとどめおかれて、進んでいただきたいと念願するのみである。
これをもって、この日記を閉ずることとする。

佐々木八郎の哲学を、作り上げて、特攻散華したと、私は思う。
衷心から、哀悼の意を捧げる。


posted by 天山 at 07:20| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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