2016年01月19日

玉砕97

回天特攻、菊水隊として、26歳で、ウルシー海峡にて、特攻死した、佐藤章少尉は、出撃に際して、妻、まりゑに手紙を残している。

かねて覚悟し念願していた「海征かば」の名誉の出発の日が来た。日本男子として皇国の運命を背負って立つは当然のことであるが、然しこれで「俺も日本男子」だぞと、自覚の念を強くして非常にうれしい。短い間ではあったが、心からのお世話に相成った。俺にとっては日本一の妻であった。
小生は何処に居ろうとも、君の身辺を守っている。正しい道を正しく直く生き抜いてくれ。
子供も、唯堂々と育て上げてくれ、所謂偉くすることもいらぬ。金持ちにする必要もない。日本の運命を負って地下百尺の捨て石となる男子を育て上げよ。小生も立派に死んでくる。
充分体に気をつけて栄へ行く日本の姿を小生の姿と思いつつ強く正しく直く生き抜いてくれ。

無心である。
ただ、日本のために生きるべく生きた。
そして、子供も同じように、日本の運命を負って生きるようにと・・・

こういう人たちによって、日本という国の根幹が、作られている。
日本人としては、誉れである。

実は、私も驚いていることがある。
特攻隊は、若者というイメージだったが、中には、熟年と言える兵士も存在していたのである。

38歳、沖縄周辺海域で特攻死した、佐藤清大尉である。
出撃に際して、哀切な手紙を残している。

妻に対して、
後事は只々貴方様を信じ、何の言うべき辞もありません。

いつでも覚悟はしている事で、又貴方様にも申し渡してある事、何を今更申し述べる事もありません。ただ申し訳なく思う事は貴方様にも随分苦労をかけ、これからは又貴方様一人に希望から責任を担わして子供の将来を委して逝く事であります。

昌志よ、優子よ、そして未だ見ぬ腹中の子よ、父は神州男子として護国の大義に殉ずるのだ。必ず強敵は撃滅せずにはおきません。お前達はお母さんを中心に、兄妹仲良く助け合い、お父さんの志を心として必ず人に笑われぬ様な日本男子、日本女性になって、強く正しく明るい人に育って下さい。この手紙を書いているうちにも敵機の襲来を見ました。痛憤やるかたなく奮激の極みであります。血は煮え立つ様であります。私と一緒に突っ込んで下さる部下の人々はとても張り切って、既に準備万般整っております。元気な若々しい優秀な人達揃いです。こんな立派な若い神鷹の先頭に立って、敵撃滅の矢面に立ち得た感激を貴方様も昌志も優子も感じとって下さい。

文は、現代文に変えている。

妻と、二人の子、そして、まだ生まれぬ子を、思いつつ・・・
断腸の思いであろうと、推測する。

部下の若者たちと一緒に、特攻するのである。
痛ましく、切ない。

やはり、特攻攻撃は、批判され、非難されるものだ。
しかし、特攻隊を、非難する者はいない。

特攻攻撃を美化しない。
ただ、時代と、戦争という、不可抗力に生きた人達。
戦争に突き進んだ、日本という国を、どう受け入れるのか・・・

大義に生きるというが・・・
現代の世の中と、その大義という言葉ほど、乖離している言葉はない。

国を守るために、死ねるだろうか・・・

余談であるが・・・
私が、特攻を目指して、死ぬことも厭わないと言うと、支援活動で一緒のコウタに言われた。
その年では、無理だ。
特攻というのは、若者だから出来る。
つまり、それだけの、鋭敏な感覚と、技量が必要だ。
年老いた者は、特攻には無理だと・・・

確かに・・・
もう、鋭敏な感覚など失った。
機転も利かない。
そうだったのか・・・
何故、若者かというのは、そういうことだったのだ。

22歳、南西諸島方面にて、特攻死した、中西達二中尉は、出撃前、両親に宛てて、手紙を書いている。

明日私は十一時二十分、魚雷と同じ大きさの爆弾をかかえて、後に予備学生出身の田沢少尉と予科練出身の阿部二等飛行兵曹とを乗せて出発します。後日新聞社からかもしくは大本営からか、三人で一緒にとった写真が届くかもしれませんが、そのときは一緒に弔ってやって下さい。・・・
私もあと二十日で大尉に進級するのではありますが、死んで中佐になろうと、少佐になろうと、階級はどうでもよろしい。大義の道にかかわりなく敢えて進級を望みません。
先日多数の同期生と教え子のものが第一陣をうけたまわって、特攻隊として出てゆき大戦果をあげましたが、皆んなニッコリと笑って元気に私に挨拶して出てゆきました。今度は私がニッコリ笑って元気に出てゆく番です。

父上、母上様の莫大なる御恩も、体当たり一事を以ってお報いする覚悟であります。どうかご両親様益々ご自愛されてご多幸ならんことを地下よりお祈りいたします。

散る桜 残る桜も散る桜
散って護国の花と惜しまん

特攻隊員は、誰もが、我が身の死により、祖国防衛の大きな、捨て石となると、覚悟している。

特に、沖縄戦では、特攻により、米機動部隊を、一日沖縄に釘付けすれば、本土決戦の準備が一日増えるという、確信をもって、出陣したといえる。

沖縄戦は、悲劇であった。
しかし、日本の各都市が、空襲を受け、広島、長崎には、原爆が投下された。
そして、沖縄戦では、住民も巻き込んだ悲惨である。
しかし、日本の若者たちは、沖縄の防衛と、戦いのために、命を捨てた。

沖縄は、特攻の聖地でもある。


posted by 天山 at 06:55| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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