2016年01月18日

玉砕96

末期の眼という、言葉がある。
つまり、死を目の前にした時に、見るものである。

特攻隊は、その、末期の眼を、若くして得たといえる。

とりあえず、長生きしても、末期の眼を持つ人になるか、どうかは、分からない。
この、末期の眼こそ、実は、人間が身につけなければならない、最高の心境であろうと、私は思う。

回天特攻・多聞隊の一員として、敗戦わずか、四日前に、18歳で、沖縄東方海面において、特攻死した、佐野一の、戦死当日の遺文である。

八月十一日、一七三〇、敵発見、輸送船団なり。我落ち付きて体当たりを敢行せん。
只天皇陛下の万歳を叫んで突入あるのみ、さらば神州の明保のきたれ。
七生報国のはちまきを締め、祈るは轟沈。
父上様、母上様、祖母様へ、休暇の時は何も真実を語らず、只語れるのはうそのみ。何たる不幸ぞ。しかし軍機上致し方なし。黙って訣別の外なし。やがてわかることならん。わが生存中の我儘切にお詫び申す。
父母に先立つは長男として申し訳なけれども大君のためなれば何の父母であり、兄弟なるか。胸中に神州の曙を画き、勇んで敵艦船と大和魂との突撃を試みん。実に爽快なり。

18歳の少年である。
また、少年だからなのか、この見事な、心意気である。

何とも痛ましく、悲しいが・・・
彼は、違う。
大君のためなれば・・・
そういう意識を、養っていたということだ。

出撃当日、愛する妹に遺書を残した、19歳、沖縄本島東方海域で特攻死した、高瀬丁(つよし)。

妹よ。
兄は、死場所を得て、武人の本懐と勇んで征く、必ず必ず立派な死に方をする。
妹よ、此の兄死すとも嘆くなかれ、五体はなくとも魂は、いつもお前達のもと悠久の大義に生きている。嘆かず頑張ってくれ、祖国の為に。
妹よ、お前達は帝国海鷲の妹なるぞ、兄の死に方に恥じないよう、何事も頑張ってくれ。父母上をたのんだぞ。兄が残す最後の言葉は、父母に孝、君の忠をつくせ、のみだ。
妹よ、たのむぞ、兄は勇んで征く。妹よ、体を大切に永く永く幸福にしらしてくれ・・・
お前達の面影を偲びつつ征く。

19歳の少年の遺書とは・・・
自殺攻撃である。

そして、それが、大義に明文されている。

その時代の、不可抗力である。
戦争という、不可抗力の時代が来ないことを、切に祈る。
だから、慰霊の行為が大切なのである。

特攻隊の若者が、妹宛に残した遺書は、存外に多いという。
その理由は、男兄弟は、すでに戦地に赴いているか、戦死しているからだ。

そうなると、妹という、存在に未来を託すことになる。
そして、異性としての、存在でもある。
恋人のいない、特攻隊員は、妹に、愛という情緒を持って切実として、遺書を残したと、想像できる。

23歳、南西諸島海域で、特攻死した、重信隆丸少尉は、妹、妙子に出撃前夜、手紙を書いている。

妙子、全く意地悪ばかりして申し訳ない兄だったね、許してくれ。いよいよ明日は晴の肉弾行だ。意地悪してむくれられたのは、今から思えばみんな懐かしい思い出だ。お前も楽しかった思い出として笑ってくれ。兄さんが晴の体当たりをしたと聞いて、何もしんみりするんぢゃないよ。兄さんは笑って征くんだ。
・ ・・
兎に角何も心配することなんか此の世にはないのだ。明るく朗らかに紡績に励み勉強し、立派な人間になってくれ。それが取りも直さず御国への最も本当の御奉公なのだ。兄さんはそれのみを祈りつつ征く。

明るい調子で、書かれているが、何か、透き通る、悲しみを感じる。

何故、今、私は、特攻隊の遺書、遺文、手紙を書くのか・・・
忘れないためにだ。
このような、事態を二度と、起こさぬようにという、祈りである。

戦地、激戦地を慰霊していると、兎に角、このような思い、このような事態になることがないようにと、祈る。
英霊に対し奉り、二度と、このようなことがないようにと、祈る。

一人の人間の死は、多くの人間の心に、打撃を与える。
まして、明確に死ぬという、若者である。
その家族、親族、友人、知人・・・
皆々、激しい情緒に陥る。

戦争というものを、恨む。
しかし、それだけでは済まない人は、軍部や、その上層部、果ては、天皇陛下を恨む。
恨んで解決されるはずもない。

どうしたら、戦争にならないようにすべきかということを、考える。
そして、行動する。

戦争も、国際社会の問題解決の一つであるという、一見、当たり前のことを言う者もいるが・・・
もし、人類が、知恵というものを持てば、それを何とか、防ぐ方法を考えてもいい。

戦争とは、戦う前の、情報戦、経済戦、そして、軍事行動がある。
それは、それぞれの、国益に関わる、重大な問題だ。

戦争回避の、国際法などない。

日本、日本人は、70年間、戦争を経験していない。
そして、更に、平和にボケている。

平和憲法さえあれば、戦争はないと、信じている風情である。
違う。

平和を願うならば、まず、英霊、戦争犠牲者の追悼慰霊が、まず、前提である。
それなくして、戦争反対という運動は、魂が入らない、ただの、妄想である。



posted by 天山 at 07:29| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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