2016年01月13日

もののあわれについて784

対へ渡り給ひぬれば、のどやかに御物語など聞えておはする程に、日も暮れかかりぬ。昨夜かの一条の宮に参うでたりしに、おはせし有様など聞えいで給へるを、ほほえみて聞きおはす。あはれなる昔の事かかりたる節々は、あへしらひなどし給ふに、源氏「かの想夫恋の心はべは、げにいにしへの例にも引きいでつべかりける折ながら、女はなほ人の心移るばかりのゆえよしをも、おぼろけにては漏らすまじうこそありけれと、思ひ知らるる事どもこそ多かれ。過ぎにし方の心ざしを忘れず、かく長き用意を人に知られぬとならばね同じうは心清くて、とかくかかづらひ、ゆかしげなき乱れなからむや、誰が為もココロにくく、めやすかるべき事ならむとなむ思ふ」と宣へば、「さかし。人の上の御教へばかりは心細げにて、かかる好きはいでや」と見奉り給ふ。




東の対へ、お出でになったので、静かにお話し合いなど申し上げているうちに、いつしか、日も暮れ始めた。
昨夜、あの一条の宮にお出でになった時の、あちらのご様子などを、申し上げると、源氏は、にっこりと、お聞きになっていらっしゃる。お気の毒な昔の事。柏木に関係のある話には、相づちなどされて、その想夫恋のやりようは、いかにも、後々まで、たとえ話として、引かれるのにも、いいような話だが、でも、女というものは、男の気持ちをそそるようなことを、並大抵では、見せてはいけないものだと、考えさせられることが、多い。亡くなった人への、心向けを忘れず、末永く、世話しようという気持ちを、相手に取られた以上、同じことなら、綺麗な気持ちで、何かとお世話して、感心しない不行儀がないのが、どちらにとっても、奥ゆかしい、見ても良い物だろう。と、おっしゃるので、いかにも、人のことになると、きちんとした調子だが、女相手だと、どんなものか、と、お顔を仰ぎ見る。




夕霧「何の乱れか侍らむ。なほ常ならぬ世のあはれさをかけそめ侍りにしあたりに、心細く侍らむこそ、なかなか世の常の嫌疑あり顔に侍らめとてこそ。想夫恋は、心とざしすぎて言いで給はむや憎き事に侍らまし。物のついでにほのかなりしは、折りからのよしづきて、をかしうなむ侍りし。何事も人により、事に従ふわざにこそ侍るべかめれ。よはひなども、やうやういたう若び給ふべき程にもものし給はず。またあざれがましう。すきずきしき気色などに、物なれなどもし侍らぬに、うちとけ給ふにや、おほかたなつかしうめやすき人の御有様になむものし給ひける」など聞え給ふに、いとつよきついで造りいでて、すこし近く参り寄り給ひて、かの夢語りを聞え給へば、とみに物も宣はで聞し召して、思し合はする事もあり。




夕霧は、何の不行儀など、ございましょう。やはり、短命に終わった者への、同情から世話をしております方に対し、すぐにやめては、かえって世間普通の、嫌疑を受けましょうと、思い、参上しました。あの想夫恋は、ご自分の方から、積極的に弾かれたのなら、嫌なことでしょうが、私の勧めでは、ほんのすこし、お弾きになったのは、あの時にふさわしく、結構に思いました。何事も、人次第、事の次第でございましょう。お年も、おいおい、たいしてお若いと申すほどでも、いらっしゃらず、それに私が、冗談を言ったり、女として相手するなど慣れておりません。お気をお許しなのか、申してみれば、優しく、非難するところのないご様子で、いらっしゃるのです。などと、申し上げてている間に、うまい話のきっかけを創りだして、少しお傍にお進みになり、あの夢のお話をされると、急には、何もおっしゃらず、お聞きあそばして、お気づきになることも、あった。




源氏「その笛はここに見るべきゆえあるものなり。かれは陽成院の御笛なり。それを故式部卿の宮の、いみじきものにし給ひけるを、かの衛門の督は、童よりいと異なる音を吹きいでしに感じて、かの宮の萩の宴せられける日、贈り物にとらせ給へるなり。女の心は深くもたどり知らず。しかものしたるななり」など宣ひて、「末の世の伝へは、また、いつかたにとかは思ひまがへむ。さやうに思ひなりけむかし」など思して「この君もいといたり深き人なれば、思ひ寄ることあらむかし」と思す。




源氏は、その笛は、私が持つ理由があるものなのだ。それは、陽成院の御笛だ。それを、亡くなった、式部卿の宮が、大事にされていたが、あの衛門の督が、子供の時から、大変上手に笛を吹いたので、感心して、宮が萩の宴をされた日に、贈り物として、お与えになったもの。女の気持ちは、深く事情を知らず、そういうことにしたのだろう。などと、おっしゃり、将来、子孫に伝えるというのは、どちらも、まごつくことがあろう。故人は、そういう気になったのだろう。などと、考えられて、この君も、よく気のつく人だから、気づくこともあろう。と、思われる。




その御気色を見るに、いとど憚りて、とみにもうちいで聞え給はねど、せめて聞かせ奉らむの心あらば、今しも事のついでに思ひいでたるやうに、おぼめかしうもてなして、夕霧「今はとせし程にも、とぶらひにまかりて侍りしに、なからむ後の事ども言ひ置き侍りし中に、しかじかなむ深くかしこまり申すよしを、かへすがへすものし侍りしかば、いかなる事にか侍りけむ、今にそのゆえをなむ思ひ給へ寄り侍らば、おぼつかなく侍る」と、いとたどたどしげに聞え給ふに「さればよ」と思せど、何かはその程の事、あらはし宣ふべきならねば、しばしばおぼめかして、源氏「しか人の恨みとまるばかりの気色は、何のついでにか漏りいでけむ、と、みづからもえ思ひいでずなむ。さて今静かに、かの夢は思ひ合はせてなむ聞ゆべき。夜語らずとか、女ばらの伝へに言ふなり」と宣ひて、をさをさ御しらへもなければ、うちいで聞えてけるをいかに思すにかと、つつましく思しけり、とぞ。




その源氏の顔色を見ていると、益々遠慮されて、急には、お話申し上げられないのだが、是非、お耳に入れたいという気持ちがあるので、今、ふっと思い出したかのように、よくわからないという態度で、夕霧は、臨終の時にも、見舞いに出掛けましたところ、死んだ後のことを、あれこれと、遺言しました中に、しかじか、六条の院に、心から恐縮している旨を、繰り返し繰り返し、申したものですから、どういうことで、ございましょうか。今に至るまで、その理由に気づきませんものですから、気にかかっているのでございます。と、いかにも、分かりかねたように、申し上げるので、源氏は、知っている、と思うが、何もその頃の事を、ありのままに、おっしゃるべきではないから、しばらくわからないふりをして、源氏は、そのように、誰かに、恨まれるほどの様子は、どんなときにしたのか。自分でも、思い出せない。それはそれとして、そのうち静かに、その夢のことは、考えがついてから申すとしょう。夜は、夢の話はしないものだとか。女房たちが、言い伝えているから。と、おっしゃり、特にご返事はなかったので、お耳に入れたことを、どうお考えなのだろうかと、きまり悪く思うのだった、とか。

何とも、難しい言い回しか、多い。

横笛を終わる。


posted by 天山 at 07:09| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。