2016年01月05日

打倒・韓国52

日帝の末端行政当局が、自己の皇民化行政運動の成績を誇示するために、創氏改名を民衆に強制したこともあった。そのため、朝鮮人の反感を買う場合もあった。一例として、創氏しないものは日本内地への渡航許可を与えないといった、屈折した強制があったのもたしかだ。
現在の韓国人は、これをとらえて「日帝の末端の行政機構が強制的に行った」と被害者ぶっているが、それをいつまでも怨んでいたり、朝鮮総督府のせいにしたりするのは間違いだ。
黄 文雄

それは、「一視同仁」という、原則に基づき、制令20号第2条「正当な事由がある場合において、氏名の変更を許す」を規定として、日韓の差別なく、改姓名の制度を、設けたのである。

その目的は、内鮮一体の、国策である。

それに特に反対したのは、両班である。
禽獣の道を、5000年の文化民族に強要するものだ、という、言い分である。

1930年代の朝鮮では、族譜の編纂ブームであり、皆々、競って、一族の先祖の偉人を創り出した。
過去の権威をふるい出して、アイデンティティを求めていた時代である。

今までの、打倒・韓国を読んでいた人は、よく解るはずである。
そのような、民族なのである。
自分は、偉い、のである。

だが、いくら口では先祖や姓氏を大事にすると言っても、実際は男性のことだけであって、女性には社会的地位がなく、姓も名も付属のなかには載せられていなかった。女性というだけで、完全に社会から抹殺されていた。一方で、男性はその血統の継承者として、祖先祭祀の儀式でも重視される。


朝鮮の、女性蔑視は、甚だしい。
朝鮮の女に、名をつけることは、三国時代の昔から、忌み嫌われていた。

両班の婦女子には、中国の真似をして、生家の姓に「氏」をつけて、名はないのである。
常人の婦女子は、姓に「召史」をつけていた。

更に、女性の再婚が法的に認められたのは、日本統治時代以降である。
民法が施行されたからだ。

韓国では、女性が、数千年にもわたり、姓氏を奪われていたのである。
それなのに・・・
男性の姓氏を日帝が、奪ったという。
実に、呆れる様である。

この運動により、80~85%が、創氏改名を行ったが、当然、本来の氏名に拘る人たちもいる。しかし、それらは、懲罰を受けることはなかった。
つまり、強制ではなかったからである。

彼ら朝鮮人は、日本を野蛮な国、民族として、見ているが・・・
どちらが、野蛮なのかは、一目瞭然である。

大日本帝国軍人として、最後まで創氏改名をしなかった者もいるのである。

軍隊の場合については、以前に書いたが、朝鮮人の特攻隊がいたことを知れば、どうだろうか。
自ら、志願しての、特攻である。

そういう者までも、現代の韓国人が、強制などという、理屈は、有り得ない。

ここで、明確にしておくべきことは、朝鮮人の中でも、日本民族であることを、誇りにしていた人たちもいるのである。

更に、創氏改名は、朝鮮人の嘆願でもあったということを、付け加える。

朝鮮人の源流は、満州である。
だから、日本により、土地を奪われ、故郷から無理やり話されたというのは、大嘘である。

半島の生活空間が徐々に変化してきたのは高麗朝以後である。・・・
ことに元から明の時代は、高麗から宦官や貢女が半島から大都北京へと謙譲されていた。清の時代になると、胡乱によって朝鮮人は北方へと強制連行され、奴隷や農奴として売られていった。その数は50万とも人口の半分とも言われている。李朝後期になると、貧窮化した農民たちが満州やシベリア沿岸州へと入っていった。


それを知らずに、日本は、大多数の農民から生活基盤を奪ったゆえ、故郷を捨てて、流浪せざるをえなくなった。
満州やシベリアへ流浪させたという、大嘘を言う。
妄想でもある。

韓国人は、歴史に関しては、全く、知らないのである。

創氏改名のきっかけとなったのが、満州へ移住した朝鮮人からの要求であること。嘆願であること。

満州はもともと清国を開いた満州人の祖国であり、清朝時代には漢人(中国人)の入植が禁じられていた。19世紀には入植が解禁されたが、その少し前から満鮮国境にいた朝鮮農民は、じょじょに入植をはじめていた。それがもっとも多かったのは白頭山北方の満州一帯、間島地方である。


入植解禁前に、漢人がすでに、満州に入って、盗伐、盗墾をしていた。朝鮮人は、盗伐者たちに雇われて働き、次第に、定着した。
そこでは、しばしば、漢人と朝鮮人の衝突が起こった。

大きな衝突は、1931年の万宝山事件である。それをきっかけに、韓国人はソウルをはじめ、大都市のシナ人へ、報復虐殺を行った。

そして、日本の統治時代には、満州に約150万の朝鮮人がいた。彼らは、絶えず漢人から圧迫され、搾取され、農奴に近い生活を強いられていた。
やがて、朝鮮人狩りが起こる。

朝鮮人を最も嫌ったのが、張作霖で、満州には、朝鮮人を一人も入れさせないと、息巻いていた。
そして、朝鮮人迫害である。

この歴史背景下にあった朝鮮人にとって、唯一の救いは、当時五強のひとつであった、大日本帝国の臣民になることだった。
唯一、中国人に対抗できる切り札である。
そこで、朝鮮人たちは、進んで、創氏改名を強く、要求したのである。

日本こそが、朝鮮人にとって、併合国家の民族の誇りだった。
そして、それが、中国人、漢人の跋扈に対抗できる、ただひとつの、勢力だったのだ。




posted by 天山 at 07:05| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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