2015年12月23日

玉砕90

とにかく特攻隊への志願に強制というものが、どのような意味にせよ形式にせよ、いっさいなされなかったという事実は、すでに繰り返し述べた。また志願者の決意が決して一時的な興奮によるものではなく、熟慮した上での結論としてなされたことも、まちがいなく事実である。

もとより特攻志願者とても、正常な意識と間隔をもった人間であるから、内心の苦悩がなかったとはいえない。人間の本能である生への執着と、それを克服しようとする意欲とが複雑にからみ合い、彼らの心中にはしばらくのあいだ深刻な葛藤がにえくりかえたであろうことはまちがいない。しかし数日たって平静がもどってくると、彼らの態度も澄み切ったすがすがしいものとなり、諦観というものがなされたことがありありと認められたということである。
ベルナール

二十歳前後の若者たち・・・
それは、純粋性を、そのまま行為出来る、年代である。

今の若者との、比較は、出来ない。
当時の、時代性、時代精神というものを、鑑みれば、理解出来ることだ。

教育は、洗脳ではないが・・・
少なくとも、洗脳に近いものがある。
強制性の無い、洗脳である。

敗戦後、戦前と比較出来ないほどに、自由を許された。
そして、言論も、である。

勿論、敗戦後の教育は、極端に、自虐的史観が登場したが・・・

当時、天皇とは、大君であり、矛盾なく、天皇のために、いのちを捧げる教育が行われていた。
若者の、純粋さというものは、巌も、砕くものがある。
当然、特攻攻撃というものが、理解される。

時代性と、時代精神を無視することは、出来ないのである。

何度も言うが、特攻作戦を、批判、非難することは出来ても、特攻隊員を、批判、非難する人はいない。
出来るはずもないのである。

勿論、世の中には、何もせずして、人の批判ばかり出来る人たちも、大勢存在する。
また、その方が、多いだろう。

フランス人が、特攻隊を徹底的に、調べ尽くしたということも、驚きだが・・・
ベルナール・ミロが、著した特攻隊の出撃風景がある。

その、第一号の、敷島隊の様子である。

整備員が暖機運転を終わった。いよいよ出撃である。そしてこれが日本の特攻隊の最初の出撃となったのであった。定刻に敷島隊は離陸を開始した。基地の全員が眼に涙をたたえてこの出撃を見送った。この平然として確実に定められた死に向って出発してゆく人々を、どのように感嘆しても感嘆しすぎることはなかったであろう。
ベルナール

特攻隊の日常を調べ尽くした、ベルナール・ミロは、
特攻を志願して許された者たちは、この日まで実に平静な日々を過ごしてきていた。彼らの日常の生活態度は、どうみても死があと数日迫っている人たちとは思われなかった。
と、言う。

最後の使命を帯びて飛び立つ前に、特攻パイロットは身近を整理し、家族に遺書をしたためて頭髪や爪を封入し、所持品を残留する人々に分かち与えた。そしていよいよの出撃に際しては、操縦席から笑顔でもってさらばの合図に手を振り、そして離陸していった。これは出撃を見送る人にこらえ切れぬ感動をさそうものであったが、読者は考えてもみられたい。いったいこのような態度が、狂気のとりこになった者とか、過剰な興奮にのぼせきった人間などにとれるものであろうか。
ベルナール

それが、どのような境地なのか・・・
冷静で、平静なもの。
死を前にして・・・

私は、宗教が言うところの、悟りを知らない。
知る必要もないと、想っている。
だが、もし、悟りの境地とは、彼ら、特攻の隊員の心境を言うとしたら、理解出来るのである。

人間は、死を目の前にして、何を言い、何を語れるのか。
超越した、覚悟があれば・・・
ただ、笑って行くしかない。

また、大義のために・・・
国のため、郷土のため、家族のため、そして、天皇のために。
この場合の、天皇とは、国体ということである。
国体とは、国土と、国民を言う。天皇は、その象徴であった。

特攻隊員は出撃の離陸のその瞬間まで、粗末な給養で、苦行僧同然の生活を送っていたのである。だが誰も不満を訴える者はいなかった。いや真実、誰も不満をおぼえていなかったようである。残り少ないこの世での生活とあっては、それをできるだけ快適なものとするために、彼らはあらゆる贅沢と自由を要求して然るべきだっただろう。だが誰もそうしなかった。彼らは物質から超脱していた。
ベルナール

何故、そのようなことが、出来たのか・・・
彼らは、少年、青年という、若さゆえであると、私は考えている。
その、若さの純粋さが、彼らを、神の如くにした。

神風精神のみなぎりは、他の方面にも深い影響を及ぼしていた。特攻パイロットと行動を共にできないもの、たとえば主計科や整備兵、それに滑走路補修の施設隊員たちも、みな共通の感動をもっていた。彼らは特攻パイロットたちが出撃までのこの世の生を享受できるようにと、自分たちなりに考え得るすべてのことをした。彼らは自らに休息を課さない働きだけが、特攻パイロットに捧げ得る唯一のプレゼントなのであった。また、彼らの希望をおくパイロットに対するねぎらいと感謝の表現なのである。
ベルナール

特攻隊員でない者にとって、特攻隊員たちは生きながらの神であり、敬うべく、奉仕すべき存在であった。彼らは隊員に感謝し、かつ肉弾攻撃を実行できない自分たちを卑下していた。その気持ちを彼らはサービスにこめたのである。これは整備兵だろうと主計兵だろうとみな同じであった。整備兵たちは、離陸前の最後の瞬間まで機体にとりついた。
ベルナール


posted by 天山 at 05:53| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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