2015年12月22日

もののあわれについて780

月さしいでて曇りなき空に、羽うち交す雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風はだ寒く、ものあはれなるに誘はれて、筝の琴をいとほのかに掻きならし給へるも、おく深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶をとり寄せて、いとなつかしき音に、想夫恋を弾き給ふ。夕霧「思ひおよび顔なるは、かたはらいたけれど、こと問はせ給ふべくや」とて、せちに簾のうちをそそのかし聞え給へど、ましてつつましきさしいらへなれば、宮はただ物をのみあはれと思し続けたるに、

夕霧
ことにいでて いはぬもいふに まさるとは 人に恥ぢたる けしきをぞ見る

と聞え給ふに、ただ末つ方をいささか弾き給ふ。


ふかき夜の あはればかりは 聞きわけど ことよりほかに えやは言ひける




月が差して、雲ひとつない空に、羽を打ち交わして飛ぶ、雁も仲間を離れずにいる。その声を、うらやましくお聞きになっていることだろう。風が、肌寒く、物寂しさに、心が動き、宮が筝の琴を、微かにお弾きになる音も、深みのある音なので、ますます熱心になってしまい、かえって、切ない気持ちがして、今度は、琵琶を手元に引き寄せて、やさしい音で、想夫恋を、お弾きになる。
夕霧は、お気持ちを察してのことのようで、気が引けます。この曲は、何かおっしゃってくださるかと思ってです。と、しきりに、御簾の中に向かい、催促されるが、想夫恋とは、いっそう手の出にくいお相手である。宮は、悲しみをかみ締めていらっしゃる。

夕霧
言葉に出して、おっしゃらない。おっしゃる以上の深い思いだとは、あなたの遠慮深いご様子で、わかります。

と、おっしゃると、宮は、ほんの終わりを、少しだけでお弾きになる。


夜更けの趣き深さは、わたくしにも、わかりますが、琴を弾くほか、何を申し上げたらいいのでしょう。

あはればかりは
何と訳しても、あはれの風景が広がる。




あかずをかしきほどに、さるおほどかなる物の音がらに、ふるき人の心しめてひき伝へける、同じ調の物といへど、あはれに心すごきものの、かたはしを掻き鳴らしてやみ給ひぬれば、うらめしきまで覚ゆれど、夕霧「すきずきしさを、さまざまにひきいでてもごらんぜられぬるかな。秋の夜ふかし侍らむも、昔のとがめやとはばかりてなむ、まかで侍りぬべかめる。またことさらに心してなむ候ふべきを、この御琴どもの調かへず侍たせ給はむや。ひきたがふることも侍りぬべき世なれば、うしろめたくこそ」などと、まほにはあらねど、うちにほはしおきて出で給ふ。




もっと聞いていたと思うほどに、その鷹揚な音色によっても、故人が熱心に教えたため、同じ調子のものながら、寂しくも、凄いと感じ入る。ほんの少しだけ掻き鳴らして、おやめになったので、恨めしい気持ちがするが、夕霧は、私の心の動きを、和琴や琵琶を弾いて、お目にかけてしまいました。秋の夜更けまでおりましても、故人に、お叱りを受けるかと、遠慮されます。もう、ご無礼いたすべきようです。日を改めて、失礼のないように、気をつけて、参上いたそうと思いますが、このお琴の調子を変えずに、お待ちください。兎に角、思いもよらないこともありますこの頃です。気がかりでございます。と、はっきりではないが、心の内を、ほのめかして、お出になる。




御息所「こよひの御すきには、人ゆるし聞えつべくなむありける。そこはかとなき古へ語りにのみ紛らはさせ給ひて、玉の緒にせむここちもし侍らぬ、残り多くなむ」とて、御贈り物に笛を添へて奉り給ふ。




御息所は、今夜のお心の動き、誰もお許し、申し上げましょう。捕まえ所のない、昔話ばかりで、ごまかしてしまいました。寿命を延ばすほどにも、聞かせてくださらないのが、残念でございます。と、今宵のお礼の贈り物に、笛を添えて、差し上げなさった。





御息所「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおき侍りしを、かかる蓬生にうづもるるもあはれに見給ふるを、御さきにきほはむ声なむ、よそながらもいぶかしう侍る」と聞え給へば、夕霧「につかはしからぬ隋心にこそは侍るべけれ」とて見給ふに、これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ、「みづからもさらにこれが音の限りは、え吹きとほさず。思はむ人にいかで伝へてしがな」と折々聞えごち給ひしを思ひで給ふに、今すこしあはれ多く添ひて、こころみに吹き鳴らす。




御息所は、この笛には、古い由緒もあるように、聞いています。こんな草深い所に埋もれてしまうのでは、可哀想に思います。先払いに負けないほどに、吹いてくださる音を、ここから、聞いてみたいと思います。と、申し上げる。夕霧は、これは、私などには、もったいない随身でございます。と、ご覧になると、この笛も、御息所の言葉通り、故人が、肌身離さず、愛玩し、自分ながら、全くこの笛の、あらん限りは、吹き鳴らしは出来ない。大事にする人に、なんとかして、伝えたいものだ、と、時々、愚痴をこぼされていらっしゃったのを、思い出すと、更に、涙を誘う思いがまして、試みに吹き鳴らすのである。




盤渉調のなからばかり吹きさして、夕霧「昔を忍ぶひとりごとは、さても罪許され侍り、これは眩くなむ」とて、いで給ふに、

御息所
露しげき むぐらの宿に いにしへの 秋にかはらぬ 虫の音かな

と聞えいだし給へり。

夕霧
横笛の しらべはことに かはらぬを 空しくなりし 音こそ尽きせね

いでがてにやすらひ給ふに、夜もいたく更けにけり。




盤渉調の半分ばかりで、吹きやめて、夕霧は、亡き人を思い出す琴の独奏は、下手でも、聞いていただけましたが、この笛は、とてもきわりが悪くて、そう申して、お出になるので、

御息所
私どもが 涙に浸っております、この草の茂る家に、昔に変わらぬ笛の音を聞かせていただけました。

と、御簾の中から、歌詠みをする。

夕霧
横笛の、調子は昔のままに聞こえます。しかし、故人を忍ぶ者の泣き声は、つきません。

出てゆきかねて、躊躇しているうちに、すっかりと、夜が更けてしまった。



posted by 天山 at 06:51| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。