2015年12月17日

もののあわれについて778

今はまほにも見え奉り給はず、いとうつくしうらうたげなる御額髪、つらつきのをかしさ、ただ児のやうに見え給ひて、いみじうらうたきを、見奉り給ふにつけては、「などかうはなりにし事ぞ」と、罪うぬべく思さるれば、御几帳ばかり隔てて、またいとこよなう気遠くうとうとしうはあらぬ程に、もてなし聞えてぞおはしける。




女三の宮は、今では、まともにお顔を、合わせにならない。いかにも、可愛い可憐な、額髪や、お顔の美しさは、まるで、児のようである。源氏は、とても、いじらしいのを、御覧になり、どうして、このようになってしまったのか、と、罪にもなろうという、お気持ちになるのである。御几帳だけ隔てて、そして、大して、遠くかけ離れて、冷淡ではない程度に、扱い申し上げている。

女三の宮は、天皇の内親王であるから、更に、敬語になる。




若君は乳母のもとに寝給へりける、起きてはひいで給ひて、御袖を引きまつはれ奉り給ふさま、いとうつくし。白きうすものに、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけにげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なし給へるさまは、例の事なれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。頭はつゆ草してことさらに色どりたらむここちして、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、はづかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひいでらるれど、かれはいとかやうに、際離れたる清らはなかりしものを、いかでかからむ、宮にも似奉らず、今より気高くものものしう、さまことに見え給へるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず見なされ給ふ。




若君は、乳母の傍で寝ていたが、起きて、這い出していらっしゃり、袖を引っ張り、まとわりついていらっしゃる。その様子が、とても可愛い。白い薄物の上着に、唐綾の小紋の、紅梅襲のお召し物の裾が、長くだらしなく、引き摺られて、お肌が、すっかり見えて、着物が後ろにまとわりついている格好は、幼児の常であるが、とても可愛らしく、白くすんなりと、柳の木を削って、作ったようである。
頭は、つゆ草で、特別に染めたような感じで、口元は可愛く、艶やかで、目元は優しく、見事に、美しい所作などは、矢張り、故人を思い出してしまう。柏木は、このように、際立って、綺麗ではなかったが、母宮にも似ていず、今から、気品があり、立派で、特別に、抜きん出てお見えになる、御様子などは、鏡に映った、ご自分の顔に、似ていないとは、いえない気持ちになられるのである。

源氏が、そう感じでいるのである。
自分に似ているような、気持ちになっている。




わづかにあゆみなどし給ふ程なり。この筍のらいしに、何とも知らず立ちよりて、いとあわただしう取り散らして、食ひかなぐりなどし給へば、源氏「あな乱かはしや。いと不憫なり。かれ取り隠せ。食い物に目とどめ給ふと、物いひさがなき女房もこそ言ひなせ」とて笑ひ給ふ。かき抱き給ひて、源氏「この君のまみのいとけしきあるかな。ちひさき程の児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりの程は、ただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはいひ異なるこそわづらはしけれ。女宮ものし給ふめるあたりに、かかる人おひいでて、心苦しきこと、誰が為にもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてむとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞え給ふ。「うたてゆゆしき御事にも」と、人々は聞ゆ。




やっと、よちよちと歩きを始められたところである。この筍の、らいしに、何であるのか分らず、近寄り、ばたばたと取り散らかして、食いかじる様を、源氏は、なんだ、お行儀の悪い。いけないね、筍を片付けなさい。食べ物に目が無くていると、口の悪い女房が言うと、困る。と、笑う。
抱き寄せて、この子の目つきは、何かある。小さな子をあまり、見ないせいか、これくらいの年は、ただあどけないものとばかり思っていたが、この子は、今から、まるで様子が違うのが、心配だ。姫宮のいらっしゃる近くに、こんな若君が生まれてきて、やっかいなことか。どちらのほうにも、起こるだろう。ああ、この人たちが年取ってゆく将来までは、見届けることが、出来るだろうか。命あってのことだ。と、じっと見つめる。
女房たちは、まあ、不吉なこと、と申し上げる。




御歯のおひいづるに、食ひあてむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひぬらし給へば、源氏「いとねぢけため色ごのみかな」とて、

源氏
うきふしも 忘れずながら くれ竹の こは捨てがたき ものにぞありける

と、いて放ちて宣ひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひおり騒ぎ給ふ。




歯のはえかけたところで、噛み付いて当てようととて、筍をじっと握り、よだれを垂らして、かじりられるので、源氏は、変った色好みだ。と、おっしゃり、

源氏
嫌なことも忘れずにいるが、この子は、可愛くて、捨てがたいものだ。

と、抱き上げて、筍を取り上げ、この歌を、読みかけるが、ただ、にっこりとするばかりである。何とも、思わずに、さっさと、膝から這い降りて、動き回る。




月日に添へて、この君のうつくしう、ゆゆしきまでおひまさり給ふに、まことに、この「憂きふし」みな思し忘れぬべし。「この人のいでものし給ふべき契りにて、さる思ひのほかの事もあるにこそはありけめ。のがれ難かなるわざぞかし」と、少しは思し直さる。




月日がたつにつれ、この君が、愛らしく、怖いほどに、美しく成長されるので、本当に、歌に言う、嫌なことを、みなお忘れになってしまうだろう。この子が生まれるための、宿縁で、あの思い掛けない事も、起こったのだ。避けられない事だった。と、少しは、考えも変るのである。



posted by 天山 at 07:02| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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