2015年12月16日

もののあわれについて777

横笛

故権大納言のはかなくうせ給ひにし悲しさを、あかず口惜しきものに、恋ひ忍び給ふ人多かり。六条の院にも、大方につけてだに、世にめやすき人のなくなるをば惜しみ給ふ御心に、ましてこれは、朝夕にしたしく参りなれつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞや思しいづる事はありながら、あはれは多く、折々につけて忍び給ふ。御はてにも、誦経など、とりわきせさせ給ふ。よろづも知らず顔に、いははけなき御ありさまを見給ふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心のうちに、また心ざし給うて、こがね百両をなむ別にせさせ給ひける。大臣は心も知らでぞ、かしこまりよろこび聞えさせ給ふ。




亡き、権大納言、柏木の、消え入るように、亡くなった悲しさを、いつまでも、残念なことに思い、恋い忍ぶ方が多い。六条の院、源氏も、特別関係の無い人であってさえ、相応の人の死を、惜しむお方のこと、特に、この柏木は、朝に夕に、身近に上がるのが、いつものことで、誰よりも、可愛がりになっていらしたゆえ、けしからぬことと、胸に浮かぶ事件はあるが、感無量で、何かにつけて、思い出される。
一周忌にと、読経などを、特別にさせたまう。何も分らない顔をしている、赤子のご様子を御覧になり、矢張り、いじらしくてならないので、胸一つに、別の顔を作り、黄金百両を別に、供養させた。
柏木の父、大臣は、訳は知らないが、恐縮して、お礼を申し上げる。




大将の君も、事ども多くし給ひ、とりもちてねんごろに営み給ふ。かの一条の宮をも、この程の御心ざし深くとぶらひ聞え給ふ。はらからの君達よりも、まさりたる御心の程を、いとかくは思ひ聞えざりきと、大臣、上もよろこび聞え給ふ。なきあとにも、世のおぼえ重くものし給ひける程の見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思しこがるること尽きせず。




大将の君も、お布施を沢山され、ご自分も、熱心に供養される。あの一条の宮にも、このところ、特に、お心を込めて、お見舞い申し上げる。命のつながった兄弟の若様方より、熱心にお心配りされるので、これほどまでとは、思わなかったと、父の大臣、また母北の方も、お礼を申し上げる。死後にも、世間の評判の高くしていられることが分るので、ご両親は、大変残念に思い、胸の焦がれる思いが、やまないのである。




山の帝は、二の宮もかく人わらはれなるやうにて、ながめ給ふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、かけ離れ給ひぬれば、さまざまにあかず思さるれど、すべてこの世を思し悩まじとしのび給ふ。御おこなひの程にも、「同じ道をこそは勤め給ふらめ」など思しやりて、かかるさまになり給うてのちは、はかなき事につけても、絶えず聞え給ふ。




山の帝、法王陛下は、二の宮もこんな、人に笑われる境遇で、嘆き沈んでいられる。入道の宮も、普通の人らしいことは、一切捨ててしまわれたので、お二方とも、期待はずれと、思いになられるが、一切のこの世の事を、考えまいと、がまんされる。勤行をされる間にも、同じことをしていられよう、など、ご想像になさって、このように、入道になってからは、少しのことでも、いつもお便りを、差し上げる。




御寺のかたはら近き林に、ぬき出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、奉れ給ふとて、御文こまやかなる端に、
朱雀院「春の野山、霞もたどたどしけれど、心ざし深く掘りいでさせて侍る、しるしばかりになむ」

世をわかれ 入りなむ道は おくるとも おなじところを 君もたづねよ

いと難きわざになむある」と聞え給へるを、涙ぐみて見給ふ程に、大殿の君渡り給へり。例ならず、御前近きらいしどもを「なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なりける。見給へば、いとあはれなり。けふかあすかのここちするを、対面の心にかなはぬ事など、こまやかに書かせ給へり。この、おなじところの御ともなひを、ことにをかしき節もなき聖言葉なれど、「げにさぞ思すらむかし。われさへおろかなるさまに見え奉りて、いとどうしろめたき御思ひの添ふべかめるを、いといとほし」と思す。




お寺の傍近くの林に、生えた立派な筍や、その辺の山で掘った所などが、山里ゆえに、感じるところがあるので、女三の宮に、差し上げる。そのお手紙の、お心を込めて書かれた、初めに、朱雀院は、春の野も、山も、霞がかかってはっきりしないが、その中を、熱心に掘り出させたものでございます。おしるしだけです。

この世を捨てて入った、仏道は、私に遅れるとしても、私が願う、極楽、それと同じ所を、あなたも捜してください。

極楽往生は、とても難しいものです。という、お手紙を、涙ぐんで、見ていらっしゃるところへ、源氏がいらした。いつになく、傍近くに、らいしが幾つもあるので、源氏は、何だね。変だな。と、御覧になる。と、院のお手紙だった。
お読みになると、胸の迫る思いがする。余命がもう無い気がするが、思うままに、会えないことなどを、心を込めて、お書きになっていた。この、同じところへ、一緒にとの歌を、格別に立派な点はない、僧侶らしい歌詠みだが、いかにも、そう思っていられるだろう。その上、私までが、大事にしないという様子を見せては、いっそうご心配になられるだろうから、お気の毒だと、思いになる。




御返りつつましげに書き給ひて、御使には、青鈍の綾一かさね賜ふ。書きかへ給へりける紙の、御几帳のそばよりほの見ゆるを、とりて見給へば、御手はいとはかなげにて、

女三
うき世には あらぬところの ゆかしくて そむく山ぢに 思ひこそいれ

源氏「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所もとめ給へる、いとうたて心憂し」と聞え給ふ。




お返事を、恥ずかしそうに書かれて、お使いには、青鈍色の綾絹の一襲わ、お与えになる。書きそんじた紙が、御几帳の端から、ちらりと見えるのを、源氏が手に取り、見られると、御筆跡は、弱々しく、

女三
辛い世の中と違う所に住みたくて、静かな山寺に、入りたいと思います。

源氏は、出家には、向かない様子なのに、この、違う所、をお求めになるのは、何とも、酷く辛いことです。と、申し上げる。



posted by 天山 at 07:10| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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