2015年12月15日

もののあわれについて776

柏木と楓との、物よりけに若やかなる色して、枝さしかはしたるを、夕霧「いかなる契にか、木あへる頼もしさよ」など宣ひて、忍びやかにさし寄りて、

夕霧
ことならば ならしの枝に ならさらむ 葉守の神の 許しありきと

御簾の外のへだてある程こそ、恨めしけれ」とて、長押によりい給へり。「なよび姿、はた、いといたうをやぎけるをや」と、これかれつきしろふ。この、御あへしらひ聞ゆる少将の君といふ人して、

女二宮
柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か

うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひ給へなりぬる」と聞ゆれば、「げに」と思すに、少しほほえみ給ひぬ。




柏木と、楓が、他の木よりも、若々しい色をして、枝を差し交わしているのを、夕霧は、どのような前世の縁でか、枝先がつなかっている頼もしさ、などと、おっしゃり、目立たぬように、御簾の傍により、

夕霧
同じことならば、縁ある枝として、親しくさせてください。葉守の神の、許しがあったのですから。

御簾の外に隔てられているのが、恨めしい。と言い、長押に寄りかかっていられる。女房は、砕けたお姿もまた、たいそう美しいこと、と誰彼が、言い合っている。お相手する、少将の君を使い、

女二宮
柏木には、葉守の神は、宿っておりませんが、人を近づけてよい、梢でしょうか。

無遠慮なお言葉で、浅はかなお方だと、考えるようになりました。と、申し上げるので、いかにもと思い、にっこりと笑うのである。




御息所、いざり出で給ふ気配すれば、やをら居直り給ひぬ。御息所「憂き世の中を思ひ給へしづむ月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうはればれしうて、過ぐし侍るを、かく度々に重ねさせ給ふ御訪ひの、いとかたじけなきに、思う給へ起こしてなむ」とて、げに悩ましげなる御気配なり。夕霧「思ほし嘆くは世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそ侍めれ。さすがに、限りある世になむ」と、慰め聞え給ふ。「この宮こそ、聞きしよりは心の奥見え給へ。あはれ、げにいかに、人笑はれなることを取り添へて思すらむ、と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御有様も問ひ聞え給ひけり。いとまほにはえものし給ふまじけれど、いと見苦しう、かたはらいたき程にだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひあき、又さるまじきに心をも惑はすべきを、様悪しや。ただ心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。




御息所が、いざって出ておいでになった気配がするので、おもむろに、座りなおされた。御息所は、嫌な世の中を思い、塞ぎこんで、月日を送るせいでしょうか、気分が悪くて、おかしなほどに、ぼんやりと、暮らしております。このように、何度もお見舞いに下さり、恐れ多いことに、元気を出しまして、と、いかにも、辛そうな様子である。
夕霧は、お嘆き遊ばすのは、いかにも、道理でございます。と、申してばかりでは、いかがでございましょう。何もかも、前世からの約束事でございましょう。それにしても、限りある人生です。と、慰められる。そして、この宮は、かねて聞いていたより、奥ゆかしい方と思われる。本当に、どんなにか、外聞の悪さをも、嘆かれるであろうと思うと、心が動くので、心を込めて、ご様子も、お尋ねされた。器量は、十人並みではないけれど、酷く、見苦しくて、見ていられないほどでなければ、どうして、見目かたちで、女を嫌ったり、大それたことに、迷ったりしてよいものか。見苦しいではないか。ただ、気立てだけが、結局、大事なのだ。と思いになる。




夕霧「今はなほ、昔に思ほしなずらへて、うとからずもてなさせ給へ」など、わざと懸想びてはあらねど、ねんごろに気色ばみて聞え給ふ。直衣姿いとあざやかにて、丈立ちものものしう、そぞろかにぞ見え給ひける。女房「かの大殿は、よろづの事、なつかしうなまめきあてに愛敬づき給へる事の、並び無きなり。これは雄々しう花やかに、あな清らと、ふと見え給ふにほひぞ、人に似ぬや」と、うちささめきて、「同じうは、かやうにても出で入り給はましかば」など人々言ふめり。




夕霧は、これからも、是非、亡き人のおつもりで、親しくなさって下さい。などと、特に懸想びてではないが、心を込めて、意味を含めた言い方をされる。直衣姿は、大変鮮やかで、背も堂々と高く、すらりと見える。女房は、お亡くなりの殿様は、何につけても、優しく、美しく、上品で愛敬があることにつけては、二人といない御方でした。こちらは、男らしく、派手で、まあ、綺麗と、すぐに目に付く、お色の艶が、誰とも違います。と、囁く、同じことなら、このようなことでなくても、お出入りしてくださったなら。などと、女房達は、言うのである。




夕霧「右将軍が塚に草初めて青し」とうち口ずさびて、それもいと近き世の事なれば、さまざまに近う違う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬは無きも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けをたてたる人にぞものし給ひければ、さしもあるまじき公人、女房などの、年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しび聞ゆる。まして、上には、御遊び等の折ごとにも、まづ思しいでてなむ、しのばせ給ひける。「あはれ、衛門の督」と言ふことぐさ、何事につけても言はぬ人なし。六条の院には、ましてあはれと思しいづること、月日に添へて多かり。この若君を、御心一つには、形見と見なし給へど、人の思ひよらぬ事なれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、いざりなど。




夕霧は、右将軍の塚には、草はじめて青し、と口ずさんで、その藤原保忠の死も、最近のことだったから、色々につけ近く遠く、人の心を悲しませることがあった、世の中に、身分の高い人も、低い人も、惜しまない者がいないのも、表向きのことは、いうまでもなく、不思議に優しくすることを主にしていらしたから、たいしたことのない役人、女房などで、年取った皆でさえ、恋い慕うと、悲しく思うのである。
まして、主上におかれては、管弦の御遊びなどの折ごとに、まず第一に、思い出しなさり、お忍びあそばした。ああ、衛門の督が、という口癖を、何かにつけて、言わない人はいない。六条の院、源氏も、まして、可哀相だと思い出し、月日のたつに連れて、多いのである。この若君を、お心の中では、形見と御覧になるのだが、誰も気が付かないことなので、何にもならない。
秋ごろになると、この君は、はいはいして、這うのである。

柏木を終わる。



posted by 天山 at 06:46| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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