2015年12月07日

玉砕89

志願する特攻隊員について・・・

この特殊な点こそが、我々西欧人にとっては最も受け容れがたい点である。
ベルナール・ミロ

それは我々の生活信条、道徳、思想といったものとまさに正反対で、真っ向から対立してしまうことだからである。我々の世界には、いまだかつてこれと同様のことも似たようなことも事実としてあったためしをきかない。あらかじめ熟慮されていた計画的な死―――繰り返していうが、これは決して行為ではないーーー、そうしたものの美学が我々を感動させることはあっても、我々の精神にとってはそのようなことは思いもつかぬことであり、絶対に有り得ないことである。
ベルナール

何処の国にも、殉国の英雄という者はいる。
そして、その数は、数名、数十人程度である。
しかし、特攻隊は、十ヶ月の間に、4000名を超える殉国の勇士が、出現している。

その年齢は、十代後半から、二十代前半の、若者たちである。

日本の兵士には自己犠牲がポテンシャルとなって存在している。だから指揮官はそれを正当化しも意味づけさえすれば十分だったのである。このことはすべての日本の兵士たちが死にだっているとか、退却を否定し、生還を機隊しないなどということを意味するのではないことを、よくよく考えられたい。
彼らが絶体絶命の守勢にたたされたり、悲壮な状況下におかれたりしたときは、彼らの決意はきわめて自然に自発的な戦死にみちびかれたが、それも自己犠牲がこのように彼らにとっては象徴的な意味をもっていたからのことである。
ベルナール

特攻隊の編成は、完全に志願制によって、行われた。

このような精神構造があったればこそ、特攻志願は自発的に広がったのであり、志願者がかくも多数となったのである。もしもこの思考が高所から発してきたのだったら、これほどの興奮や集団的昂揚は、おそらく生じなかったことであろう。
ベルナール

フランス人であるから、実に、冷静に特攻隊を分析する。

多数が特攻隊入りを許可されたために、彼らは飛行隊にあふれていたが、すでに隊員となった者は次ぎには毎日のように上司に対して、先頭を切って出撃させてもらうことを主張したり、ねばりづよく交渉していたのである。
この態度を我々は決して誤解してはならない。これはなにも命を縮めたがっている人間の、過剰な神経の緊張の結果としての行動ではなかった。彼らは自分たちが実際行動に移り得ないままに戦闘が終わってしまうことを恐れていたのである。とにかく彼らの行動には我々西欧人はただ驚かされるばかりである。
ベルナール

西洋の合理主義は、戦争が終われば、その戦いに参加しようが、すまいが、問題ではなというするのである。
ところが、日本の軍人は、まず、戦場に立つことを、望む。
そして、勝ち負けではなく、戦場の中にこそ、軍人としての、存在理由がある。

だから、こそ、特攻隊員になったことを、殊更、言うこともない。また、それを、彼らは、嫌った。

「我々は軍人になった時に身命は天皇に絶対的に捧げているはずだ。そしてこのような苛烈な戦闘局面におちいった今となっては、飛行機に乗って出撃してゆく自分の身が、生きて再びここに帰って来れようなどと誰が考えるものか。神風であろうとなかろうと出撃は確実な死だ。だから我々を特別扱いするような名前をつけてもらうのは適当ではない・・・」

この言葉の中に、この時の戦況の展開を前にしての彼らの冷静で勇気ある動機づけと選択の理由が認められないであろうか。これらの「ポテンシャルの英雄たち」の行動が、あまりにも偉大な素朴さに帰せられる点で、我々の思考は混乱し、困惑してしまいもするけれども、とにかくこの通り彼らは完全に意識的で、考えは聡明で、正気だったのである。
ベルナール

菊水作戦の最高指揮官であった、宇垣司令長官は、歴戦の老練なパイロットは、決して特攻隊員とはしなかった。
老練なパイロットの任務は、高性能の戦闘機に搭乗して、未熟な特攻隊員を目標まで誘導し、敵が襲撃してくれば、その敵を迎撃するというものである。
特攻機を目標地点まで送り届けると、再び、基地に戻ることを、義務づけられていた。

この熟練パイロットの、援護があるからこそ、宇垣は、技術未熟な特攻隊員を、旧式飛行機に乗せて、出撃させることが出来たのである。

燃料の窮迫から、新米パイロットたちは極度に訓練時間を切り詰められて巣立っていた。それらのうちのある者は、基地にやってくるなり、いかなる応用的な訓練を一度もうけることなく、そのまま特攻に駆り出されて行った者さえある。
しかしながらこうしたパイロットたちでも、愛国心と闘魂の激しさにかけて、決して劣ってはいなかった。このような若人たちが、祖国の重大危機をよくわきまえて、自らの信念をいささかもひるませることなく、敢えて死地におもむいていったことはまことに感嘆するとともに、またきわめていたましいことである。
ベルナール

通常ならば、未熟なパイロットは、軍が、そもそも前線に出さないのである。
そして、本人も、出撃を拒むだろう。

しかし、特攻隊員の場合は、拒否するどころか。多少の怪我、病気でも、進んで、熱烈に、出撃を願ったのである。

西欧人であれば、その行為は、完全に、狂気の沙汰と、見なされるはずである。

特攻隊員には、全く、その狂気は見られない。
完全に意識的であり、考えは、澄明であり、正気だったのである。

だから、彼らを美化することは、彼らの思いとは、逆になる。
だが、彼らを見送った多くの人々・・・
整備士たちや、その他の任務に就いていた者たちには、彼らの姿が、神に近い存在として、映った。

それは、死ぬことが、決定しているからだ。
戦争の現場は、死に満ち溢れている。
しかし、誰もが、死にたいとは、思わない。
死なずに勝って、勝者になるために、励むのである。

だが、特攻隊は、死に、行くのである。
それが、決定している。
その決定を受け入れている姿は・・・
神に近いだろう。






posted by 天山 at 06:31| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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