2015年12月02日

玉砕87

すべては1944年10月25日に始まった。いや、より正確にいうなら、全世界はこの日驚くべきニュースに接したのである。新聞とラジオは、日本軍の飛行機がレイテ沖でアメリカ海軍艦船に決然たる体当たり攻撃を敢行し、大損害を与えたことを報じた。ニュースの解説者たちは、これらの攻撃が秩序だてて実行されたもののように見えるところから、これが日本軍司令官の命令に発したものであろうということを力説した。このときをもって、太平洋戦争の局面はまったく異常な展開を見せることになったのである。この日以来、それは世界戦史のいかなる戦闘にも似つかぬものと化した。
フランス人ジャーナリスト ベルナール・ミロー「神風」

最初の、特攻隊攻撃である。
敷島隊・・・

米機動部隊に突入し、空母セント・ローを撃沈し、米軍将兵に戦死また、行方不明1500人、負傷者1200人の大被害を与え、飛行機128機を、爆破したのである。

レイテ島慰霊の際に、私は、その現場の海岸で祈りを捧げた。
紺碧の空と、海の美しさ。
そんなことが、行われた場所なのか・・・

大きな、マリア観音が建つ。
私は、一人だった。
トックトックの運転手に写真を撮ってもらう。

正午に近い時間で、太陽が、燦燦と照りつける。
日の丸を掲げて、黙祷する。

何か言葉に出来るだろうか・・・
ただ、黙祷以外にないのである。
そして、想念の祓い清めのみ。

ベルナール・ミローは、書く。
太平洋戦争。その末期においてこれほど交戦国間で海空の戦力の懸絶した大差が生じた戦争はかつてなかった。そこには救いがたい劣勢におちいってしまった側にとって、それを挽回するチャンスも見込みも、事実上皆無だったといってよい。

最初の特攻から、五ヵ月後の沖縄戦では、レイテとは比較にならぬほど、計画的、連続的、大規模に実行された。

それは、米兵に対して、精神的に酷く打撃を与えたのである。

陸上よりも海上では、アメリカ水兵たちはよりいっそうの不安と焦燥にとらえられていた。今日までに受けた自殺攻撃による損害は比較的軽微だったけれども、これから先もこの程度で済もうなどとは考えられなかったからである。日本人がすべての戦力をふりしぼってこの沖縄の防衛にあて、狂暴な決闘をいどんでくることは疑いはなかった。アメリカ人にはみなそのことがわかっていた。だからこそ彼らは沖縄戦のこのような始まり方(無血上陸)を、何も増して気味悪く感じたのである。
ベルナール

レイテ湾に突入した、特攻隊は、24機だった。
しかし、沖縄戦では、303機の特攻機だった。

4月1日、アメリカ軍が上陸した。
その五日後の、6日、特攻総攻撃を企図した、菊水一号作戦が発動された。
陸海軍が共同して行った、一大特攻作戦であり、大量の特攻機が、広範囲にわたり行動することにより、敵の防御網を拡散させて、特攻機突入のチャンスを高めて、敵艦隊を完璧に撃滅することである。

フィリピンの最初の神風以来、彼らはこの種の日本人の自殺攻撃を皮肉り、茶化して考えてきた。しかしこの日ばかりは機関科員などの艦内部署についている者以外は、ほとんどの者が実際に煙を曳きつつも突っ込んでくる特攻機の凄惨な姿を見、かつ多くの者はそれが味方艦艇に激突して爆発する光景を目撃したのであった。彼らの理解をこえた敵のこのような神秘的な闘魂に、水兵たちは仰天し、圧倒されてしまったのである。このことはまさに自殺攻撃に大西中将らが期待した心理的効果そのものであった。アメリカ艦隊の将兵は、日本人のこのような祖国愛の熱中がどこまでエスカレートするのか、そしてまた自分たちがそれに対抗していつまで生きつづけられるかということを、自問しはじめるにいたったのである。
ベルナール

米兵たちは、味方の圧倒的な優勢を信じていた。
しかし、日本の特攻隊は、艦艇から打ち上げる、猛烈な弾幕をものともせず、真一文字に、突っ込んでくる。

撃墜される特攻機が、圧倒的に多いにせよ、現実に、何十隻もの艦船が、炎を噴き出し、黒煙を上げる。

突入してくる、特攻機には、人間が乗っている。
米兵たちは、信じられなかった。また、理解の範疇を超えていた。
このような連中を相手に、戦うことが出来るのか・・・
戦争に勝てるのか・・・

大戦勃発以来すでに五年、世界の人々は軍の発表や戦闘のニュースには食傷していたけれども、この事件のニュースだけには感銘を受けた。だが、これに対する意見はかなり分裂した。ある者はこの途方もない勇気の持主だったパイロットたちに尊敬と感嘆を惜しまなかった。また他のある者はこの戦闘手段の性質自体に戦慄をおぼえ、眉をひそめ、一種の集団的発狂だときめつけるものであった。
ベルナール

米海軍最高指揮官である、チェスター・ニミッツ元帥が言う。

四ヶ月にわたる沖縄作戦中、残存日本海軍と強力なアメリカ第五艦隊が矛を交えたことは一度もない。だが、我が海軍がこうむった損害は、戦争中のどの海戦よりも、はるかに大きかった。沈没30隻、損害300隻以上、9000人が死亡、行方不明または負傷した。この大損害は、主として日本の航空攻撃、とくに特攻攻撃によるものであった。

沖縄戦における連合国機動部隊指揮官、レイモンド・スプルーアンス大将は、ニミッツ元帥に、
日本機の自殺攻撃による攻撃は、作戦的な効果を累積しつつある。わが艦船のこれ以上の喪失と損傷は許されない。したがって、これを阻止するためにはあらゆる手段を尽くす必要がある。よって、太平洋艦隊は使用可能の全飛行機を動員して、至急に九州及び台湾の飛行場を攻撃されたい。
と、報告している。

沖縄戦は、地元住民も巻き込むという、悲惨な戦いだった。
だが、沖縄を守るという、日本軍の、この心意気をよくよく、見ておく必要がある。

もし、沖縄が大切な場所でなければ・・・
更に、日本人と同じ同胞がいるという、場所でなければ、あれだけの、被害を出さなかった。それは、台湾でも、同じである。





posted by 天山 at 06:29| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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