2015年12月16日

もののあわれについて777

横笛

故権大納言のはかなくうせ給ひにし悲しさを、あかず口惜しきものに、恋ひ忍び給ふ人多かり。六条の院にも、大方につけてだに、世にめやすき人のなくなるをば惜しみ給ふ御心に、ましてこれは、朝夕にしたしく参りなれつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞや思しいづる事はありながら、あはれは多く、折々につけて忍び給ふ。御はてにも、誦経など、とりわきせさせ給ふ。よろづも知らず顔に、いははけなき御ありさまを見給ふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心のうちに、また心ざし給うて、こがね百両をなむ別にせさせ給ひける。大臣は心も知らでぞ、かしこまりよろこび聞えさせ給ふ。




亡き、権大納言、柏木の、消え入るように、亡くなった悲しさを、いつまでも、残念なことに思い、恋い忍ぶ方が多い。六条の院、源氏も、特別関係の無い人であってさえ、相応の人の死を、惜しむお方のこと、特に、この柏木は、朝に夕に、身近に上がるのが、いつものことで、誰よりも、可愛がりになっていらしたゆえ、けしからぬことと、胸に浮かぶ事件はあるが、感無量で、何かにつけて、思い出される。
一周忌にと、読経などを、特別にさせたまう。何も分らない顔をしている、赤子のご様子を御覧になり、矢張り、いじらしくてならないので、胸一つに、別の顔を作り、黄金百両を別に、供養させた。
柏木の父、大臣は、訳は知らないが、恐縮して、お礼を申し上げる。




大将の君も、事ども多くし給ひ、とりもちてねんごろに営み給ふ。かの一条の宮をも、この程の御心ざし深くとぶらひ聞え給ふ。はらからの君達よりも、まさりたる御心の程を、いとかくは思ひ聞えざりきと、大臣、上もよろこび聞え給ふ。なきあとにも、世のおぼえ重くものし給ひける程の見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思しこがるること尽きせず。




大将の君も、お布施を沢山され、ご自分も、熱心に供養される。あの一条の宮にも、このところ、特に、お心を込めて、お見舞い申し上げる。命のつながった兄弟の若様方より、熱心にお心配りされるので、これほどまでとは、思わなかったと、父の大臣、また母北の方も、お礼を申し上げる。死後にも、世間の評判の高くしていられることが分るので、ご両親は、大変残念に思い、胸の焦がれる思いが、やまないのである。




山の帝は、二の宮もかく人わらはれなるやうにて、ながめ給ふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、かけ離れ給ひぬれば、さまざまにあかず思さるれど、すべてこの世を思し悩まじとしのび給ふ。御おこなひの程にも、「同じ道をこそは勤め給ふらめ」など思しやりて、かかるさまになり給うてのちは、はかなき事につけても、絶えず聞え給ふ。




山の帝、法王陛下は、二の宮もこんな、人に笑われる境遇で、嘆き沈んでいられる。入道の宮も、普通の人らしいことは、一切捨ててしまわれたので、お二方とも、期待はずれと、思いになられるが、一切のこの世の事を、考えまいと、がまんされる。勤行をされる間にも、同じことをしていられよう、など、ご想像になさって、このように、入道になってからは、少しのことでも、いつもお便りを、差し上げる。




御寺のかたはら近き林に、ぬき出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、奉れ給ふとて、御文こまやかなる端に、
朱雀院「春の野山、霞もたどたどしけれど、心ざし深く掘りいでさせて侍る、しるしばかりになむ」

世をわかれ 入りなむ道は おくるとも おなじところを 君もたづねよ

いと難きわざになむある」と聞え給へるを、涙ぐみて見給ふ程に、大殿の君渡り給へり。例ならず、御前近きらいしどもを「なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なりける。見給へば、いとあはれなり。けふかあすかのここちするを、対面の心にかなはぬ事など、こまやかに書かせ給へり。この、おなじところの御ともなひを、ことにをかしき節もなき聖言葉なれど、「げにさぞ思すらむかし。われさへおろかなるさまに見え奉りて、いとどうしろめたき御思ひの添ふべかめるを、いといとほし」と思す。




お寺の傍近くの林に、生えた立派な筍や、その辺の山で掘った所などが、山里ゆえに、感じるところがあるので、女三の宮に、差し上げる。そのお手紙の、お心を込めて書かれた、初めに、朱雀院は、春の野も、山も、霞がかかってはっきりしないが、その中を、熱心に掘り出させたものでございます。おしるしだけです。

この世を捨てて入った、仏道は、私に遅れるとしても、私が願う、極楽、それと同じ所を、あなたも捜してください。

極楽往生は、とても難しいものです。という、お手紙を、涙ぐんで、見ていらっしゃるところへ、源氏がいらした。いつになく、傍近くに、らいしが幾つもあるので、源氏は、何だね。変だな。と、御覧になる。と、院のお手紙だった。
お読みになると、胸の迫る思いがする。余命がもう無い気がするが、思うままに、会えないことなどを、心を込めて、お書きになっていた。この、同じところへ、一緒にとの歌を、格別に立派な点はない、僧侶らしい歌詠みだが、いかにも、そう思っていられるだろう。その上、私までが、大事にしないという様子を見せては、いっそうご心配になられるだろうから、お気の毒だと、思いになる。




御返りつつましげに書き給ひて、御使には、青鈍の綾一かさね賜ふ。書きかへ給へりける紙の、御几帳のそばよりほの見ゆるを、とりて見給へば、御手はいとはかなげにて、

女三
うき世には あらぬところの ゆかしくて そむく山ぢに 思ひこそいれ

源氏「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所もとめ給へる、いとうたて心憂し」と聞え給ふ。




お返事を、恥ずかしそうに書かれて、お使いには、青鈍色の綾絹の一襲わ、お与えになる。書きそんじた紙が、御几帳の端から、ちらりと見えるのを、源氏が手に取り、見られると、御筆跡は、弱々しく、

女三
辛い世の中と違う所に住みたくて、静かな山寺に、入りたいと思います。

源氏は、出家には、向かない様子なのに、この、違う所、をお求めになるのは、何とも、酷く辛いことです。と、申し上げる。



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2015年12月17日

もののあわれについて778

今はまほにも見え奉り給はず、いとうつくしうらうたげなる御額髪、つらつきのをかしさ、ただ児のやうに見え給ひて、いみじうらうたきを、見奉り給ふにつけては、「などかうはなりにし事ぞ」と、罪うぬべく思さるれば、御几帳ばかり隔てて、またいとこよなう気遠くうとうとしうはあらぬ程に、もてなし聞えてぞおはしける。




女三の宮は、今では、まともにお顔を、合わせにならない。いかにも、可愛い可憐な、額髪や、お顔の美しさは、まるで、児のようである。源氏は、とても、いじらしいのを、御覧になり、どうして、このようになってしまったのか、と、罪にもなろうという、お気持ちになるのである。御几帳だけ隔てて、そして、大して、遠くかけ離れて、冷淡ではない程度に、扱い申し上げている。

女三の宮は、天皇の内親王であるから、更に、敬語になる。




若君は乳母のもとに寝給へりける、起きてはひいで給ひて、御袖を引きまつはれ奉り給ふさま、いとうつくし。白きうすものに、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけにげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なし給へるさまは、例の事なれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。頭はつゆ草してことさらに色どりたらむここちして、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、はづかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひいでらるれど、かれはいとかやうに、際離れたる清らはなかりしものを、いかでかからむ、宮にも似奉らず、今より気高くものものしう、さまことに見え給へるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず見なされ給ふ。




若君は、乳母の傍で寝ていたが、起きて、這い出していらっしゃり、袖を引っ張り、まとわりついていらっしゃる。その様子が、とても可愛い。白い薄物の上着に、唐綾の小紋の、紅梅襲のお召し物の裾が、長くだらしなく、引き摺られて、お肌が、すっかり見えて、着物が後ろにまとわりついている格好は、幼児の常であるが、とても可愛らしく、白くすんなりと、柳の木を削って、作ったようである。
頭は、つゆ草で、特別に染めたような感じで、口元は可愛く、艶やかで、目元は優しく、見事に、美しい所作などは、矢張り、故人を思い出してしまう。柏木は、このように、際立って、綺麗ではなかったが、母宮にも似ていず、今から、気品があり、立派で、特別に、抜きん出てお見えになる、御様子などは、鏡に映った、ご自分の顔に、似ていないとは、いえない気持ちになられるのである。

源氏が、そう感じでいるのである。
自分に似ているような、気持ちになっている。




わづかにあゆみなどし給ふ程なり。この筍のらいしに、何とも知らず立ちよりて、いとあわただしう取り散らして、食ひかなぐりなどし給へば、源氏「あな乱かはしや。いと不憫なり。かれ取り隠せ。食い物に目とどめ給ふと、物いひさがなき女房もこそ言ひなせ」とて笑ひ給ふ。かき抱き給ひて、源氏「この君のまみのいとけしきあるかな。ちひさき程の児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりの程は、ただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはいひ異なるこそわづらはしけれ。女宮ものし給ふめるあたりに、かかる人おひいでて、心苦しきこと、誰が為にもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてむとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞え給ふ。「うたてゆゆしき御事にも」と、人々は聞ゆ。




やっと、よちよちと歩きを始められたところである。この筍の、らいしに、何であるのか分らず、近寄り、ばたばたと取り散らかして、食いかじる様を、源氏は、なんだ、お行儀の悪い。いけないね、筍を片付けなさい。食べ物に目が無くていると、口の悪い女房が言うと、困る。と、笑う。
抱き寄せて、この子の目つきは、何かある。小さな子をあまり、見ないせいか、これくらいの年は、ただあどけないものとばかり思っていたが、この子は、今から、まるで様子が違うのが、心配だ。姫宮のいらっしゃる近くに、こんな若君が生まれてきて、やっかいなことか。どちらのほうにも、起こるだろう。ああ、この人たちが年取ってゆく将来までは、見届けることが、出来るだろうか。命あってのことだ。と、じっと見つめる。
女房たちは、まあ、不吉なこと、と申し上げる。




御歯のおひいづるに、食ひあてむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひぬらし給へば、源氏「いとねぢけため色ごのみかな」とて、

源氏
うきふしも 忘れずながら くれ竹の こは捨てがたき ものにぞありける

と、いて放ちて宣ひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひおり騒ぎ給ふ。




歯のはえかけたところで、噛み付いて当てようととて、筍をじっと握り、よだれを垂らして、かじりられるので、源氏は、変った色好みだ。と、おっしゃり、

源氏
嫌なことも忘れずにいるが、この子は、可愛くて、捨てがたいものだ。

と、抱き上げて、筍を取り上げ、この歌を、読みかけるが、ただ、にっこりとするばかりである。何とも、思わずに、さっさと、膝から這い降りて、動き回る。




月日に添へて、この君のうつくしう、ゆゆしきまでおひまさり給ふに、まことに、この「憂きふし」みな思し忘れぬべし。「この人のいでものし給ふべき契りにて、さる思ひのほかの事もあるにこそはありけめ。のがれ難かなるわざぞかし」と、少しは思し直さる。




月日がたつにつれ、この君が、愛らしく、怖いほどに、美しく成長されるので、本当に、歌に言う、嫌なことを、みなお忘れになってしまうだろう。この子が生まれるための、宿縁で、あの思い掛けない事も、起こったのだ。避けられない事だった。と、少しは、考えも変るのである。

posted by 天山 at 07:02| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

もののあわれについて779

みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。あまたつどへ給へる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも、思ふにあかぬ所なくてものし給ふべきを、かく思はざりしさまにて見奉る事、と思すにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ口惜しかりける。




ご自分の運命にも、今なお、不満な点が多いのである。大勢集められた、婦人の中でも、この女三の宮こそは、申し分の無い、お人柄も、不満に思われる点もなくていらしたはずなのに、こんな、思いもかけない、尼姿で、お世話申し上げることになるとは、と、思うにつけ、過去の二人の罪を、許しがたく、今も残念に思う。




大将の君は、かの今はのとぢめにとどめし一言を、心ひとつに思ひいでつつ、いかなりし事ぞとは、いと聞えまほしう、御けしきもゆかしきを、ほの心えて思ひ寄らるる事もあれば、なかなかうちいでて聞えむもかたはらいたくて、いかならむついでに、この事の委しき有様もあきらめ、またかの人の思ひ入りたりしさまをも、聞しめさせむ、と思ひわたり給ふ。




大将の君、夕霧は、柏木が臨終の時に、言い残したひと言を、心密かに、思い出しては、どんなことだったのかと、とても、伺いたくて、お顔色も見たいのだが、少しばかり思い当たる節もあるため、かえって、口に出して申し上げるのも、具合が悪く、どのような機会に、この事の真相を明らかにして、また、柏木の思い詰めていた様子を、お耳に入れようと、思い続けていた。




秋の夕のものあはれなるに、一条の宮を思ひやり聞え給ひて、渡り給へり。うちとけしめやかに、御琴どもなど弾き給ふ程なるべし。深くもえ取りやらで、やがてその南の廂に入れ奉り給へり。端つ方なりける人の、いざり入りつる気配どもしるく、衣の音なひも、大方のにほひかうばしく、心にくき程なり。例の、御息所対面し給ひて、昔の物語ども聞え交し給ふ。




秋の夕暮れの、あはれなる日に、一条の宮は、どうしているのかと、思い出し、夕霧は、お出掛けになった。
くつろいで、心静かに、琴などを弾いているところなのであろう。奥へ、片付けるひまもなく、そのままにして、南の廂の間に、ご案内申し上げた。端の方にいた人は、今、いざり入ったばかりの感じで、衣擦れの音も、そのあたりに立ち入る香のにおいも濃く、奥ゆかしい。いつも通り、御息所が、お相手をされる。昔話しを、あれこれとなさり合う。

秋の夕のものあはれなるに
秋の夕暮れの寂しい・・・




わが御殿の、明け暮れ人しげくて、ものさわがしく、幼き君達など、すだきあわて給ふにならひ給ひて、いと静かにものあはれなり。
うち荒れたるここちすれど、あてにけだかく住みなし給ひて、前栽の花ども、虫の音しげき野辺と乱れたる夕ばえを、見渡し給ふ。




ご自分の御殿は、朝晩と、お客が多く、がやがやして、小さなお子たちが、集まり、騒がしくしているのが普通なので、静かで、心静かな、ものあはれを、感じる。
手入れされていない様子だが、品もあり、気位の高い住み方をされていて、お庭の花が、虫の音に、鳴き乱れる野辺のように、咲き乱れて、夕焼けに照らされているのを、見渡しになる。

いと静かにものあはれなり
静かで、心深く感じる・・・




和琴をひき寄せ給へれば、律に調べられて、いとよく弾きならしたる、人香にしみて、なつかしうおぼゆ。「かゆうなるあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、しづむることなくて、様あしき気配をも現はし、さるまじき名をも立つるぞかし」など、思ひ続けつつ、掻き鳴らし給ふ。故君の常に弾き給ひし琴なりけり。をかしき手ひとつなど、すこし弾き給ひて、夕霧「あはれ、いとめづらかなる音に掻き鳴らし給ひしはや。この御琴にもこもりてはべらむかし。承りあらはしてしがな」と宣へば、御息所「琴の緒絶えにし後より、昔の御わらは遊びの名残をだに、思ひいで給はずなむなりにて侍める。院のお前にて、女宮たちのとりどりの御琴ども、こころみ聞え給ひしにも、かやう方はおぼめかしからずものし給ふとなむ、定め聞え給ふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ給ふめれば、世のうきつまにといふやうになむ見給ふる」と聞え給へば、夕霧「いとことわりの御思ひなりや。限りだにある」とうちながめて、琴はおしやり給へれば、御息所「かれ、なほさらば、声に伝はる中の緒は、ことにこそ侍らめ。それをこそ承らむとは聞えつれ」とて、御簾のもと近くおし寄せ給へど、とみにしもうけひき給ふまじきことなれば、しひても聞え給はず。




和琴を引き寄せて、律の調子に整えられて、十分に弾き込んであり、誰かの移り香が染み込んで、心引かれるようである。こういう場所で、慎みのない、好き心のある人は、心を抑えられず、体裁の悪いところを見せて、よくない評判まで立てるのだ。などと、考え続けながら、弾かれる。
亡くなった柏木が、いつも弾いていた琴であった。見事な演奏を少し試みて、夕霧は、ああ、すばらしい音を、聞かせてくださったものだが。このお琴にも、あの音がこもって、おりましょう。お聞かせ願いたい。とおっしゃると、御息所は、主人が亡くなりましてから後は、昔の子供遊びの記憶さえ、思い出さないように、なられました。上皇さまの御前で、女宮たちそれぞれのお琴を、お試しなさったときも、こういう方面は、まんざらではなくていらっしゃると、上皇さまが、判定くだされなさいましたようで、この琴も、悲しい思い出の種と、拝見しております。と、申し上げるので、夕霧は、ご無理もないことでございます。せめて、終わりがあれば。と。外に視線を向けて、琴を御息所の方へ、押しやりになると、御息所は、亡き人の音が、やはり、そういうことなら、この琴に伝わっているかもしれません。聞いて分かるほど、お弾きください。嫌なことばかりに沈む、私の耳も、綺麗に洗いましょう。と、申し上げるので、夕霧は、ご夫婦の間に伝わる、音こそ、と特別でございましょう。それを伺いたいと、お願い申し上げたのです。と、御簾のそば近くに、和琴を押し寄せになるが、急には、お引き受けになりそうもないと、見受けるので、無理強いは、されない。

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2015年12月22日

もののあわれについて780

月さしいでて曇りなき空に、羽うち交す雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風はだ寒く、ものあはれなるに誘はれて、筝の琴をいとほのかに掻きならし給へるも、おく深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶をとり寄せて、いとなつかしき音に、想夫恋を弾き給ふ。夕霧「思ひおよび顔なるは、かたはらいたけれど、こと問はせ給ふべくや」とて、せちに簾のうちをそそのかし聞え給へど、ましてつつましきさしいらへなれば、宮はただ物をのみあはれと思し続けたるに、

夕霧
ことにいでて いはぬもいふに まさるとは 人に恥ぢたる けしきをぞ見る

と聞え給ふに、ただ末つ方をいささか弾き給ふ。


ふかき夜の あはればかりは 聞きわけど ことよりほかに えやは言ひける




月が差して、雲ひとつない空に、羽を打ち交わして飛ぶ、雁も仲間を離れずにいる。その声を、うらやましくお聞きになっていることだろう。風が、肌寒く、物寂しさに、心が動き、宮が筝の琴を、微かにお弾きになる音も、深みのある音なので、ますます熱心になってしまい、かえって、切ない気持ちがして、今度は、琵琶を手元に引き寄せて、やさしい音で、想夫恋を、お弾きになる。
夕霧は、お気持ちを察してのことのようで、気が引けます。この曲は、何かおっしゃってくださるかと思ってです。と、しきりに、御簾の中に向かい、催促されるが、想夫恋とは、いっそう手の出にくいお相手である。宮は、悲しみをかみ締めていらっしゃる。

夕霧
言葉に出して、おっしゃらない。おっしゃる以上の深い思いだとは、あなたの遠慮深いご様子で、わかります。

と、おっしゃると、宮は、ほんの終わりを、少しだけでお弾きになる。


夜更けの趣き深さは、わたくしにも、わかりますが、琴を弾くほか、何を申し上げたらいいのでしょう。

あはればかりは
何と訳しても、あはれの風景が広がる。




あかずをかしきほどに、さるおほどかなる物の音がらに、ふるき人の心しめてひき伝へける、同じ調の物といへど、あはれに心すごきものの、かたはしを掻き鳴らしてやみ給ひぬれば、うらめしきまで覚ゆれど、夕霧「すきずきしさを、さまざまにひきいでてもごらんぜられぬるかな。秋の夜ふかし侍らむも、昔のとがめやとはばかりてなむ、まかで侍りぬべかめる。またことさらに心してなむ候ふべきを、この御琴どもの調かへず侍たせ給はむや。ひきたがふることも侍りぬべき世なれば、うしろめたくこそ」などと、まほにはあらねど、うちにほはしおきて出で給ふ。




もっと聞いていたと思うほどに、その鷹揚な音色によっても、故人が熱心に教えたため、同じ調子のものながら、寂しくも、凄いと感じ入る。ほんの少しだけ掻き鳴らして、おやめになったので、恨めしい気持ちがするが、夕霧は、私の心の動きを、和琴や琵琶を弾いて、お目にかけてしまいました。秋の夜更けまでおりましても、故人に、お叱りを受けるかと、遠慮されます。もう、ご無礼いたすべきようです。日を改めて、失礼のないように、気をつけて、参上いたそうと思いますが、このお琴の調子を変えずに、お待ちください。兎に角、思いもよらないこともありますこの頃です。気がかりでございます。と、はっきりではないが、心の内を、ほのめかして、お出になる。




御息所「こよひの御すきには、人ゆるし聞えつべくなむありける。そこはかとなき古へ語りにのみ紛らはさせ給ひて、玉の緒にせむここちもし侍らぬ、残り多くなむ」とて、御贈り物に笛を添へて奉り給ふ。




御息所は、今夜のお心の動き、誰もお許し、申し上げましょう。捕まえ所のない、昔話ばかりで、ごまかしてしまいました。寿命を延ばすほどにも、聞かせてくださらないのが、残念でございます。と、今宵のお礼の贈り物に、笛を添えて、差し上げなさった。





御息所「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおき侍りしを、かかる蓬生にうづもるるもあはれに見給ふるを、御さきにきほはむ声なむ、よそながらもいぶかしう侍る」と聞え給へば、夕霧「につかはしからぬ隋心にこそは侍るべけれ」とて見給ふに、これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ、「みづからもさらにこれが音の限りは、え吹きとほさず。思はむ人にいかで伝へてしがな」と折々聞えごち給ひしを思ひで給ふに、今すこしあはれ多く添ひて、こころみに吹き鳴らす。




御息所は、この笛には、古い由緒もあるように、聞いています。こんな草深い所に埋もれてしまうのでは、可哀想に思います。先払いに負けないほどに、吹いてくださる音を、ここから、聞いてみたいと思います。と、申し上げる。夕霧は、これは、私などには、もったいない随身でございます。と、ご覧になると、この笛も、御息所の言葉通り、故人が、肌身離さず、愛玩し、自分ながら、全くこの笛の、あらん限りは、吹き鳴らしは出来ない。大事にする人に、なんとかして、伝えたいものだ、と、時々、愚痴をこぼされていらっしゃったのを、思い出すと、更に、涙を誘う思いがまして、試みに吹き鳴らすのである。




盤渉調のなからばかり吹きさして、夕霧「昔を忍ぶひとりごとは、さても罪許され侍り、これは眩くなむ」とて、いで給ふに、

御息所
露しげき むぐらの宿に いにしへの 秋にかはらぬ 虫の音かな

と聞えいだし給へり。

夕霧
横笛の しらべはことに かはらぬを 空しくなりし 音こそ尽きせね

いでがてにやすらひ給ふに、夜もいたく更けにけり。




盤渉調の半分ばかりで、吹きやめて、夕霧は、亡き人を思い出す琴の独奏は、下手でも、聞いていただけましたが、この笛は、とてもきわりが悪くて、そう申して、お出になるので、

御息所
私どもが 涙に浸っております、この草の茂る家に、昔に変わらぬ笛の音を聞かせていただけました。

と、御簾の中から、歌詠みをする。

夕霧
横笛の、調子は昔のままに聞こえます。しかし、故人を忍ぶ者の泣き声は、つきません。

出てゆきかねて、躊躇しているうちに、すっかりと、夜が更けてしまった。

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2015年12月23日

玉砕90

とにかく特攻隊への志願に強制というものが、どのような意味にせよ形式にせよ、いっさいなされなかったという事実は、すでに繰り返し述べた。また志願者の決意が決して一時的な興奮によるものではなく、熟慮した上での結論としてなされたことも、まちがいなく事実である。

もとより特攻志願者とても、正常な意識と間隔をもった人間であるから、内心の苦悩がなかったとはいえない。人間の本能である生への執着と、それを克服しようとする意欲とが複雑にからみ合い、彼らの心中にはしばらくのあいだ深刻な葛藤がにえくりかえたであろうことはまちがいない。しかし数日たって平静がもどってくると、彼らの態度も澄み切ったすがすがしいものとなり、諦観というものがなされたことがありありと認められたということである。
ベルナール

二十歳前後の若者たち・・・
それは、純粋性を、そのまま行為出来る、年代である。

今の若者との、比較は、出来ない。
当時の、時代性、時代精神というものを、鑑みれば、理解出来ることだ。

教育は、洗脳ではないが・・・
少なくとも、洗脳に近いものがある。
強制性の無い、洗脳である。

敗戦後、戦前と比較出来ないほどに、自由を許された。
そして、言論も、である。

勿論、敗戦後の教育は、極端に、自虐的史観が登場したが・・・

当時、天皇とは、大君であり、矛盾なく、天皇のために、いのちを捧げる教育が行われていた。
若者の、純粋さというものは、巌も、砕くものがある。
当然、特攻攻撃というものが、理解される。

時代性と、時代精神を無視することは、出来ないのである。

何度も言うが、特攻作戦を、批判、非難することは出来ても、特攻隊員を、批判、非難する人はいない。
出来るはずもないのである。

勿論、世の中には、何もせずして、人の批判ばかり出来る人たちも、大勢存在する。
また、その方が、多いだろう。

フランス人が、特攻隊を徹底的に、調べ尽くしたということも、驚きだが・・・
ベルナール・ミロが、著した特攻隊の出撃風景がある。

その、第一号の、敷島隊の様子である。

整備員が暖機運転を終わった。いよいよ出撃である。そしてこれが日本の特攻隊の最初の出撃となったのであった。定刻に敷島隊は離陸を開始した。基地の全員が眼に涙をたたえてこの出撃を見送った。この平然として確実に定められた死に向って出発してゆく人々を、どのように感嘆しても感嘆しすぎることはなかったであろう。
ベルナール

特攻隊の日常を調べ尽くした、ベルナール・ミロは、
特攻を志願して許された者たちは、この日まで実に平静な日々を過ごしてきていた。彼らの日常の生活態度は、どうみても死があと数日迫っている人たちとは思われなかった。
と、言う。

最後の使命を帯びて飛び立つ前に、特攻パイロットは身近を整理し、家族に遺書をしたためて頭髪や爪を封入し、所持品を残留する人々に分かち与えた。そしていよいよの出撃に際しては、操縦席から笑顔でもってさらばの合図に手を振り、そして離陸していった。これは出撃を見送る人にこらえ切れぬ感動をさそうものであったが、読者は考えてもみられたい。いったいこのような態度が、狂気のとりこになった者とか、過剰な興奮にのぼせきった人間などにとれるものであろうか。
ベルナール

それが、どのような境地なのか・・・
冷静で、平静なもの。
死を前にして・・・

私は、宗教が言うところの、悟りを知らない。
知る必要もないと、想っている。
だが、もし、悟りの境地とは、彼ら、特攻の隊員の心境を言うとしたら、理解出来るのである。

人間は、死を目の前にして、何を言い、何を語れるのか。
超越した、覚悟があれば・・・
ただ、笑って行くしかない。

また、大義のために・・・
国のため、郷土のため、家族のため、そして、天皇のために。
この場合の、天皇とは、国体ということである。
国体とは、国土と、国民を言う。天皇は、その象徴であった。

特攻隊員は出撃の離陸のその瞬間まで、粗末な給養で、苦行僧同然の生活を送っていたのである。だが誰も不満を訴える者はいなかった。いや真実、誰も不満をおぼえていなかったようである。残り少ないこの世での生活とあっては、それをできるだけ快適なものとするために、彼らはあらゆる贅沢と自由を要求して然るべきだっただろう。だが誰もそうしなかった。彼らは物質から超脱していた。
ベルナール

何故、そのようなことが、出来たのか・・・
彼らは、少年、青年という、若さゆえであると、私は考えている。
その、若さの純粋さが、彼らを、神の如くにした。

神風精神のみなぎりは、他の方面にも深い影響を及ぼしていた。特攻パイロットと行動を共にできないもの、たとえば主計科や整備兵、それに滑走路補修の施設隊員たちも、みな共通の感動をもっていた。彼らは特攻パイロットたちが出撃までのこの世の生を享受できるようにと、自分たちなりに考え得るすべてのことをした。彼らは自らに休息を課さない働きだけが、特攻パイロットに捧げ得る唯一のプレゼントなのであった。また、彼らの希望をおくパイロットに対するねぎらいと感謝の表現なのである。
ベルナール

特攻隊員でない者にとって、特攻隊員たちは生きながらの神であり、敬うべく、奉仕すべき存在であった。彼らは隊員に感謝し、かつ肉弾攻撃を実行できない自分たちを卑下していた。その気持ちを彼らはサービスにこめたのである。これは整備兵だろうと主計兵だろうとみな同じであった。整備兵たちは、離陸前の最後の瞬間まで機体にとりついた。
ベルナール
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2015年12月24日

玉砕91

圧倒的な物量を誇る、米機動部隊に対して、特攻隊は、戦闘機、回天、桜花、震洋といった、小兵器を持って、特攻を敢行した。

実際にこれらの武器で、戦果をあげ得る前にあえなく散華した多くの純粋な若者たちには、彼らの驚嘆すべき祖国愛の高揚と、その比類ない勇気のゆえに、いっそういたまくし、まことに胸えぐられる悲痛さを禁じ得ないものがある。
しかし、これらの武器が我々の眼にはいかに悪魔的と映り、それによってあたら命を捨てた若者たちの冷たい勇気と決意のほどがいかに我々を畏怖せしめようとも、それでもなおかつこれらの日本の若者たちは、言葉の最も高貴な意味において英雄であり、未来永劫、英雄として我々の心中に存在しつづけることはまちがいない。
ベルナール・ミロー

それは、彼らが、無名の戦士だったからである。
その行為は、無私、無償の行為である。
地位と名誉とは、無縁なもの。

筆を進めつつも、著者は日本人の特攻隊員に敬意を禁じ得なかった。

神風は著者にとってひとつの叙事詩となった。なぜなら数千人の日本の若者が、愛機をあやつって滑走路に出てきて、そこから敵撃滅の意気に燃えて絶対の死が待つ所へ出発していったのであるが、その各人が実にさまざまに様子の異なる感情を抱いて出て行っているので、そのさまは大きな叙事詩を形成しているように思われたからである。
ベルナール

日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期の数ヶ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去から引き出してきた。すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。
このことをしも、われわれ西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと著者は考える。
ベルナール

彼らは人間というものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。
ベルナール

つまり、人間は、信じられるという可能性である。
これについては、多くを言葉にしない。
様々な角度から見ても、そうである。

彼らの採った手段があまりにも過剰で恐ろしいものだったにしても、これら日本の英雄たちは、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れられてしまったことの使命を、取り出して見せ付けてくれたのである。
ベルナール

美化するのでも、美談にする、あるいは、英雄譚と見れば、意味がない。

精神の純粋性といった人間性の尊厳を世界の精神史に鮮烈に刻みつけた一大モニュメントとして把握するとき、特攻は世界史的意味においても、充分すぎるほどの現代的意義を持つものなのである。
特攻の本

私は、特攻作戦を讃美しない。
特攻隊員を、讃美する。

邪な心では、それ、特攻隊を理解出来ないばかりか、屁理屈の下手な批判や、非難を聞くだけである。

その、時代性と、時代精神が生んだもの、それが、特攻隊である。

日本の歴史に存在する、大君、天皇という存在の意義と意味も、私は、ここから考えることが出来る。
この、純粋性というものは、伝統があって、成り立つものであることだ。

伝統のないところに、どうして、純粋性などいう、精神の輝きがあるだろうか。

そして、彼らの多くが、万葉集を持参していたということでも、分るのである。
それも、万葉集は、昭和初期に、ようやく現在の形で、世に現されたものである。

その、万葉集の中にある、防人たちの歌の数々・・・
彼らは、その歌の一つ一つに、身を持って読んだことだろう。
身読という。

彼らの行為は、英雄である。
無名の戦士である。

雲湧きて 流るるはての 青空の
その青の上 わが死に所     古川正崇
くもわきて ながるるはての あおぞらの そのあおのうえ わがしにどころ

昭和25年5月29日、神風特別攻撃隊振天隊の一員として、沖縄海域で戦死した、23歳の若者が、出征の日に歌った。

単純素朴な歌である。
だが、そこに、死に場所を見た若者の心・・・

昭和18年10月1日、第十三海軍飛行隊予備学生として、三重、土浦の海軍航空隊に入隊した、若者は、4726名である。
それから、敗戦までの、一年十ヶ月のうちに、1605名が、戦死した。
更に、そのうち、特攻隊員として、散華した若者は、447名である。

それらの、若者たちの、遺書、遺稿をまとめた、「雲流るる果てに」から、紹介する。

それらの若者たちは、入隊時には、操縦の知識、技術も皆無である。
入隊早々から、猛訓練に明け暮れた。

一瞬の飛行作業もすなわち戦闘なり。
救世の務めなり。最後の忠節なり。
今日も一日最善を尽さん。

23歳で、フィリピン方面で、特攻死した、市川猛の言葉である。

最後の忠節・・・
現代の若者が、忠節の意味を知るだろうか。
勿論、救世という言葉も、である。

死を覚悟しなければ、容易に出て来ない言葉である。

これから、しばらく、特攻隊の若者たちの、遺書、遺稿を眺めてみる。

posted by 天山 at 06:47| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

玉砕92

お母さん、ご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
―――それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳万歳、こう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考えます。
お母さん、お母さん、お母さん!
こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいって下さい! 一言で充分です。いかに冷静になって考えても、いつもいつも浮かんでくるのはご両親様の顔です。父ちゃん! 母ちゃん!
僕は何度もよびます。

飛行機乗りは必ず死するものであります。

「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であったことについて大きな誇りをもって下さい。勇ましい爆音をたてて先輩が飛んで行きます。ではまた。

23歳、台湾、高雄にて殉職した、富田修。

ではまた・・・
悲しい。

死を前にして、ではまた。
もう、会うことはないのである。

教育とは、緩やかな、洗脳である。
当時の教育は、軍国の教育である。
当然、国のために、死ぬという、教育が成される。
国の歴史には、どの国も、そういう時期がある。

多くの、特攻隊は、独身だった、しかし、妻帯者も少なからず存在した。

出発してよりすでに半月、便りしたいと思いながらも、心に余裕もなくご無沙汰いたしました。ちょうど、明日帰る者がいるので、好便に託します。お前に泣かれるのが辛かったので、どうせ分ることとは知りながら黙ってまいりました。しかし心では感謝の言葉を、幾度繰り返してたか分らない俺の心もくんで許してくれ。この頃少し心に余裕ができると、お前のこと、生まれてくる子供のことが気になってならない。どうか体にだけはくれぐれも気をつけてくれ。

お前の写真と、悦ちゃんの写真を出しては眺め、最初にして最後の死の出撃を待っていた。

この前やってきた荻原にも、お前のことを聞いた。しかし驚いてはいけない。荻原も来た翌る日の出撃に散ってしまった。
人の命の儚さは、今さらながら唖然とするものがあるが、この頃はだいぶ神経も太くなってきた。お前も心を太く持って、待っていてくれ、必ず帰る。お前が子どもを安産するまではそう簡単には死なないつもりだ。

その翌日、特攻散華する。

25歳、鹿児島県、出水沖にて特攻死した、古河敬生が、出水航空基地から、若妻に送った手紙である。

必ず帰る・・・
妻のために、嘘を書く。

これは、手紙というより、遺書である。
あまりにも、切ない遺書だ。

いかなる人間も、死を前にした時に、真面目になるだろう。
そうではない人もいるかもしれないが・・・
そして、死生観というものが、生まれる。

特攻隊員は、短時間のうちに、その死生観を身につけたと、思う。

追悼慰霊をしている、私は、いつも、死というものを、突き付けられた。
死ぬということを、見つめると、自ずと、生きるという、姿勢を問うことになる。

死ぬまで、生きる。だが、その時が来たら、見事に死ぬ。
死生観である。
現在は、大義のために、死ぬということはない。
これほど、死ぬという意識が、曖昧になった時代もない。

24歳、木更津で殉職した、石野正彦の遺文。

心卑しからば外自ずから気品を損し、様相下品になりゆくものなり。多忙にして肉体的運動激しくとも、常に教養人たるの自覚を持ちて心に余裕を存すべし。教養人なればこそ馬鹿になりうるなれ。馬鹿になれとは純真素直なれとの謂れなり。不言実行は我が海軍の伝統精神なり。黙々として自らの本分を尽くし、海軍士官たるの気品を存するが吾人のあるべき方法なり。吾今日痛感せる所感をあげ、もって常住坐臥修養に資せん。

しかして誠を貫くことは不動の信条なり、寡黙にしてしかも純真明快、凛然たる気風を内に秘め、富嶽の秀麗を心に描きて忘るべからず。

一緒に死ぬのは斎藤幸雄一等飛行兵曹とて二十一歳の少年? かわいい男です。なぜか私をしたってだいぶ前から一緒に飛んでいますが、死ぬのも一緒です。技術も非常に優秀な人です。伯父さんが仙台におるそうです。別便に住所があるから慰問してあげてください。
最後の夜に映画があります。今から。

一緒に死ぬ
慰問してあげてください・・・

死を確定して書いている。
その根性は、恐るべきものである。

ここまで、追い詰める。いや、追い詰めたものは・・・何か。
我が身で、問い詰め、追い詰めたのである。
つまり、積極的、能動的、死ぬ覚悟である。

武士道とは、死ぬことと、見つけたり。という、言葉があるが、正に、武士道である。

若者だから、ここまで、純粋無垢に、辿り着いたのか・・・
いや、誰もが、覚悟を持てば、出来ることである。

臆病な者でも、中途半端な者でも・・・
ふざけている者でも、誰もが、持つことが出来る、精神、根性である。

戦争という、場が、その覚悟を求めた。

戦争には、絶対反対するが・・・
人の覚悟には、賛成する。
今の時節は、何を持って、覚悟とするのか・・・
posted by 天山 at 07:23| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

玉砕93

出撃の朝。
散歩に行くような、小学校の頃遠足に行くような気持ちなり。
○ 三○○朝めし。すしを食った。あと三時間か四時間で死ぬとは思えぬ。皆元気なり。

遺書の最後である。
22歳、南西諸島方面で特攻死した、牧野けん

若者だからか・・・
これは、死ぬことを無意識に追い出している。

午後、幾組かの飛行機○○基地へ向け進出す。館山から一緒だった高木少尉、渡辺功男一飛曹も出た。遠からず俺たちも出ることだろう。人生五十年、その半分を無事に生き抜いたことも思えば不思議なくらいだ。子供の頃が思い出される。三月十七日三浦君とであったが、これが最後であろう。三浦君も遠からず行くであろう。
突っ込む時は、どんなものであろうか?
さっぱりとしたなんともいえぬ気持ちだろうと思うのだが、何となく気に掛かる。

24歳で、沖縄海域にて、特攻死した、飯沼孟である。

ここでも、恐怖心は、無い。
一瞬の出来事で、死ぬのである。
純粋さゆえの、諦観なのか・・・

矢張り、24歳で、沖縄海戦で、特攻死した、千原達郎は、

遺言のごときは敢えて書かず、ただ立派にお役に立ちますよう夜昼となくお守り下さった母上に心からありがとうを申し上げるのみなり。

と、覚悟の決定をしている、様である。

この時代に、生まれ合わせた若者として・・・
不可抗力を受け入れている。

生死一如の心境を、多くの著作から、読み続けていた私は、この特攻死の覚悟には、及ばない。
ただし、今、私は、大義のために、死ぬことを善しとする。
大義のために、死ぬ機会があれば、私は、死ぬ。

私は誰にも知られずそっと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散っていったことか。私は一兵士の死をこのうえもなく尊く思う。

22歳で、沖縄海域で、特攻死した、溝口幸次郎である。

いよいよ出撃もあます二三日だろう。明日より菊水四号作戦あり。一号より三号まで多大なる戦果とともに、数多の戦友は散華した。
ひととせを かへり見すれば なき友の
数へ難くも なりにけるかな
四号作戦終われば、いよいよ俺の中隊突入の番だ。最後まで自重せん。沖縄は断じて敵にゆずらず。生命もいらず、名誉も地位もいらず、ただ必中あるのみ。深山のさくらのごとく、人知れず咲き、散るべき時に潔く散る。何の雑念も含まず。
夜十時、進出命令下る。

23歳、南西諸島方面にて、特攻死した、西田高光である。

この心境を、一生に渡り、持続して持ち続けて生きることは、至難の業である。しかし、特攻隊は、若き一瞬にして、生死一如の境地を得たと思う。

海軍航空隊に生活して、初めて私も悠久の大義に生きる道を悟りました。戦地に来て未だ十日ですが、私の戦友部下達の相当の数が戦死しました。これらの友と部下達のことを想うと、生きて再び内地の土を踏む気持ちにはなれません。
私は必ず、立派に戦って、悔いなき死に場所を得るつもりでおります。

皇国三千年の歴史を考うる時、小さな個人、或いは一家のことなど問題ではありません。我々若人の力で神洲の栄光を護り抜いた時、皇恩の広大は小さな一家の幸福をも決して見逃しにはしないと確信します。

26歳、フィリピン方面で特攻死した、吹野匡は、母に書いた遺書である。

これを読むと、日本には、武士道と、特攻精神があると、納得する。

小さな個人、或いは一家のことなど問題ではありません
上記は、すでに国家と、そして、皇室、天皇を、信じている。
皇恩とは・・・
天皇を戴く、日本という、国を信じている。
この意識は、素晴らしいものだ。
愛国心・・・そんな言葉では、語れないのである。

国家に忠誠を尽くすという、心意気。
国家を信じている有様は、今現在の、日本の若者には、考えられないほどの、威力である。

我々に明日はない。昨日もない。ただあるものは今日、否、現在のみ!

私は郷土を護るためには死ぬことができるであろう。私にとって郷土は愛すべき土地、愛すべき人であるからである。私は故郷を後にして故郷をいまや大きく眺めることができる。私は日本を近い将来に大きく眺める立場となるであろう。私は日本を離れるのであるから。そのときこそ、私は日本を本当の意味の祖国として意識し、その清らかさ、高さ、尊さ、美しさを護るために死ぬことができるのであろう。

25歳、本州東方海上で特攻死した、林憲正の遺書である。

散る桜 残る桜も 散る桜
未だこういう大悟の境地をしかと把握してはいませんけれど、これはほんとうに真理だと思います。およそ生をうけたものはすべて死すべき運命をもって生まれてきております。必ず死ななければならないんです。だから死すべき好機を発見して死ぬことができたならば大いに意義ある人生を過ごしえたことになると思います。御国のために死ぬということは天地と共に窮りなき皇国日本と、とこしえに生きることであると思います。

22歳、南西諸島海域で戦死した、真鍋信次郎である。

現代の、少しばかり、賢い若者、そして、斜に構えた若者には、理解しえないことだろう。国のために、死ぬということ。

この時代の、不可抗力を受け入れた姿。
そこに、意味と意義を見出し、そして、大義を得たのである。

死ぬ意味を見出す行為は、ただでさえ、難しい。
しかし、その時代にあって、その意義を見出しえた若者である。

何度も書くが・・・
特攻攻撃を批判し非難しようと、特攻隊その人たちを、批判、非難することは、出来ないのである。

彼らの、死に対して、ただ、黙祷以外のことを、思わない。

posted by 天山 at 07:55| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

玉砕94

日本の精神には、武士道と、特攻精神がある。
これは、日本人として、誇れることである。

そして、その精神の底流に流れているものは、もののあはれ、という、心象風景だと、私は言う。

特攻隊員の、遺書、遺文を見ている。

人には、それぞれ、百人百様の、幸福感というものがある。
それを、誰も、強制することは、出来ない。

一千万円あっても、一億円があっても、幸福ではない人もいるだろう。
逆に、それだけで、幸福という人もいるだろう。

兎に角、拝金主義がはびこっている、世の中になった。
迷惑メールには、お金儲けの話が、続々と、流れてくる。
お金さえあれば、幸福だと、思う人が多いことも事実だろう。

そして、その空虚さに、気づく人もいるだろう。
さらに、死を急ぐ人もいる。

意味もなく、死ぬ。意義もなく死ぬ。
これは、不幸なことではないか・・・

だが、時代性とはいえ、特攻隊として、死ぬことを余儀なくされた。いや、志願して、特攻隊に入った。
多くの特攻隊員のうち、心を迷わせた隊員もいるだろう。

死ぬことは、いい、だが・・・

24歳、金華山沖で、殉職した、宅嶋徳光は、「くちなしの花」という手記に書いた。

君に会える日はもう当分ないだろう。或いは永久にないかもしれない。
手向けの花にくちなしを約束しておいてよかったと思っている。
あの花は母も好きだった。

はっきりいう、俺はお前を愛している。しかし、俺の心の中には今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それは、お前のように優しい乙女の住む国のことである。俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く胸を打たれたのである。もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものというなら、お前は怒るだろうか。否、俺の心を理解してくれるのだろう。ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。自我の強い俺のような男には、信仰というものがない。だから、このような感動を行為の源流として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。俺は確信する。俺達にとって、死は疑いもなく確実な身近の事実である。

サイパンの玉砕を聞いた時、私の胸は冷酷な事実の前に激しく痛んだ。どのようなことになっても私はサイパンの悲劇からお前達を救わねばならない。愛すべき小さなお前達の将来のために、私たちは戦わねばならない。
大儀のためにも、そして国家存続のためにも、私たちは戦わねばならない。

また、愛する、八重子を思い・・・

俺は、遥かに俺のイマアジュの中に住んでくれる淡い碧白のプリンセスを着たお前を思い出す。
それだけで幸福なのだ。お前は本当に優しかった。俺の母以外に、お前ほど俺を愛してくれた者はいない。遠い空の下で美しく生きていてくれるお前のことを思うと、それだけで俺は胸が一杯になる。平和に生活してくれることを望む。

俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
ほんとうに俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだら白いくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人・・・

死ぬことが、確実であり、愛する人がいる。
何も言葉がないのである。
恨むべくは、戦争である。

平和は、万金の値だ。
そして、その平和に暮らす、私たちの現状である。

この日本の国のために、命を捧げてくれた。捨ててくれた特攻隊。
ありがたい・・・

それでは、その恩に報いるには・・・
平和を守り続けることだ。
そして、それは、防衛の意識を生む。

彼らが、命を張って守ったこの国を、蹂躙させてはならない。
彼らが、信じた、愛する国、皇国日本を、守り抜くことである。

日本は、2700年の伝統を戴く、天皇が国体の国である。
世界に唯一の国。

幸福とは・・・
人それぞれの、幸福がある。
しかし、国民国家が崩壊、全滅すれば、それぞれの、個人的な幸福など、有り得ないのである。

4000名以上の特攻隊の死を、無駄にしてはならない。
そのための、平和である。

そして、彼らに対する、追悼慰霊こそが、最大の義務であり、それは、平和を守ることと、同じに重いことなのである。

更に、特攻隊のみならず、英霊に対し奉る態度が、国の行く末を決める。

それぞれが、それぞれの形で、追悼慰霊をすること。
そして、国が、英霊に対し奉り、徹底的に慰霊することなのである。

黙祷は、誰もが出来る行為である。
場所も選ばず。

英霊を祀る場所では、黙祷をする。
国民の義務として・・・
その当たり前のことが出来ないとすれば、日本人ではない。
posted by 天山 at 06:54| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

打倒・韓国50

韓国とは、
外交の基本である「同等の立場」が最初から成立していないのです。そんな韓国に対して、日本側が、基本に忠実な外交、もう少し詳しく言えば、基本「だけ」に忠実な外交を仕掛けてみると、どうなるのでしょうか?
シンシアリー

と、言うことで、シンシアリー氏の、発言を書く。

韓国人は、何か特別な例外処置こそが自分への評価だと思っています。自分を例外として扱ってくれないと、基本とされる条件よりもっと良い条件で(追加料金なしに)扱ってくれないと、怒ります。「無私されている」と思ってしまうのです。こういうところは、規則を尊重すると言われている日本の皆さんにとっては、ちょっと理解しにくいことかもしれませんね。チェミョンだの序列意識だの、そういう歪みの副産物です。

私がこんなことまで口を挟むのは、明らかに出すぎたマネだと思いますが、日本は韓国に対して、「距離を置く」外交を行うべきかと思います。即ち、基本的なこと「だけ」を維持しながら、別れの時が来たら、軽い一回の握手でサヨナラできる、貸し借りなしの関係であればいいのです。
シンシアリー

つまり、現在の、安倍政権の、やり方がいいということだと、理解する。
安倍首相は、韓国での、日中韓の首脳会談で、一切、余計なことをしなかった。
朴大統領との、昼食会もせず、淡々として、関係者と焼肉を食べたと言う。

これが、距離を置く関係だ。

韓国国民に対しても、友好のパフォーマンスはなかった。
実に、有意義である。

スワップ協定再開の話が、韓国経済界から、日本の経済界へ、打診されたが・・・
日本政府は、沈黙。
それで、いい。

何もかも、基本的に、マニュアル的に対処すればいいのです。「隣国だから仲良くしなきゃ」「隣国に配慮すべき」という理想論で、日本側が近寄る必要はありません。冷たい話しですが、こんな状況を作ってしまったのは韓国ですから、仕方ありません。
シンシアリー

日本側は、首脳会談を求めた。しかし、韓国大統領は、竹島、慰安婦などの過去の歴史問題が、どうのと、実現しなかった。
ただ、日本は、基本的なことを提案したのみ。

アメリカ及び、ほかの国々からだと、こう見えるでしょう。「日本は極めて基本的なことを提案しただけなのに、韓国はどうして受け入れないの?」日本は言うべき事を言いました。韓国が応じようと応じまいと、日本が損をすることはありません。これが距離を置く外交というものです。「河野談話」のように、日本から積極的に近寄る外交はやってはいけません。絶対、利用されてしまいます。
シンシアリー

と、いうことで・・・
軍艦島などの、世界遺産登録の際も、積極的に韓国に働き掛けて、騙された。
日本を騙しても、何とも思わないのである。
日本は、悪だから・・・

シンシアリー氏とお別れする前に・・・
韓国の面白い、現実を教えてくれる。

韓国は、「日本が韓国側に合わせるべきだ」という考えを、「一部の極右勢力が韓国の言うことを否定しているが、実は日本国民のほとんどは韓国の言葉に同調している」という謎の主張として掲げ、そしてそれを実現しよようとしています。こんなにも日本が悪い日本が悪いと国中が騒いでいながら「日本国民は韓国が好き」とは、何の冗談だ・・・ってことにしか聞えませんが、それでも韓国は同じ主張を続けています。
シンシアリー

2014年1月、朴大統領は「大多数の日本国民は一部政治家とは異なる考えで、両国民は相互の文化を共有しながら、心を分かち合っている」と話した。

2013年1月5日の、毎日経済では、「今、韓国が注視すべきは、日本の右翼勢力ではなく、韓国を大事にしている平凡な日本国民であると専門家たちは話す」としている。

それでは・・・
2013年11月に行なわれた、日米共同調査のよると、韓国を信用していない日本人は、72%である。
中身は、あまり信用していないが、46パーセント、まったく信用していないが、26パーセントである。

そして、ちなみに、私は、全く信用していないのである。

これは何を意味しているのでしょうか? 韓国は日本国民に韓国を好きになって欲しいのでしょうか? ビジネスな側面以外に、それはありません。これは、韓国が自分の嫌がることに対して予防線を張っておいたのです。ズバリ、日本の国民がもっと自分の声を上げることこそが、韓国のもっとも嫌がることでもあるのです。
シンシアリー

と、いうことで・・・
日本人は、どんどん、韓国に対して、言いたいことを言うべきなのだ。

シンシアリー氏が心配するのは、
今の韓国からして、韓国の「反日」の「日」から自由になれる日本人はいるのでしょうか?
と、言う。

自由になれる人はいないのである。
だから、
十年前に比べると、日本の雰囲気は明らかに変ってきました。両国の(というか、ほとんど韓国側が持ち込んだ)歴史問題の各事案について、タブー感が弱まり、強い持論を持った人たちが増えてきました。
しかし、だからこそ、「深く強く」もいいけれど、「広くもっと広く」が必要な時点でもあります。強い持論なしに世論の形成を期待するのは無理でしょうけれど、だからといって、いくつかの強い持論が必ずしも広範囲な世論を巻き起こすことができるとも限りません。世論とは、もっと広い範囲で、大勢の意見が集まらないと、作れないものです。
と、言うことだ。

つまり、私のように、打倒・韓国を皆々、思いついたら、書き付けることであり、声を上げることである。

馬鹿につける薬はない。
馬鹿には、近づかないことだ。そして、距離を置く。
そのうちに、自ら、倒れる。自爆する。

国としても、基本「だけ」に忠実に相手にしていれば、いいのだ。

追加
慰安婦問題に関して、つい先日、韓国側に10億円を出すことで、合意した。
これには、どういう評価をしたらいいのか。

確実に、また、日本は騙されると、私は考える。
まだまだ、日本から、金が得られると、韓国側は考えるだろう。
だから、今度は、強制労働の問題を取り上げるようになる。

本当に、呆れる国、韓国だ。


posted by 天山 at 06:30| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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