2015年11月30日

玉砕85

大西中将は、開戦時、第十一航空艦隊参謀長として、フィリピン攻略作戦を成功させ、後に中央に帰還して、海軍航空の兵術、訓練、技術開発、生産などを担当する要職を歴任した。

航空本部総務部長在任中、連合艦隊は、南東方面において、ガダルカナルに始まる、巨大な航空消耗戦に巻き込まれる。
そして、たちまちのうちに底を突く、飛行機械の補充は賄えず、次々と、戦死する熟練搭乗員の代わりの養成も、思うに任せなかった。

その間、大西は、中央のポストの中でも、特に、現地部隊の要求が直接響く要職にあった。それゆえ、戦局の推移は、手に取るように分ったはず。

その後、軍需省に移り、戦争を、外側から眺める立場に変ったが、戦況は、益々悪化し、「あ」号作戦が敗れた後は、もはや、最終段階を迎えたことは、誰の目にも、明らかだった。

更に、敵の空母部隊の威力は、日を追うごとに強大となり、戦前からの、大西の予言の通り、航空機が戦争の主役であることが、今こそ、明確に立証されたのである。

特攻が、大西の、全くの、独創であるという、言い方は、正しくないといえる。
命令としての形を与え、責任の所在を明らかにしたのは、確かに、大西である。だが、反跳爆撃の発想を検討すると、体当たりをすることで、機材や技量の不足を補うという、考え方は、海軍内部に、広く醸成されつつあったのである。

現に、当時、水上機母艦千代田艦長である、長城英一郎大佐のように、航空機による特攻を個人的に意見する者も出ていた。

更に、「捷」号作戦時、すでに大本営では、回天(人間魚雷)、震洋(体当たりモーターボート)、甲標的(特殊潜航艇)、桜花(ロケット推進の小型飛行機)などの、奇襲兵器が、採用され、整備され始めていたのである。

時間的に間に合わなかったが、いずれも、生きた人間が操縦して、目標に体当たりする、肉弾戦法である。

つまり、間に合ったならば、様々な、特攻攻撃を行ったということである。

そして、それを成す者は、皆々、若者たちなのである。
一体、人の命を、何だと、心得ていたのか・・・
呆れ果てると共に、人命無視も、甚だしいのである。

人命無視といえば、この戦争の、日本軍は、実に、人命無視を続けたといえる。

中央において、「特攻」も、やむをえないと考え、この後に、大西自身が「統率の外道」とも思われる戦術を、航空関係者に信望のある、大西個人の責任の下、断行させようとした。

大西は、10月9日、東京を出発し、10日、鹿児島県鹿屋基地に着く。
ところが、同日、米機動部隊が、沖縄に来襲との報に接した。

すぐに、上海を経由して、11日、台湾、高雄に到着する。
ここで、マニラから迎えに来ていた、新任の副官、門司親徳主計大尉と合流した。

当時、高雄には、福留繁中将以下の、第二航空歓待司令部があった。
後に、福留長官が、マニラに渡り、大西は、熱心に「特攻」を勧告するのだが、このときは、それほど積極的に説くことはなかったという。

その翌日、12日から14日まで、台湾は、台湾沖空戦の余波ともいうべき、猛烈な米機動部隊の襲撃を受け、大西は、豊田長官と共に、新竹に足止めされた。

16日、新竹を発ち、17日、マニラの一航艦知れ零部に到着した。
ギリギリのタイムリミットだった。

ここで、大西は、自分が率いる一航艦の、戦力を知ることになる。
実に、ゼロ戦、30機のみである。

「捷」作戦を立案した当初、予定していた保有機数は、350機である。
今は、その十分の一にも満たない。

さすがの大西も、愕然とした。
そして、その驚きから、心中ひそかに考えていた、特攻の計画が、俄かに、現実味を増してきたのである。

しかし、敵は容赦なかったのである。
翌18日、レイテ湾内に、艦艇が侵入して、掃海を始めた。
輸送船を発見するまでには至らなかったが、米側の上陸計画は、明確となり、報告を受けた、神奈川県日吉台に本拠を置く、連合艦隊司令部は、同日夕、「捷一号作戦発動」を下令した。

この、捷一号作戦とは、フィリピンの何処かに敵が上陸してきたとき、基地航空部隊の協力のもとに、戦艦大和、武蔵をはじめとする、艦隊を敵上陸地点に突入させ、艦砲射撃で、爆破するという、作戦である。

基地航空部隊に課せられていた使命は、艦隊突入日まで、これと渡り合うことであった。
だが、可動機30機という状態では、果たすべき使命も、夢と化すのである。

普通ならば、諦めるはずが、大西は、なお粘る。
米空母を沈めることは、出来ないまでも、せめて、飛行甲板だけでも、破壊して、飛行機を使用出来なくすることは、出来ないか。

大西は、この18日の夜、寺岡中将に、自身の決断を述べ、同意を得たとされる。
寺岡中将は、後任予定者である、大西に、編制を一任した。

ここ、ここに至ると、体当たりしかない。

大西は、19日、マニラ北にある、クラーク基地の、第七六一航空隊司令前田孝成大佐と、飛行長庄子八郎少佐、マバラカット基地にある、第二○一航空隊、司令山元栄大佐、および飛行長中島正少佐を、マニラの、艦隊司令部に召致した。

正午過ぎに到着した前田司令一行に対し、大西は、とりあえず自分の意向を伝えた。
大西が、特別攻撃隊の編制を考えているのは、二○一空である。
その、山本司令の一行は、中々姿を現さない。

実は、手違いがあった。
その後、搭乗した飛行機が不時着し、山本司令は、負傷で入院し、中島飛行長は、20日になって、マバラカットに帰った。

19日、大西は、マバラカット基地の、二○一空本部を訪れ、隊員の主だった者を集めた。
大西中将は、一同を前にして、語った。
「戦局は皆も承知の通りであり、今度の捷号作戦にもし失敗するようなことがあれば、それこそ由々しき大事を招くことになる。一航艦としては、是が非でも第一遊撃部隊のレイテ湾突入を成功させなければならない。そのためには、敵の機動部隊を叩いて、少なくとも一週間は、空母の甲板を使えないようにしたいと思う」

第一遊撃部隊とは、栗田艦隊のことである。

そして、続けて、
「それにはゼロ戦に250キロの爆弾を抱かせて、体当たりをやるほかに確実な攻撃法はないと思うが、どんなものだろう?」






posted by 天山 at 05:24| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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