2015年11月27日

もののあわれについて775

一条の宮に詣でたりつるありさまなど聞え給ふ。いとどしう春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へ給ふ。畳紙に、かの「柳の芽にぞ」とありつるを、書い給へるを、奉り給へば、大臣「目も見えずや」と押し絞りつつ見給ふ。うちそみつつぞ見給ふ御様、例は、心強うあざやかに、誇りかなる御気色、名残なく、人わろし。さるは殊なることなかめれど、この「玉はぬく」とある筋の、げに、と思さるるに心乱れて、久しうえためらひ給はず。大臣「君の御母君のかくれ給へりし秋なむ、世に悲しき事のきはには覚え侍りしを、女は限りあいりて、見る人少なう、とあることもかかることも、あらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありれね。はかばかしからねど、おほやけも捨て給はず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人々おのづから次々に多うなりなどして、驚き口惜しがるも、類にふれてあるべし。かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思はえず、ただことなる事なかりしみづからの有様のみこそ、たへ難く恋しかりけれ。なにばかりの事にてか、思ひさますべからむ」と空を仰ぎてながめ給ふ。




一条の宮に、お伺いされた時のことなどを、申し上げる。益々、春雨かと思われるまで、軒の雫にかわらないほど、更に涙を流される。
畳紙に、あの「柳の芽にぞ」とあったのを、お書きになっているのを、差し上げると、大臣は、目も見えません。と無理に、目を押し開けて、御覧になる。泣き顔をして、御覧になるそのお姿は、いつもは、気強くて、はっきりしていて、自信たっぷりのご様子が、今は、跡形もなく、みっともない。
実のところは、特に良い歌でもないが、この「玉がぬく」とあるのが、いかにもと、思われるので、心がおさまらず、長い間、涙を、抑えることが出来ずにいらっしゃる。
大臣は、あなたのお母様がお亡くなりになった、秋が、何もかもはっきりしないものですから、悲しみも、人に知られずにすみました。大した者ではないけれど、主上も、お捨てにならず、次第に一人前になり、官位の関係では、互いに頼りとし合う者も、いつしか多くなりまして、あれの死を、驚き、残念がる者も、色々な関係でいることでしょう。このように、深く嘆きますのは、その世間一般の評判や、官位のことを考えるのでもなく、ただ、これといって、欠点の無かった、柏木の様子が、堪えきれない程、恋しいのです。一体、どうしたら、この悲しみを、和らげることができましょう。と空を仰いで、物思いに耽っていられる。




夕暮れの雲の気色、鈍色に霞て、花の散りたる梢どもをも、今日と、目とどめ給ふ。この御畳紙に、

大臣
木の下の 雫に濡れて 逆さまに 霞の衣 着たる春かな

大将の君
なき人も 思はざりけむ 打捨てて 夕の霞 君着たれとは

弁の君、

恨めしや 霞の衣 たれ着よと 春よりさきに 花の散りけむ

御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経などもあはれに深き心ばへを加へ給ふ。




夕暮れの、空の様子は、灰色に霞んで、花が散った木々の梢にも、今日初めて、目をとめた。この御畳紙に、

大臣
子どものために、涙に濡れて、いつもとは逆に、喪服を着て過ごす春。

夕霧
亡くなった人も、思いもしなかったことでしょう。あなたを後に残し、喪服を着ていただこうとは。

弁の君
恨めしいこと。黒染めの衣を着せるつもりで、春が来る前に、散っていった。

ご法要なども、世間並みではなく、立派にされる。大将殿の北の方は、勿論のこと、対象は、特別に、読経なども、手厚く、趣向をこらしてなさるのである。




かの一条の宮にも、常に訪ひ聞え給ふ。卯月ばかりの空は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづの事につけて、静かに心細う、暮らしかね給ふに、例の、渡り給へり。庭もやうやう青みいづる若草見えわたり、ここかしこの砂薄きものの隠れの方にも、蓬も所得顔なり。前栽に心入れて繕ひしも、心にまかせて繁り合ひ、一むらすすきもしげに広ごりて、虫の音添へむ秋、思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入り給ふ。伊予簾かけわたして、鈍色の几帳の衣かへしたる透影、涼しげに見えて、よき童の、細やかににばめるかざみの褄、頭つきなど、ほの見えたる、をかしけれど、なほ目驚かるる色なりかし。




あの、一条の宮にも、いつもお見舞い申し上げる。
四月の頃の空は、どことなく、気持ちよく、一面に、新緑の梢が美しく見渡されるが、悲しみに沈んでいる家は、例に付けて、静かで、心細く、日々を暮らしかねていらっしゃる。いつものように、お出でになった。
庭にも、次第に青い芽を出している、若草が一面に見られ、あちこちの砂が、薄くなった物影に、蓬も、我が物顔に繁っている。前栽に、いつも気をつけて、手入れをされていたのも、今は、勝手に繁って、一むらのすすきが、元気よく広がって、虫の音の聞える秋が、思いやられ、身に迫る悲しみに、涙を催し、露の中をかき分けて、お入りになる。
伊予簾を一面に、かけてあり、鈍色の、几帳ごしに、更衣をした人々の影が、涼しげに見える。結構な女童の、濃い鈍色の、かざみの裾や、頭の形などが、ちらちら見えているのも、美しいが、矢張り、驚く色であった。

いとものあはれに露けくて
前後の文から、様々に推測できる、あはれの風景である。




今日はすの子に居給へれば、しとねさし出でたり。いと軽らかなる御座なりとて、例の御息所おどろかし聞ゆれど、このごろ悩ましとて、寄り臥し給へり。とかく聞こえ紛わはす程、御前の木立ども、思ふ事なげなる気色を見給ふも、いとものあはれなり。




今日は、すの子にお座りになったので、褥を、簾中から差し出した。
まことに、ご身分に相応しくない、御座所です、と、いつものように、女房達が、御息所にお出ましを願うが、このところ、ご気分がすぐれず、休んでいられた。女房達が、あれこれと、お話を申し上げて、間を持たせている間、庭先の木立の、思うがままに、繁っている様子を御覧になると、それも、悲しみの種となるばかりである。

いとものあはれなり
矢張り、前後の文により、あはれの風景が、広がって行く。













posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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