2015年11月26日

もののあわれについて774

御子達は、おぼろけの事ならで、あしくもよくも、かやうに世づき給ふ事は、え心憎からぬ事なり、と古めき心には思ひ侍りしを、いづかたにもよらず、なかぞらには、なかぞらに憂き御宿世なりければ、なにかは、かかるついでに、けぶりにも紛れ給ひなむは、この御身の為の人聞きなどは、ことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、え思ひしづむまじう、悲しう見奉り侍るに、いと嬉しう、浅からぬ御とぶらひの度々になり侍るめるを、ありがたうも、と聞え侍るも、さらばかの御契りありけるにこそは、と、思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとて、これかれに付けおき給ひける御遺言のあはれなるになむ、うきにも嬉しき世はまじり侍りける」とて、いといたう泣い給ふけはひなり。




内親王方は、並大抵のことでは、良かれ悪しかれ、ご結婚されることは、感心しないと、古い私は、考えておりましたが、どっちつかずに、終わる不運な、お方だったのですから、構わぬ、こういうついでに、お後をお慕いになったとしても、この御身にとっては、外聞など、特に気にしないでもよいでしょう。でも、だからと言って、そうあっさりと、諦めることもできず、悲しく存じ上げておりますが、嬉しいことに、ねんごろなお見舞いを重ねていただきましたそうで、ありがたいことと、お礼を申し上げます。それでは、あのお方との、お約束があったからで、期待通りとは、申せないお方ではありましたが、最期の時に、誰かに、お残しになった御遺言が、身にしみまして、辛い中にも、嬉しいことは、あるものでございました。と、たいそう激しく、泣くのである。

御遺言のあはれなるになむ
遺言が、身に沁みる・・・
感情の最高表現として、あはれ、を使う。




大将も、とみにえためらひ給はず、「あやしう、いとこよなくおよずけ給へりし人の、かかるべうてや、この二三年のこなたなむ、いたうしめりて、物心細げに見え給ひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、物深うなりぬる人の、澄み過ぎて、かかるためし、心うつくしからず、かへりては、あざやかなる方の多く薄らぐものなり、となむ、常に、はかばかしからぬ心に、いさめ聞えしかば、心浅しと思ひ給へりし。よろづよりも、人にさまりて、げにかの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうも侍るかな」など、なつかしうこまやかに聞え給ひて、やや程へてぞ出で給ふ。




大将も、すぐに涙を止められず、どうした訳か、実に、落ち着いていらした方が、このようになる運命だったのでしょうか。この二、三年というものは、酷く落ち込み、何か心細い感じに見られました。あまり、人の世の意味が、分り、考え深くなった人は、悟り過ぎて、このようになることで、人情をなくし、かえって、テキパキしたところが、たいてい弱くなるものだと、いつも、馬鹿な私ゆえに、おいさめ申したのですが、考えが浅いと思っていたようです。何よりも、お言葉通り、誰よりも、このことを、嘆いていらっしゃる宮さまの、お心の内が、勿体無いことでこざいます。誠に、お気の毒でございます。などと、優しく、心から、申し上げされて、少しばかり、長居して、お帰りになる。




かの君は、五六年のほどのこのかみなりしかど、なほいと若やかになまめき、あいだれてものし給ひし。これはいとすくよかに重々しく、雄雄しき気配して、顔のみぞ、いと若う清らなること、人にすぐれ給へる。若き人々は、もの悲しさも、少し紛れて、見いだし奉る。御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」とうちおぼゆるも、いまいましき筋なれば、夕霧「あひ見むことは」と口ずさびて、

夕霧
時しあれば 変はらぬ色に にほひけり 片枝枯れにし 宿の桜も

わざとならず、誦じなして、立ち給ふに、いととう、

御息所
この春は 柳の芽にぞ 玉はぬく 咲き散る花の 行くへ知らねば

と聞え給ふ。いと深き由にはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれ給ひし更衣なりけり。げにめやすき程の用意なめり、と見給ふ。




あの方は、五、六歳年上だったが、それでも、酷く若々しく、美しく、人懐っこいところがありました。こちらは、生真面目に落ち着いていて、男性的なところがあり、それでも、顔だけは、大変若く、綺麗なことは、誰よりも、優れていらした。若い女房達は、悲しい気持ちも、少し和らいで、お見送りに申し上げる。庭先の桜が、とても美しく咲いているのを、夕霧は、今年ばかりは、墨色に咲け、と、思われるが、縁起でもないことと、夕霧
「再び、会うのは、命次第」と口にされて、

夕霧
時が来て、変らぬ色に咲きました。片枝は、枯れてしまった、この桜も。

わざとではないように、吟じて、立っていらっしゃると、すぐに、

御息所
今年の春は、柳の芽に、霞の玉が貫くようです。咲いて、すぐ散ってしまった花の行方を、知らないものですから。

と、申し上げる。別に深い情緒があるわけではないが、現代風で、才能があると、言われていた更衣である。なるほど、タイミングのよい、お心構えのお方だと、夕霧は、思う。




致任の大臣にやがて参り給へれば、君達あまたものし給ひけり。大臣「こなたに入らせ給へ」とあれば、おとどの御出居の方に入り給へり。ためらひて対面し給へり。ふりがたう清げなる御かたち、いたう痩せ衰へて、御髭なども、取繕ひ給はねば、しげりて、親の孝よりもけにやつれ給へり。見奉り給ふより、いと忍び難ければ、あまりにおさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなければ、と思へば、せめてぞもて隠し給ふ。おとども、とりわきて御仲よくものし給ひしを、と見給ふに、ただふりにふり落ちて、えとどめ給はず、尽きせぬ御事どもを、聞えかはし給ふ。




ちじの大臣邸に、そこからお伺いになったところ、お子様方が、大勢いらした。
大臣は、こちらへ、お入りあそばせ。と言うので、大臣の客座敷に、お入りになった。悲しみを抑えて、対面された。いつも変らず綺麗なお顔が、すっかりと、痩せ衰えて、お髭なども、お手入れされないので、いっぱいに生えて、親の喪に服した時よりも、やつれていらした。お顔を御覧になると、すぐに、堪えきれずに、だらしなさ過ぎるほどに乱れ落ちる涙を、みっともないと思い、無理に隠される。大臣も、特別仲が良かったものにと、思いになると、涙がはらはらと落ちるばかりで、留めることが出来ない。いつまでも、終わることの無い、悲しみを、お話し合いされるのである。

両者共に、涙に暮れている様である。
柏木と夕霧は、特別に、仲が良かったのである。





posted by 天山 at 07:27| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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