2015年11月25日

もののあわれについて773

一条の宮には、まして、おぼつかなうて別れ給ひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経るままに、広き宮の内、人少なう心細げにて、したしく使ひ慣らし給ひし人は、なほ参り訪ひ聞ゆ。このみ給ひし鷹、馬など、その方のあづかりどもも、皆つくところ無う思ひうじて、かすかに出で入るを見給ふも、事にふれてあはれは尽きぬものになむありける。もて使ひ給ひし御調度ども、常に弾き給ひし琵琶、和琴などの緒も、取り放ちやつされて、音をたてぬも、いとうもれいたきわざなりや。




一条の宮では、それ以上に、対面もせずに、お別れになった、恨みまであり、日が経つにつれ、広々とした、御殿の中は、人が少なく、心細い感じで、親しくお使いになっていた者は、今も参上して、お見舞いを申し上げる。
好きだった、鷹、馬なども、その係りの者らも、皆、主人を亡くし、気抜けして、しょんぼりと、出入りするのを、御覧になり、何かにつけて、哀れは、尽きないものだった。いつもお使いになっていた、お道具、常に弾いていらした、琵琶、和琴など、弦も外したまま、構われず、音を立てないのも、淋しいお話です。




御前の木立、いたうけぶりて、花は時を忘れぬ景色なるを眺めつつ、物悲しく、さぶらふ人々も、鈍色にやつれつつ、さびしうつれづれなる昼つ方、さき花やかに追ふ音して、ここに止まりぬる人あり。「あはれ、故殿の御気配とこそ、うち忘れては、思ひつれ」とて泣くもあり。大将殿のおはしたるなりけり。御消息、聞え入れ給へり。例の弁の君、宰相などのおはしたる、と思しつるを、いと恥づかしげに、清らなるもてなしにて、入り給へり。




お庭の木々が、すっかり芽を吹いて、花だけは、時節を忘れない姿であるのを、眺めつつ、何やら淋しく、お仕えしている、女房達が、喪服をまとって寂しく、する事もない、ある昼頃、先払いを、花やかにする音がして、この門前に止まった人がいる。
ああ、亡くなった殿のお出でかと、うっかり忘れて思いました。と、言って泣く女房もいる。大将殿が、お出でになったのである。ご案内を申し入れになった。
いつもの通り、弁の君か、宰相などがいらしたと思ったのであるが、恥ずかしくなるほど、綺麗なご様子で、お入りになった。




母屋の廂に御座よそひて入れ奉る。おしなべたるやうに、人々のあへしらひ聞えむは、かたじけなき様のし給へれば、御息所ぞ対面し給へる。夕霧「いみじき事を思ひ給へ嘆く心は、さるべき人々にも越えて侍れど、限りあれば、聞えさせやる方なうて、世の常になり侍りにけり。今はの程にも、宣ひ置くこと侍りしかば、おろかならずなむ、誰ものどめ難き世なれど、おくれ先立つ程のけぢめには、思ひ給へ及ばむに従ひて、深き心の程をも御覧ぜられにしがなとなむ。神わざ等の繁き頃ほひ、私の心ざしにまかせて、つくづくと籠りい侍らむも、例ならぬ事なりければ、立ちながらはた、なかなかに飽かず思ひ給へらるべうてなむ、日頃を過ぐし侍りにける。大臣などの心を乱り給ふ様、見聞き侍るにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめ給ひけむ程を、推し量り聞えさするに、いと尽きせずなむ」とて、しばしばおし拭ひ、鼻うちかみ給ふ。あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり。




母屋の廂の間に、御座所をしつらえて、お入れ申し上げる。
普通の方のように、女房たちが、お相手申し上げるには、恐れ多いお姿でいられる。御息所が対面された。
夕霧は、ご不幸を嘆く気持ちは、お身内の方々以上でございますが、決まりがございますから、お訪ねする方法もなく、世間通りになりました。ご臨終の際にも、言い残された事がございましたので、並大抵とは、思っておりません。誰でも、安心していられぬ人生ですが、生き死の境目までは、気のつく限りは、深い心の中をも、御覧頂きたいものと思います。神事などの多いこの頃、自分の気持ちに任せ、勤務を捨てて、家に閉じこもっていまして、例のないことですので、立ち話だけでは、これまた、かえって、飽き足らない気がいたしましょう。それで、今日になってしまいました。父大臣などが、心を収められずにおいでのご様子を、見聞きしますにつけて、親子の情愛は、当然のことですが、ご夫婦の間では、深く心残りがあったと、推し量りもうしあげます。何とも、ご同情に堪えません。と、しばしば、涙を拭いて、鼻をかむ。際立って気高い一方で、親しみが感じられ、優雅である。

なつかしうなまめいたり
大和言葉の、美しさが極まる、言葉である。




御息所も、鼻声になり給ひて、「あはれなる事は、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、また類なき事にやは、と、年積もりぬる人は、しひて心強う、さまし侍るを、さらに思し入りたる様の、いとゆゆしきまで、しばしも立ち遅れ給ふまじきやうに見え侍れば、すべていと心憂かりける身の、今まで長らへ侍りて、かく方々に、はかなき世の末のありさまを、見給へ過ぐすべきにやと、いとしづ心なくなむ。おのづから、近き御仲らひにて、聞き及ばせ給ふやうも侍りけむ。はじめつ方より、をさをさ受けひき聞えざりし御事を、大臣の御心心向も心苦しう、院にも、よろしきやうに思し許いたる御気色などのはべしかば、さらば、みづからの心おきての及ばぬなりけりと思ひ給へなしてなむ、見奉りつるを、かく夢のやうなる事を見給ふるに、思ひ給へ合はすれば、みづからの心の程なむ、同じうは、強うもあらがひ聞えましをと、思ひ侍るに、なほいと悔しう、それはかやうにしも思ひより侍らざりきかし。




御息所も、鼻声になり、悲しいことは、その常ない人生の決まりでございましょう。どんなに酷くても、他に例のないことではないと、年のいった私は、しいて、心強く、諦めて、おりますが、まるで、塞ぎこんでいる、宮さまのご様子が、全く心配なほど、すぐにも、後を追いかけなさりそうに、見えますので、何もかも、不運であった私が、今まで、生き長らえまして、このように、あちらこちらの、無常の、世の末の姿を見て、過ごしていることかと、まことに、落ち着かない気持ちです。自然に、親しいお友達ゆえ、お聞き及びのことと、存じますが、初めのころから、このご縁組、まずは、不賛成でございました。ですが、大臣のご意向も、ねんごろに、院におかせられても、悪くないと、お認めされたご様子でしたので、それでは、私の考えが、至らなかったのだと、思いなおし、ご結婚させ申したのですが、このように、夢のようなことを目にして、考え合わせますと、自分の気持ちを、どうせ同じことなら、強く押し通すのだったと、思いますが、今になっては、残念です。それに、こんなことになど、なろうとは、思いもよりませんでした。

いとゆゆしきまで
すぐに死ぬかと思うほどに・・・



posted by 天山 at 07:09| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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