2015年11月24日

もののあわれについて772

いと何心なう物語りして笑ひ給へる目見口つきの美しきも、「心知らざらむ人はいかがあらむ。なほいとよく似通ひたりけり」と見給ふに、「親達の、「子だにあれかし」と泣い給ふらむにも、え見せず、人知れず、はかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひ上がり、およずけたりし身を、心もて失ひつるよ」と、あはれに惜しければ、めざましと思ふ心もひきかへし、うち泣かれ給ひぬ。




本当に、無邪気に、何かを言う、目つき、口つきが、可愛らしいのも、何もしならない人は、どう思うだろう。矢張り、よく似ている。と、源氏は、御覧になる。両親が、せめて子供だけでも、残していてくれたら、と泣いていられるのに、その両親にも見せてあげられず、誰にも知られず、儚い形見だけを残して、あれほど、気位高い大人だった身を、自分で殺してしまったことだ、と、可哀相に、惜しいので、けしからんという気持ちも、打って変わって、つい、涙がこぼれるのだった。




人々すべり隠れたる程に、宮の御もとに寄り給ひて、源氏「この人をば、いかが見給ふや。かかる人を捨てて背きはて給ひぬべき世にありける。あな心憂」とおどろかし聞え給へば、顔うち赤めておはす。

源氏
誰が世にか 種は蒔きしと 人問はば いかが岩根の 松は答へむ

あはれなり」など忍びて聞え給ふに、御いらへも無うて、ひれふし給へり。ことわりと思せば、しひても聞え給はず。「いかに思すらむ。もの深うなどはおはせねど、いかでかはただには」と推し量り聞え給ふも、いと心苦しうなむ。




女房たちが、静かに席をはずした後、宮のお傍に寄り、源氏は、この子を、どう思うか。こんな人を後にして、出家されてもよいものか。ああ、情けない。と、申し上げると、顔を赤くして、いられる。
源氏
いつの時に、種を蒔いたのだと、聞かれたら、どのように、答えましょう。

可哀相に、などと、小声で申し上げると、ひれ伏してしまった。無理もないと思うので、それ以上は、申し上げない。どういうお気持ちだろう。深く考えるお方ではないが、まさか平気では、と、ご推察されると、気の毒になる。

あはれなり
複雑に込み入った、感情である。




大将の君は、「かの心にあまりてほのめかしいでたりしを、いかなることにかありけむ、少し物おぼえたる様ならましかば、さばかりうち出でそめたりしに、いとよう気色は見てましを、言ふかひ無きとぢめにて、折り悪しう、いぶせくて、あはれにもありしかな」と面影忘れ難うて、兄弟の君達よりも、しひて悲しとおぼえ給ひけり。女宮の、かく世を背き給へる有様、「おどろおどろしき御悩にもあらで、すがやかに思し立ちける程よ。また、さりとも、許し聞え給ふべき事かは。二条の上のさばかり限りにて、泣く泣く申し給ふと聞きしをば、いみじき事に思して、ついにかくかけとどめ奉り給へるものを」など取り集めて思ひくだくに、「なほ昔より絶えず見ゆる心ばへ、え忍ばぬ折々ありきかし。いとようもてしづめたる上べは、人よりけに用意あり、のどかに、何事を、この人の心の内に思ふらむ、と見る人も苦しきまでありしかど、少し弱き所つきて、なよび過ぎたりしけぞかし。いみじうとも、さるまじき事に心を乱りて、かくしも身にかふべき事にやはありける。人の為にもいとほしう、我が身はいたづらにやなすべき。さるべき昔の契と言ひながら、いと軽々しう、あぢきなき事なりかんし」など、心一つに思へど、女君にだに、聞えいで給はず。さるべきついで無くて、院にもまだ、え申し給はざりけり。さるは、かかることをなむかすめしと申しいでて、御気色も見まほしかりけり。




大将の君は、柏木が、思い余って、ちらっと、口にした、事は、一体どういうことなのか。もし、正気の時ならば、あれだけ言い出したことだから、十分に様子を見るところだが、話にもならない、臨終間際で、折り悪く、気が揉めて、可哀相な事だった。と、あの時の顔がちらついて、兄弟の殿方よりも、強く悲しいことだと、思われた。
女宮が、このように、入道された様子、大した御病気でもなく、すっぱりと決心されたとは。また、そうではあっても、お許しになるはずのことか。
二条の上が、あれほど、最期の様で、泣く泣く申し上げたと聞いたが、とんでもないことと、思いになって、とうとう、今のように、お引き留めなさったのに。など、あれこれと、思案をされる。
と、矢張り、昔から、思いが切れずにいた気持ちの、隠しきれない時も、色々あったのだ。大変落ち着いているうわべは、誰よりも、ずっと思慮があり、沈着で、どんな事を、この人は、心の中で、考えていたのかと、会う人も気になるほどだった。少し意思の弱いところがあり、柔らか過ぎたせいだ。どんなに思ったとしても、してはならないことに、心を乱して、あのように、命と引き換えにしてしまうことがあるものか。相手のためにも、済まないことだ。我が身を、粗末にすることではないか。前世からの、約束事とはいえ、何とも、身分に相応しくない、つまらないことだ。などと、心の中では、思うが、女君にさえ、お話にならない。
適当な機会がなく、院にもまだ、申し上げずにいられる。もっとも、このようなことを、少しでも、申したと、申し出て、ご様子も見てみたい気持ちは、あった。




父おとど母北の方は、涙のいとま無く思し沈みて、はかなく過ぐる日数をも知り給はず、御わざの法服、御装束、なにくれのいそぎをも、君達、御方々、とりどりになむせさせ給ひける。経仏のおきて等も、右大弁の君せさせ給ふ。七日々々の御誦経などを、人の聞えおどろかすにも、父「我に、な聞かせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道さまたげにもこそ」とて、なきやうに思しほれたり。




父の大臣、母北の方は、涙のかれる暇なく、嘆きに沈んでいて、いつの間にか、過ぎて行く日数も、お分かりではなく、ご法要の法服や、御衣装、その他、何かの用意をも、弟の君達や、ご婦人方が、それぞれに、やられるのだ。
経や、仏像の指図なども、右大弁の君が、おやりになる。
七日七日の、御誦経などを、お耳に入れて、ご注意を促がしても、大臣は、私に、何も聞かせてくれるな。このように、悲しい思いで、途方に暮れている。かえって、往生の邪魔になるだろう。と、死んだ人のように、ぼんやりとしている。








posted by 天山 at 07:47| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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