2015年11月23日

もののあわれについて771

宮も起きい給ひて、御髪の末の所狭う広ごりたるを、いと苦しと思して、額など撫でつけておはするに、几帳を引きやりて居給へば、いと恥づかしうてそむき給へるを、いとど小さう細り給ひて、御髪は惜しみ聞えて、長う削ぎたりければ、うしろは殊にけぢめも見え給はぬ程なり。すぎすぎ見ゆる鈍色ども、黄がちなる今様色など着給ひて、まだありつかぬ御傍目、かくてしも美しき子供の心地して、なまめかしうをかしげなり。




女三の宮は、起き上がりになり、御髪の裾がいっぱいに広がるのを、うるさく思いで、額髪などを、撫で付けておいでになると、源氏が、几帳を引き動かして、お座りになるので、大変、恥ずかしそうに、顔をそむけられた。いっそう、小さくなられて、御髪は、源氏が惜しがりになり、長く削いだものだから、後ろ姿は、特に普通と変らないほどである。袖口などが、段々になって鈍色の上に、黄色みのある、紅色の上着をお召しで、まだはっきりしない横顔は、尼姿になって、可愛らしい子どもの気持ちがして、優雅で美しい感じである。




源氏「いで、あな心憂。黒染こそなほいとうたて、目も眩るる色なりけれ。かやうにても、身奉ることは絶ゆまじきぞかし、と思ひなぐさめ侍れど、ふりがたうわりなき心地する涙の人悪さを、いとかう思ひ捨てられ奉る身の咎に思ひなすも、さまざまに胸痛う、口惜しくなむ。取り返すものにもがなや」とうち嘆き給ひて、源氏「今はとて、思し離れば、まことに御心と厭ひ捨て給ひけると、恥づかしう心憂くなむ覚ゆべき。なほ、あはれと思せ」と聞え給へば、女三「かかる様の人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを、まして、もとより知らぬことにて、いかがは聞ゆべからむ」と宣へば、源氏「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」とばかり、宣ひさして、若君を見奉り給ふ。




源氏は、ああ、なんと情けない。黒染めの衣は、矢張りたまらない。見ていられない色だ。この姿でも、お世話申すことは、変らないと思い、心を静めてはいますが、いつも変らず、切ない思いの涙が、こぼれる、みっともなさを、このようにまで、見捨てられたという、我が身の咎と、諦めるのも、あれこれと、辛く残念なことです。昔に戻したいものだ。と嘆かれて、お別れのご挨拶をして、お寺にお入りになると、本当に、御心から嫌って、お捨てになったのだと、顔も上げられずに、情けない思いがすることでしょう。今後も、私を可哀相だと思ってください。と、申し上げると、女三の宮は、このような姿の人は、可哀相だと、思ってはならないものと聞きました。まして、初めから、持ち合わせていないことですから。どのようにお答えしていいのか。と、おっしゃる。源氏は、情けないことだ。お分かりになる事もありましょう。とだけ言い、若君を御覧になる。

もののあはれも知らぬものと聞きしを
もののあはれを知らぬ・・・
可哀相だと思わないとの、訳になるが・・・
僧になるとは、出家するとは、もののあはれを知らぬものなのか。




御乳母達は、やむごとなくめやすき限り、あまた候ふ。召しいでて、仕うまつるべき心掟など宣ふ。源氏「あはれ、残り少なき世に、おひいづべき人にこそ」とて抱き取り給へば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて、白う美し。大将などの児生ひ、ほのかに思しいづるには、似給はず。女御の御宮達はた、父帝の御方さまに、王気づきて気高うこそおはしませ、殊にすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみのかをりて笑がちなるなどを、いとあはれと見給ふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに、恥づかしき様も、やう離れて、薫のをかしき顔ざまなり。宮は、さしも思し分かず、人はた、さらに知らぬ事なれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、「あはれ。はかなかりける人の契かな」と見給ふに、大方の世の定めなさも、思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌すべき日を、と、おしのごい隠し給ふ。源氏「静かに思ひて嘆くにたへたり」とうち誦じ給ふ。五十八を十とり捨てたる御齢なれど、末になりたる心地し給ひて、いと物あはれに思さる。「汝が父に」ともいさめまほしう思しけむかし。




御めのとたちは、身分も高く、見た目も良いものばかり、大勢、仕えている。お呼び出しになり、お世話すべき、心構えなどを、おっしゃる。源氏は、可哀相に。私は、長くはないのに、その後で、成人してゆくとは。と、抱き取りになると、大変人懐っこく、ニコニコとして、丸々と太って、可愛らしい。大将などの、幼立ちを、かすかに思い出すが、似ていない。女御腹の御子たちも、これは、父帝の血筋を引いて、皇族らしく高貴でいらっしゃるが、特に、ご立派と言う訳でもない。この君は、たいそう、上品なうえに、可愛らしく、目つきが美しい。すぐにニコニコするところなどを、実に、可哀相だと御覧になる。気のせいか、矢張り、よく似ている。ほんの今から、眼差しが落ち着いていて、気が引けるほど、美しいのも、人並みはずれている。色艶の見事な、顔付きである。宮は、そんなことには、気づかず、女房たちも、全然知らないことなので、ただ、一方お心の中だけで、可哀相に、儚かった運命の人だった。と、思われると、一般に人生の無常も考えられて、涙が、ほろほろとこぼれたのを、今日は、縁起の悪いことを、慎まなければならない日なのにと、涙を拭いて、隠される。
源氏は、静かに思いて、嘆くにたえたり。と、朗誦される。その時の、白楽天の齢、五十八から、十引いた、御齢であるが、長くない気持ちがあり、大変あはれに思われる。汝の父に、似ることなかれ、と、さぞかし、諌めたくなる思いだったことだろう。





「この事の心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそ妬けれ。をこなりと見るらむ」と安からず思せど、「わが御咎ある事はあへなむ。二つ言はむには女の御ためこそ、いとほしけれ」など思して、色にもいだし給はず。




この事実を知っている者は、女房の中にもいるだろう。それが誰なのか分らないのが、しゃくだ。私のことを、ばか者と思っていることだろう。と、気がかりに思う。が、自分の罪になるのは、我慢ができるが、二人の問題にすれば、女のほうが、可哀相だ。などと、思われる。顔色にも出さずにいる。

源氏の心境である。









posted by 天山 at 06:35| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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