2015年11月11日

玉砕82

サイパンにおける、日本軍の反撃は、当然激しかった。
だが、空と海からの敵の援護射撃もまた、熾烈だった。

午前7時40分、舟艇の第一波が、海岸に到着し、敵の上陸は、その後も途切れることなく続いた。
ことに、敵の艦砲射撃により、通信施設が破壊され、そのことが戦闘にひびいた。
日本軍は、指揮系統が混乱し、各個小部隊が孤立して、戦うことになる。

この日、米軍は、夕刻までに、チャランカノアの海岸に、約二個師団の海兵隊を上陸させた。

翌日、16日も、米軍は、夜明けと共に、依然として艦砲射撃と、飛行機のもと、チャンランカノア西側に上陸を続けた。

16日夜、斎藤四十三師団長は、師団独自の夜襲を企図した。
実質、歩兵四個大隊の師団主力と、戦車一個連隊を指揮して、敵の橋頭堡の右翼方面に向って、夜襲を決行した。
海軍の唐島部隊も参加した。

実際に攻撃を開始したのは、翌日17日の午前三時半になっていた。
攻撃は、戦車四十四台を中核として、砲兵の援護下に実施された。
敵拠点の一部を突破して、指揮所、砲兵陣地付近まで迫ったが、米軍は、艦砲による照明弾を打ち上げた。
それは、昼間のように明るく、敵は、おびただし火力で、反撃してきた。

その威力は、絶対で、ほどなく夜が明け、日本軍の夜襲は、失敗に終わった。

米軍は、17日も新たな師団単位の兵力を、上陸させた。
翌日、18日は、兵力を二分し、全線に渡り、攻撃を開始した。

更に、隣の島、テニアンに対しても、砲撃を開始するに至る。

その間、一般市民は、戦乱を避けて、島の東海岸沿いに、北へと避難した。
老人、子供を伴った逃避行は、難渋を極めた。
着の身着のまま、持てるだけの荷物を手にした人々の列が、北へと移動していく。

サイパンは、河川が少なく、飲料水に不自由した。
更に、米軍は、水源地のほとんどを、占領していたのである。

日本軍司令部と、斎藤師団長は、残存兵力を、北部タナパグ南東地区に集結させて、最後の抵抗を試みることにした。
しかし、米軍の急迫は厳しく、日本軍が二二一高地と呼んでいた、西側から日本軍陣地に侵入し、戦況は、急速に最終的段階に達した。

繁華街である、ガラパン地区に、最後まで踏みとどまっていた、海軍第五根拠地隊も、玉砕した。

7月5日、中部太平洋方面艦隊長官、南雲忠一中将、第四十三師団長、斎藤義次中将、第三十一軍参謀長、井桁少将、初期の段階で、潜水艦の指揮に任じていた、第六艦隊長官、高木武雄中将らは、それぞれ中央に対し、訣別電を発した後、6日に、自決したのである。

残存兵力、約3000は、7日、三時三十分以後、おのおの正面の米軍に対して、総攻撃を行い、サイパンの地上戦闘は、終わった。
玉砕である。

9日、サイパン島の北端に、組織系統を失った兵士と、約4000名といわれる市民が、追い詰められていた。
市民の多くは、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」という、戦陣訓を守り、軍から手渡された手榴弾で、自決した。

悲惨だったのは、女性達である。
マッピ岬の断崖から、身を投げて命を絶つ。
幼児を抱いて、宙に身を投げる姿を見ていた米兵たちは、銃を握り締めて、ただ、その場に、立ち尽くした。

つまり、「あ」号作戦の失敗は、サイパン同様に、グアム、テニアンをも、孤立させた。

当時、グアム島に留まっていた兵力は、第二十九師団を基幹とした、約18500名である。

グアムに対する、米軍の上陸は、7月21日から、開始された。

28日、高品二十九師団長が、戦死し、その後は、小畑軍司令官が、約5000名の残存兵力を指揮したが、8月10日を最後に、外部との連絡を絶った。

テニアン島は、第一航空艦隊長官角田覚治中将が位置していたが、多くの航空機と、搭乗員を失い、その務めは、すでに終わっていた。

7月24日以来、米軍の上陸を受けていたが、8月3日、その組織的抵抗は終わっていた。
玉砕である。

ここで、サイパン、グアム、テニアンが、玉砕した。

私は、サイパンに慰霊に出掛けた。
美しい海の色・・・
至る所で、祈りつつ、歩いた。

今も、観光地として、多くの日本人が出掛ける。

私の慰霊の、きっかけとなった、話しは、このサイパンに軍人たちの、霊が出るというものだった。
それは、もう、30年も前の話である。
その際に、戦後、50年を経ても、幽霊になると言う話しに、是非、慰霊の旅をしたいと、思った。

霊の存在の、有無ではない。
そういう、記憶が残るという、悲しさである。

霊とは、思念であり、念であり、思い、である。

その、思いを深く受け止める行為が、慰霊である。
そして、祈りである。

敗戦後、60年から慰霊の旅を始めた。
そして、良かったと思う。
それにより、私は、戦争のことの、多々を知った。
平和運動をせずとも、慰霊の行為は、そのまま、平和への行為であることを、知ったのである。


posted by 天山 at 07:28| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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