2015年11月05日

もののあわれについて769

夕霧「久しうわづらひ給へる程よりは、ことにいたうもそこなはれ給はざりけり。常の御かたちよりも、なかなかまさりてなむ見え給ふ」と宣ふものから、涙おしのごひて、夕霧「後れ先立つ隔て無くとこそ、契り聞えしか、いみじうもあるかな。この御心地の様を、何事にて重り給ふとだに、え聞きわき侍らず。かく親しき程ながら、おぼつかなくのみ」など宣ふに、柏木「心には、重くなるけぢめもおぼえ侍らず。そこ所と苦しき事も無ければ、たちまちに、かうも思ひ給へざりし程に、月日も経で弱り侍りにければ、今はうつし心も失せたるやうになむ。惜しげなき身を、さまざまに引き留めらるる折り願などの力にや、さすがにかかづらふも、なかなか苦しう侍れば、心もてなむ、急ぎ立つ心地し侍る。さるは、この世の別れ、去り難き事は、いと多うなむ。親にも仕うまつりさして、今更に御心どもを悩まし、君に仕うまつる事もなかばの程にて、身をかへりみる方、はたまして、はかばかしからぬ恨みをとどめつる、おほかたの嘆きをばさるものにて、また心の内に思ひ給へ乱るる事の侍るを、かかる今はのきざみにて、なかには漏らすべきと思ひ侍れど、なほしのび難きことを、誰かに憂へ侍らむ。これかれあまたものすれど、さまざまなる事にて、更にかすめ侍らむも、あいなしかし。




夕霧は、長い間、ご病気でいらしたわりには、たいして、衰弱してはいらっしゃらない。いつものお姿よりも、かえって美しく見える。とは、おっしゃるものの、涙を拭い、後れたり、先立ったり、別な時に、死ぬことなどないように、お約束しましたのに、酷いことです。このご病気が、どうして、重くなったのか、それさえも、聞いていません。このように、親しい間柄なのに、言ってくださらない。などと、おっしゃる。
柏木は、私には、重くなる理由も分りません。どこといって、苦しいこともありませんので、急に、このようになるとは、思いもよらないうちに、長くもかからず、衰弱してしまいました。今は、意識もはっきりしない状態で、惜しくはない身ですが、あれこれと、引き留められる祈りや、願の力でしょうか。片付かずにいるのも、かえって苦しいものですから、自分から、進んで、あの世に行ってしまいたい気持ちです。そのくせ、今生の別れに、捨て去りにくいことが、沢山あります。親にも孝行をせず、その上に心配をかけて、主上におかれましては、お仕えすることが中途半端ですし、反省すると、それ以上に、つまらない恨みを残すという、嘆きは、別にして、その他、心ひそかに、考えあぐねることがあります。このような、臨終のときになり、どうして、口に出そうかと思いますが、どうしても、堪えきれないこと。それを、あなたの他、誰に言えましょう。誰彼と、沢山人はおりますが、色々な理由があり、どうせ、ほのめかしても、何にもなりません。

急ぎ立つ心地し侍る
急ぎ、死出の旅に立つ。




六条の院に、いささかなる事のたがひめありて、月ごろ心の内に、かしこまり申す事なむ侍りしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病つきぬ、と、覚えはべしに、召しありて、院の御賀の、楽所の試みの日参りて、御気色を賜はりしに、なほ許されぬ御心ばへある様に、御目尻を見奉り侍りて、いとど、世に長らへむ事も憚り多う覚えなり侍りて、あぢきなう思ひ給へしに、心の騒ぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。人数には思し入れざりけめて、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心の侍りしを、いかなる讒言などのありけるにか、と、これなむ、この世の憂へにて残り侍るべければ、ろなう、かの後の世の妨げにもや、と思ひ給ふるを、事のついで侍らば、御耳とどめて、よろしうあきらめ申させ給へ。なからむ後にも、この勘事許されたらむなむ、御徳に侍るべき」など線ふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の内に思ひ合はする事どもあれど、さして確かには、えしも推し量らず。




六条の院に、少しばかり、不都合なことがあり、幾月か、密かに恐れ入ることが、ありました。大変、不本意で、世の中が、心細くなり、病気になったと、思われました頃、お召しがあって、院の御賀の、楽所の試楽の日に、参上して、ご機嫌を伺いましたところ、矢張り、許されないお心があるように、そのお目つきを拝見しまして、いっそう、生き長らえることも、憚り多く思うようになりまして、淋しく感じました。その時、胸が騒いで以来、このように静まらなくなったのです。
一人前の者と、思ってくださらなかったのでしょう。幼い頃から、深く頼り申す気持ちがございましたので、どのような、中傷があったのかと、これだけが、この世の恨みとして、死後に残りましょうから、勿論、後世の往生の、妨げにならないかと、何か機会がありましたら、覚えていてください。よろしく、弁解を申し上げてください。私が死にましたら、このお叱りが許されましたならば、あなたの、お陰です。などと、おっしゃる。その間も、とても苦しそうに、なるばかりなので、可哀相で、心の内に思い当たることもあるが、それとは、はっきりと、推測できないのである。

最後の思いは、夕霧である。




夕霧「いかなる御心の鬼にかは、さらにさやうなる御気色も無く、かく重り給へるよしをも、聞き驚き給ふこと、限りなうこそ、口惜しがり申し給ふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで残い給ひつらむ。こなたかなた、あきらめ申すべかりけるものを、今は言ふかひなしや」とて、取り返さまほしう、悲しく思さる。柏木「げに、いささかもひまありつる折、聞え承るべうこそ侍りけれ。されど、いとかう、今日明日としもやは、と、みづからながら知らぬ命の程を、思ひのどめ侍りけるも、はかなくなむ。この事は、さらに御心より漏らし給ふまじ。さるべきついで侍らむ折には、御用意加へ給へとて、聞えおくになむ。一条にものし給ふ宮、事にふれて訪ひ聞え給へ。心苦しきさまにて、院などにも聞しめされ給はむを、つくろひ給へ」など宣ふ。言はまほしき事は多かるべけれど、心地せむ方なくなりにければ、柏木「山でさせ給ひね」と手かき聞こえ給ふ。加持まいる僧ども近う参り、上、おとどなど、おはし集まりて、人々も立ち騒げば、泣く泣くいで給ひぬ。




夕霧は、どんな疑心暗鬼なのでしょう。全くそのようなご様子もなく、このように、重くなられたことを、お耳にされて、驚き、お嘆きになり、限りなく、残念だと、口にもしていらしたように、承知しております。どうして、こんなお考えがあったなら、今まで言わずに、いられたのです。こちらにも、あちらにも、弁解して、差し上げましたのに。今となっては、何もならない。と言って、元に戻せるものならと、悲しく思うのである。
柏木は、お言葉通り、少しでも、病気の良かった時に、申し上げて、ご意見をたまわることでした。でももう、こんなに、今日か明日かになろうとは、自分ながら、分らない寿命です。なのに、のんびりしていましたのも、儚いことです。このことは、決して、誰にも、仰らないで下さい。適当な機会がありました時には、ご意見も加えられて、六条の院に、申し上げていただきたいと、お耳に入れるのです。一条にお出での宮を、何かの折には、お見舞い申し上げてください。お気の毒な様子でいられると、院などのお耳にも、入りましょうが、よろしくお計らいください。などと、おっしゃる。
言いたい事は、沢山あるだろうが、お気持ちが、不安定なので、柏木は、お帰りになってください、と、手招きで申し上げる。加持をして差し上げる僧たちも、近くに参り、母上、父大臣など、集まりになられて、人々も、立ち騒ぐので、夕霧は、泣く泣く、お帰りになった。

気の病に、衰弱する、柏木の姿である。





posted by 天山 at 06:43| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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