2015年11月02日

もののあわれについて766

御かたち異にても、なまめかしうなつかしき様に、うち忍びやつれ給ひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしう清らなるも、うらやましく見奉り給ふ。
例の、まづ涙おとし給ふ。「わづらひ給ふ御様、ことなる御悩みにも侍らず。ただ月ごろ弱り給へる御有様に、はかばかしうものなども参らぬつもりにや、かくものし給ふこそ」など聞え給ふ。




お姿は、僧であるが、美しく、優しい様子で、目立たぬように、粗末にされて、正式の御法服ではなく、ただの墨染めのお姿で、理想的と思われるほど、美しいのも、うらやましく、拝される。
いつものように、まず、涙を落とされる。源氏は、患っていらっしゃるご様子は、特別のお苦しみでも、ございません。ほんの一月あまり、お弱りになっているご様子で、さっぱり、お食事もなさらないせいか、このような様子でございます。など、申し上げる。




源氏「かたはらいたきおましなれども」とて、御帳の前に御褥参りて、入れ奉り給ふ。宮をも、とかう人々つくろひ聞えて、床の下におろし奉る。
御几帳少し押しやらせ給ひて、朱雀院「夜居加持僧などの心地すれど、まだ験つくばかりの行にもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえ給ふらむ様を、さながら見給ふべきなり」とて御眼おしのごはせ給ふ。




源氏は、申し訳ない御座所でございますが、と、御帳台の前に、お座布団を差し上げて、お入れ申し上げる。女宮をも、あれこれと、女房達が、身の回りのお世話をして、御帳台の、浜床の下に、下ろして差し上げる。
御几帳を少し押しやり、朱雀院は、夜居の加持僧のような気持ちがしますが、まだ、効験があらわれるほど、修行をしてもいないので、恥ずかしいけれど、ただ、会いたがっておいでの、私の姿を、ありのままに、御覧になるがいい。と、御目を、ぬぐわれる。




宮も、いと弱げに泣い給ひて、女三「生くべうもおぼえ侍らぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせ給ひてよ」と聞え給ふ。
朱雀「さる御本意あらば、いと尊き事なるを、さすがに、限らぬ命の程にて、行末と置き人は、かへりて、事の乱れあり、世の人に謗らるるやうありぬべき」など宣はせて、おとどの君に、朱雀「かくなむ、進み宣ふを、今は限りの様ならば、片時の程にても、その助けあるべき様にて、となむ思ひ給ふる」と宣へば、源氏「日頃もかくなむ宣へど、邪気などの、人の心たぶろかして、かかるかたにてすすむるやうもはべなるを、とて、聞きも入れ侍らぬなり」と聞え給ふ。朱雀「物怪の教へにても、それに負けぬとて、悪しかるべき事ならばこそ、憚らめ、弱りにたる人の限りとてものし給はむことを聞き過ぐさむは、後の悔、心苦しうや」と宣ふ。




宮も、弱々しくお泣きになって、生きながらえそうにも思われませんので、このように、お出であそばした機会に、尼にしてくださいませ。と、申し上げる。
朱雀院は、そのような、お気持ちがあるならば、大変結構なことだが、病気とはいえ、死ぬと決まったものではない、寿命。若い人が、出家して、かえって、具合の悪いことが起こり、世間の人に、悪く言われるようなことがあることも。などと、仰せられて、ご主人の君、源氏に、このように、望んでおっしゃるのだから、もし、今が、最後の様子ならば、少しの間でも、末世での功徳があるようにしてやりたいと、思います。と、おっしゃる。源氏は、ここ何日も、このようにおっしゃいますが、物の怪などが、人の心を騙して、こういう仕方で、その気にさせることも、ございますそうですから、と、申して、賛成できないのです。と、申し上げる。朱雀は、物の怪の勧めであっても、それに負けたとて、悪いことならば、控えなければならないが、衰弱した人が、最後の状態でおっしゃることを、聞き流しては、後々になって、悔やまれ、困ることもあろうかと。と、仰せられる。




御心のうち、「限りなう後やすく譲りおきし御事を受け取り給ひて、さしも心ざし深からず、我が思ふやうにはあらぬ御気色を、事に触れつつ、年ごろ聞し召し思しつめけること、色に出でて恨み聞え給ふべきにもあらねば、世の人の思ひ言ふらむ所も口惜しう思しわたるに、かかる折りにもて離れなむも、なにかは、人笑へに、世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ、おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預け置き奉りししるしには思ひなして、憎げにそむく様にはあらずとも、御処分に広く面白き宮賜はり給へるを、つくろひて住ませ奉らむ。我がおはします世に、さる方にても後めたからず聞きおき、又かのおとども、さ言ふとも、いとおろかにはよも思ひ放ち給はじ。その心ばへをも見はてむ」と思ほしとりて、朱雀「さらば、かくものしたるついでに、忌む事受け給はむをだに、結縁にせむかし」と宣はす。




朱雀院は、心の内で、この上なく安心して、お任せした姫を、引き受けてくださりつつも、それほど愛情は深くなく、自分の予期に反した態度を、何かの事につけて、世間の評判、噂を、ここ何年も聞いてきたのだから、口に出して、恨み言を言うべきではない。世間の評判、噂も、残念と思い続けていられたのに、こういう時に、出家して、六条院から離れるというのも、別に人聞きの悪いことでもなく、夫婦仲が良く無いと言うことでもない。一通りのお世話役には、今も頼りになれそうだから、それだけを、お預けしたと思うことにして、面当てのようにではなく、形見分けに、広くて、趣のある邸を頂戴されているのを、修理して、宮を住まわせよう。
ご自分の御在世中に、尼としての生活であっても、心配ないと耳にし、またこの邸の主人も、あのように言っても、冷淡に見捨てることはないだろう。その心の底を見届けようと、考えて、それでは、このようにやってきたついでに、戒だけでも、お受けになって、仏縁を結ぶことにしょう。と、仰せになった。




おとどの君、うしと思す方も忘れて、こは、いかなるべきことぞ、と悲しく口惜しければ、え堪へ給はず、内に入りて、源氏「などか、いくばくも侍るまじき身を限り捨てて、かうけ思しなりにける。なほしばし、心をしづめ給ひて、御湯参り、物などをも聞し召せ。尊き事なりとも、御身弱うては、行もし給ひてむや。かつは繕ひ給ひてこそ」と聞え給へど、頭振りて、いとつらう宣ふと思したり。つれなくて、恨めしと思す事もありけるにや、と見奉り給ふに、いとほしうあはれなり。




源氏は、嫌だと思っている、事情のあることも忘れて、これは、どうしたことかと、悲しく残念に思い、堪えきれず、几帳の中に入って、どうして、余命の少ない私を捨てて、こんな気におなりなのですか。やはり、暫く心を静められて、お湯薬を上がり、食べ物でも、召し上がれ。尊い出家ではあっても、お体が悪くては、お勤めも、できましょうか。一つには、御養生をされてからに。と、申し上げるが、頭を振り、大変辛いことを、おっしゃると、思うのである。お顔には出さないが、恨めしいと、思いのこともあり、と御覧になると、愛しく、あはれである。

いとほしうあはれなり
お気の毒であり、心が動くのである。





posted by 天山 at 06:33| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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