2015年10月23日

玉砕79

濠の中では、だれも一睡もしない。考えることはみな同じだろう。ただ、弱音をはくことを控えているだけだ。
敵の濠掘りも夜半には終了したのか、やがて対岸の喧騒が静かになった。ふと私は、撤退命令を待った川西伍長が、こちらに向ってくる予感がした。そんなうま過ぎることが、と思ってみても、まちがいなくこちらに向ってくる気がしてならない。
おもわず、となりの濠に声をかけた。
「おい、今夜中にかならず撤退命令がくるぞ」
「何で、ほんとうにか・・・」
「うん、ほんとうだ。おれの勘に狂いはない」
そのとなりの濠にも聞えたのか、
「来なかったら終わりだな」
「だいじょうぶだ、来る。心配するな」
山田少尉にも聞えていたと思うが、なんとも言わず、怒りもしなかった。

やがて、音はしないが、人の気配がした。敵か、川西伍長か、静かに着剣して銃を濠の上に出し、剣先を草の中に入れて月光の反射をふせぎ、匍匐して前に出た。
まだ姿は見えない。敵ならひと突きにと緊張する。隊員に合図もしないで出てしまった。
どうでもいい、やるだけだ。近いなと思ったとき、十メートルくらい前方の闇の中で、
「一中隊・・・」と、川西伍長の声がした。
「ここだ・・・」
敵に聞えてはまずい。這いながら近づき、
「おい、ここだ・・・」
「一中隊か」
ようやく頭が見えた。
「敵がきているからな」
「うん、わかった」
「撤退命令だな」
「そうだ、小隊長は」
「こっちだ。敵の大部隊が前で見てるからな」
川西伍長に念を押し、小隊長の濠を教えた。私は自分の濠にもどってから、
「おい、撤退命令だぞ」
だれもが歓喜し、つぎつぎに伝えられた。小隊長に撤退命令を伝達し終わった川西伍長は、
「ああ、よかった。本部では一中隊は全滅したかもしれないといってたんだ」
「ないだい、また一人で来たのか」
「うん、そうだ。稲葉小隊へもいって来た」

三月二十六日の夜、十日間にわたり守りとおした陣地を、われわれは危機一髪のところではなれた。

当初のビルマ戦線は、日本軍がイギリス軍を追い詰め、勝利していた。
だが、インパール作戦以後からは、イギリス軍の物量に日本軍は、撤退、また、敗走を余儀なくされる。

そして、悲劇のインパール作戦後も、日本兵は、戦うのである。
撤退しつつも、戦う。
退路を保持するためにも、戦う。

敗戦の報を聞くまで、戦うのである。

この戦記を続ける。
撤退した後も、また、戦うために、連隊と合流し、更に、撤退が続くのである。

われわれの心が休まるのは、夜だけだ。いま砲撃と戦車の蹂躙をうけないのは、天運というほかはない。
夜になると撤退命令がきた。濠を出た小隊員二十名は、月明かりの青白い闇の中を、脱出の準備をする。全員が着剣し、防音に気をつけながら尖兵と護衛を出し、間隔をおいて一列で突破することになった。

このとき、敵の襲撃で倒れた者は、そのまま置き去りにしていくと決した。

パゴダ高地の山麓付近で敵に発見されたが、射撃は一回で終わった。焼け落ちた村を右に見て、西から迂回する。しんがりになった私は、黙々と走る小隊員の後ろ姿を見ながら進んだ。

第十五師団は三月末、キャウセ付近に撤退した。われわれ二百十三連隊は任務を完遂し、三月二十九日、ピリン東方山麓に集結をおえると、シャン高原の西麓付近を南下することになった。
日中は敵機が跳梁し、行動不可能なので、分散して山中に退避し、夜間に強行軍の撤退となった。
平野部では、昼夜をとわず、砲声と銃撃音が絶え間なくつづき、後退する南下にも、すでに砲声が響いていた。ビルマの東方のシャン高原以外は、英印軍の勢力圏内に入りつつあった。

そして、ラングーンから、マンダレーの鉄道、道路、平原の各主要路は、敵の手中に帰したのである。

シャン高原の山脈が南はるかにつらなり、西の平野部の町々は敵の手中にあり、ふたたびビルマの人々とあうこともないだろう。これからのわれわれは山中の行軍がつづくことは想像できたが、目的地と任務などは、なにも聞いていなかった。
これよりさき、三月の下旬、稲葉小隊は、百数十両の車両部隊を援護せよとの命令をうけ、中隊とは別行動になった。しかし、任務の途中、敵の追撃包囲にあい、脱出不可能となって四月十三日、部隊は全車両を放棄して、敵中を突破した。その後、山越えをして撤退し、一大隊に合流した。

このときの戦闘において、同年兵の奥野正雄上等兵が、シンガイン東南方三キロのところで、壮絶な戦死をとげたことを知らされた。
いまは亡き戦友よ、ほんとうに魂があるなら、おれの背中に乗って、一緒に戦いのないところまで行こう。ひとりでに出る涙を、汗をふくふりをして手でこすった。遠い南の山々が雲か霞か涙のためか、おぼろになって見えなくなった。

連隊はラインデ、バヤンガス付近において、師団援護の任務をはたし、カロー到着後も休むことなく、ロイコー、ケマピューをへてトングーを目指した。わが「弓」師団は、マンダレーおよびメイクテーラより南下する英印軍を迎撃する任務にあった。

連隊はふたたびその後援となり、カローを進発した。すでに雨期となり、そぼ降る雨のなかの行軍となったが、敵中を突破して追撃の手からのがれた将兵たちは、生きる希望をいだき、元気をとりもどした。わが中隊も、一路ロイコーをめざして大隊とともに南下した。

昼夜のべつない強行軍は、一昼夜で六十キロを踏破したこともあった。このあたりは、山中までもゲリラが出没するようになり、牛車で退がった兵隊が車ごとバラバラに吹き飛ばされて、路上に散乱していた。
「地雷だな、これは、気をつけろ」

こうして、また、命令を受けて、進軍する日本軍である。
すでに、敗戦の色濃くなり始めた頃のこと。

命令があれば、どんな過酷な状況下でも、兵隊は、進む。
軍隊とは、そういうものである。





posted by 天山 at 06:00| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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