2015年10月21日

玉砕77

六一四高地から三日間の脱出行が終わりをつげ、私は背中の戦友をおろして軽くなったが、帯革のあたった部分が擦り切れて血がにじみ、しばらくのあいだ汗がしみて痛かった。一大隊への合流復帰は、一月二十八日であった。

この年が、敗戦の年となる。
その敗戦まで、戦い続ける兵士たちである。

モニワ付近のタメンガン村東南二キロの六一四高地を撤退し、第一大隊主力に追及したわが中隊は、南下中の敵第二十インド師団を阻止、防戦すべく、イラワジ河畔に向って転進した。
一月二十九日、サメイコン周辺の、イラワジ河とチンドウィン河の合流地点の中洲に、われわれは配備された。第一中隊は、その後、追及者もあり、稲葉少尉、山田少尉以下の二十名になった。

いたるところに進出した敵は優勢をきわめ、日一日と緊張の度がくわわる。この平野部で戦車、砲、飛行機を有する敵にたいし、どうしたら有利な戦いが展開できるのだろうか。いよいよ中州が最後の地となるのか。前にも後ろにも大河をひかえ、これがまさに背水の陣であろうと観念した。

二月中旬ごろ稲葉少尉は、各中隊から三名を選び、十五名をもって師団直轄斬り込み隊を編成した。それぞれナベ川を渡河出撃し、一中隊は山田少尉が指揮をとった。

この、斬り込み隊とは、特攻攻撃と同じである。
特攻隊のみが、特攻ではないのだ。
斬り込み隊も、命掛けで、敵に対処する。

斬り込み隊は各師団、各隊ごとに連夜、無数に出されており、英印軍は戦々兢々たるありさまで、夜の警戒もしだいに厳重になった。
したがって斬り込み隊においても、戦死傷者が出るようになり、二人やられた、三名の犠牲を出したと、戦果とともに損害も伝わっていた。

これは、今で言えば、自爆テロの形相である。
連合軍は、日本軍の、その斬り込み隊、特攻攻撃に、恐怖したのである。
それも、玉砕である。

日中の強烈な日ざしで熱せられた地面と川の水面から、乾期の夜の冷え込みで霞が発生し、あたりの平地に白くたなびいている。
隊員はやがて、南から西に方向をかえて進んでいった。小さい川は水量が少なく、渡渉は容易であった。二つ目の川は水量が多かったが、杭木を打ち込んで雑木でせき止められたところを見つけた。ここはナベ川のようだった。雑木の上を歩くと、中央の堰のうえの水面に、丸木船が横付けされてある。あふれた水が滝となり、一メートルくらい下に白く光って流れ落ちていた。
その後、川はなく二、三時間の時が過ぎた。月も沈み、星空だけになった暗い畑のなかを急いだ。

前方に森が盛り上がって見えてきた。われわれは静かに停止した。上竹軍曹が、
「あの村のようだ、偵察してみる」
「おれも行くか」
「多数だと発見されるから、一人のほうがいい」
上竹軍曹のいうのも的を得ている。
「気を付けて」
「うん、おれが発見されて撃たれたら、てい弾筒を撃ちこめ」
軍曹は真っ暗な原野に音もたてず入っていった。村まで三百メートルくらいあるだろうか。待つ時間がやけに長く感じられた。

実際に敵はいるだろうか。もし目的地でなかったら、ふたたび先へ潜行しなければならない。これ以上、前進時間をついやせば、途中で夜が明けてしまい、帰途は危険である。発見されて不意討ちされまいか、と気遣っていたところに、軍曹が戻ってきた。
「おい、いたぞ、敵の歩哨が、五人で近づいたら完全に発見されたよ」
「歩哨が立っているところは、どこあたり」
「それが、右も左も間隔をせまくして立っていて、警戒は厳重だぞ」
上竹軍曹は、ちょっと考えてから、
「よし、同士討ちさせるか、てい弾筒用意」
筒手が照準をきめ、弾薬手が横にならんだ。
「距離三百、つづけて三発だ。撃ちこめ」
小声で指示が出るやいなや、軽い音をたてて発射された。ダーン、ダーン、ダーンと森の中央で炸裂した。

そうすると、同士討ちが始まったのである。
この、戦いの臨場感は、想像しか出来ない。
こうして、日本兵は、敗戦まで、戦い続けたのである。

敗戦の年の戦いは、英印軍の物量により、大人と子どもの戦いの形相を呈してくる。

ビルマに来てからというもの、私はどこでも、自分のことをゴ・サンニュと名乗っていた。そして、日本人とビルマ人は兄弟だ、肌の色も同じだといって腕を見せてくらべさせ、イギリス人はわれわれと色がちがうと主張した。日本軍はビルマ独立のために戦っているのだと言い聞かせ、事実、私もその信念で戦っていた。
わが連隊正面の頑強な抵抗と勇戦にあい、敵はイラワジ河の突破を断念した。
第二十インド師団は騎兵一個連隊、砲兵一個中隊を残し、ミンム方面に転用され、ミンム付近よりイラワジ河を渡って橋頭堤を築いた。
また、遠く南方ニャング付近では、英印第四軍団の第七インド師団、第十七インド師団ならびに第二百五十五旅団が、二月十五日、イラワジ河を渡河して進撃を開始した。そして、われわれのいる中州のみが敵中に突出、包囲されつつあった。

ある日、陣地の上空に飛来した敵機が、伝単を投下した。
内容は、硫黄島が米軍により占領されたことがくわしく記してあり、米兵が日本の子供を抱かかえた写真がそえられていた。
そして、・・・あなたたち兵隊は軍閥に騙され死ぬことはない。この伝単を持って投降すれば優遇する。楽しい給養が待っています。英軍の献立はライスカレー、サラダ、肉料理、日本の献立は胡麻塩、梅干しーーーと書かれてあった。
「なにを寝言いいやがる。胡麻塩と梅干しがどこにある」
「おれたちは塩だけなんだ」
「少しひろっておくか、尻ふきに使えるぞ」
ひろってはみたが、登校するとき持って来いというのが気に障る。戦死したとき、自分の体から出てきたら、末代までの笑い者になると考え、いちど使用してから焼き捨てた。

この、投降呼びかけは、至る所の、戦場でも、行われた。
すでに、連合軍は、日本が敗戦することを、知っていたのである。

だが、多くの日本兵は、それを、信じなかった。
また、負ける訳が無いと、信じていた。

戦線は混沌たる情勢にあり、われわれはもちろんのこと、小隊長や中隊長ですら、現状をつかんでいなかった。牛車の上の私には、このたびの連絡事項さえしらされていない。ただ襲撃をうけたときの処置さえ分ればよいのだった。

現場の兵士達は、戦争の全体が、全く分らずにいたのである。





posted by 天山 at 05:35| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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