2015年10月19日

玉砕75

タムについて、やっと古い米にありついたわれわれは、追撃してくる敵に対峙するため、少しでもはやく体力をつけようと、むさぼるように食った。しかし、飯盒で炊いたせっかくの飯は、喉を通らなかった。

いよいよおれも終わりかと思っていると、隊員たちも騒ぎだした。長い間、ドロドロしたジャングル野草に馴らされたわが身のためだった。三分粥に炊きなおして、やっと胃にいれた三ヶ月ぶりの米の飯も、期待したほどうまいとは感じなかった。どうしたことかと心配したが、たずねてみると、だれも同じだったのでひと安心した。

七月三十日ごろ、部隊はヤナン渡河点にさしかかった。だが、ここには撤退する患者が集い、昼間敵機がアラカンを越えて銃爆撃を繰り返した。やがて砲弾も落下するようになると、友軍の混乱はますますひどくなった。

われわれはミンタミ山系に入り、チンドウィン、ユー川支流にそって南下し、ミンタミ河を渡河しようとした。
渡河は、対岸まで張られた鉄線を自力でたぐりながら越えるのである。一回四名ずつが川に入って、鉄線をにぎり交互に手をのばす。
大きな川ではないが、流れははやく水量が多いので、両足が川底からはなれると、鯉のぼりのような格好で流されてしまう。それでも対岸に近づこうと腕をのばす。

川のなかほどで進めなくなった隊員が、精魂つきたのか手を放してしまい、あっという間に押し流された。
「助け・・・くれえ・・・」
と絶叫し、水面に二度、姿をあらわしたが、やがて濁流が渦巻く下流に消えてしまった。三途の川を渡らなければ、われわれには生きる望みはなかった。

それでも、敵がその後を、追ってくるという、状態である。
撤退、ではなく、もはや、逃げるのである。

この記述は、他のビルマ戦記にも多くある。
川で流れて、死ぬ。
また、ワニに襲われて、死ぬ。

敗走する日本軍は各地で防戦をつづけ、雨期の病魔と飢餓に苦しみつつ行軍した。昼なお暗い谷底の水にジャングルの落葉がくさり、山中はすさまじい臭気となる。
一ヶ月前、この悪路を中隊に追及しようとした補充兵の一隊があった。しかし、中隊に到着したのは二名だけで、あとは途中から引き返し、名前すらわからない兵隊もあった。

今あえて、当時の、大本営、軍の幹部たちについて、非難、批判するのは、避ける。
しかし、どの戦場、それは、日本だけではなく、他国の兵士たちも、死ぬのは、若者である。

戦争を始め、指揮する者たちは、戦場にはいない。
特に、当時の日本軍の悪質さは、天皇を盾にして、その天皇のために、戦えと、激励したことである。

洗脳・・・
当時の、洗脳の中で、不可抗力を生きなければならなかった。

大東亜戦争、第二次世界大戦という、人類史上初の、大戦を日本が戦ったということだけを、考える。

戦記は、細部を見つめるものである。
そして、大局を見つめる必要がある。

大局とは、この戦争の意義である。
結果的に、この戦争は、世界の植民地解放の、重大な大戦となったということ。

白人支配の、植民地が、すべて独立を果たした。
それが、何よりの、意義である。

戦った兵士たちは、日本のために・・・だけではなく、世界の植民地のために、戦った。
それを、言うのが、独立した国々である。

日本に対する、独立した国々からの感謝と、賞賛の言葉が、救いである。

そして、更に、恐ろしいのは、白人たちの、人種差別である。
敗戦になり、突然、日ソ不可侵条約を破棄して、開戦を宣言した、ソ連などは、悪魔の形相である。

そして、アメリカの、原爆投下は、全く必要なかった。

更に、日本が原爆投下を受けて、その有様が悲惨であり、使用出来ないものだとの、認識がありながらも、核兵器を造り続ける世界。

人間とは、何か・・・
この世は、魔の世界が支配しているとしか、思えないのである。

中隊は大隊とともに、八月五日にモーク付近に到着し、敵を迎え撃とうと悲壮な覚悟で前線の高地を確保し、陣地構築に専念した。・・・

七月二十日より、モークに集結した患者が後送された。八月二十日までにわが中隊からは十三名が後送されたが、彼らは回復することなく全員が亡くなった。

この作者も、遂に、歩くことが出来なくなった。
それでも、這いずりながら、隊員のために、食事を作ったという。

牟田口軍司令官は戦闘司令所から後退するさいに、兵隊の襲撃をおそれ、みずから兵隊の服を着用して後方へ逃走した、と兵隊間につたわった。牟田口司令官はウ号作戦(インパール作戦)を策定し、無謀な攻撃をおしつけておきながら、第一線の視察すらしなかった。

われわれの考えとはうらはらに牟田口中将は、ビルマ方面軍司令官河辺中将とともに、八月三十日付けで参謀本部付きに発令され、ビルマをあとに日本へ帰ってしまった。数万の兵士を犠牲にし、屍のつづく白骨街道を見ておりながら、その重大な責任の所在はいまもって明らかにされていない。

チンドウィン河の付近に残された日本軍将兵は、これからふたたび血みどろの戦闘に入り、終戦までねばり強い戦闘をつづけた。

敗戦から、今年で70年を経た。
どこまで、当時の戦争を理解している人がいるのかは、知らない。

そして、平和を叫ぶ人たちが、どこまで、当時の戦争の有様を知っているのか、知らない。

日本は、それから、70年、戦争をしていない。
そして、日本は、70年経ても、当時の戦死者たちに対する、当然の処置をしていない。

未だに、帰還しない、兵士たちの遺骨は、113万人である。
もう、遺骨収集は、無理だろうと思う。
自然と同化した。

残る行為は、ただ、追悼慰霊である。






posted by 天山 at 06:22| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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