2015年10月16日

もののあわれについて765

夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞ、さしのぞき給ふ。源氏「世の中のはかなきを見るままに、ゆくすえ短う、物心細くて、おこなひがちになりにて侍れば、かかる程の、らうがはしき心地するにより、え参りこぬを、いかが、御心地は。さはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」とて御几帳のそばより、さしのぞき給へり。御髪もたげ給ひて、女三「なほ、え生きたるまじき心地なむし侍るを、かかる人は、罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、又、なくなるとも、罪を失ふ事もや、となむ思ひ侍る」と、常の御けはひよりは、いとおとなびて、聞え給ふを、源氏「いとうたて。ゆゆしき御事なり。などてか、さまでは思す。かかる事は、さのみこそ、恐しかなれど、さて、ながらへぬわざならばこそあらめ」と聞え給ふ。




夜なども、こちらには、お休みにならず、昼間などに、お顔を出して、源氏は、人の世の常のなさを、見ますと、余命も少なく、何か心細くて、お経ばかりを読んだりとしていますゆえ、こんな時には、落ち着けない気がするために、あまり参りませんが、いかがですか、お気持ちは。爽やかになりましたか。大変でしたね。と、御几帳の端から、覗かれる。女三の宮は、御髪をもたげて、とても、生きていられそうもない、気持ちがします。お産で、死ぬ人は、罪も重いと申します。尼になって、もし、それで生きられるのか、試し、また、死んだとしても、罪を無くすことにもなるからと、存じます。と、いつもより、大人びて、申し上げされるので、源氏は、とんでもない。縁起でもないことです。どうして、そんなことを、お考えになるのです。出産は、実際、恐ろしいことですが、それで、駄目になるならばのこと。と、申し上げる。




御心の内には、「まことに、さも思しよりて宣はば、さやうにて見奉らむは、あはれなりなむかし。かつ見つつも、事にふれて心おかれ給はむが、心苦しう、我ながらも、え思ひなほすまじう、憂き事うち交じぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むる事もあらむが、いといとほしう、院などの聞し召さむ事も、わがおこたりにのみこそはならめ。御なやみにことづけて、さもやなし奉りてまし」など思し寄れど、又、いとあたらしうあはれに、かばかり遠き御髪のおひさきをしかやつさむ事も心苦しければ、「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと身ゆる人も、たひらかなるためし近ければ、さすがに頼みある世になむ」など聞え給ひて、御湯参り給ふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにて、うち臥し給へる御様、おほどき、美しげなれば、いみじき過ありとも、心弱く許しつべき御様かな、と見奉り給ふ。




お心の中では、本当に、そのように考えて、おっしゃるなら、そんなことにして、お世話申すとすれば、許す気にもなるだろう。こんな状態を見ながら、何かにつけて、気兼ねされるのが、可哀相だし、自分でも、昔の気持ちに戻ることは出来ず、酷い仕打ちもないではないから、いずれ、冷淡な人と見て、怪しむこともあると、大変可哀相だ。院などが、お耳にされても、自分の落ち度にされるばかりだろう。御病気にかこつけて、尼にして差し上げようか。などと、思いつかれるが、一方、大変惜しくて心も痛み、こんなに御髪も、長く余生も長い宮を、そのようにして、尼にしてしまうことも、お気の毒なので、源氏は、そんなことを言わずに、元気を出してください。たいしたことはないでしょう。駄目だと思った人が、治った例もあるから、やはり、頼みにしている、世の中です。などと、申し上げて、御薬湯を差し上げる。
酷く青白く痩せて、全く元気の無い状態で、ぐったりと、寝ているご様子が、おっとりとして、可愛らしく見えるので、酷い過失があるにしても、心弱くしてしまいそうな、ご様子だと、御覧になる。

いとあたらしうあはれに
大変、改めて、あはれ、に思う。
これは、新しい表現である。




山の帝は、めづらしき御事、平らかなり、と聞し召して、あはれにゆかしう思はすに、かく悩み給ふ由のみあれば、「いかにものし給ふべきにか」と、御おこなひも乱れて、思しけり。




出家された帝は、珍しいご出産が、無事であったと、お耳にされて、しみじみ、お会いになりたくなり、と思うが、このように、ご病気でいられるという、報告ばかりなので、どうしたことか、と、仏道修行にも、乱れて、考えなさる。

あはれにゆかしう思す
現代語にはない、表現である。
文の前後から、とても会いたく思い・・・




さばかり弱り給へる人の、ものを聞し召さで、日ごろ経給へば、いと頼もしげ無くなり給ひて、年ごろ見奉らざりし程よりも、院のいと恋しくおぼえ給ふを、女三「又も見奉らずなりぬるにや」と、いたう泣い給ふ。
かく聞え給ふ様、さるべき人して、伝へ奏させ給ひければ、いと堪え難う悲し、と思して、あるまじき事とは思し召しながら、夜に隠れて出でさせ給へり。




あのように、弱った方が、何もお召し上がりにならず、何日も続くので、すっかり心細い風情になり、ここ何年間お会いにならなかった間よりも、院が、大変恋しく思われるので、女三の宮は、二度とお顔を見ずに終わるのか、と、酷く泣かれるのである。
このように、申し上げされるご様子を、適当な人から、院のお耳にお伝え申し上げたので、院は、堪えきれないほど悲しいと、思いになり、いけないことと、思うが、夜に紛れて、山を出られたのである。





かねてさる御消息も無くて、にはかに、かく渡りおはしまいたれば、あるじの院、驚きかしこまり聞え給ふ。朱雀院「世の中をかへりみすまじう思ひ侍りしかど、尚、惑ひさめ難きものは、この道の闇になむ侍りければ、おこなひも解怠して、もし後れ先立つ道の、道理のままならで別れなば、やがて、この恨みもや、かたみに残らむ、と、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものし侍る」と聞え給ふ。




前々から、このようなことと、お便りもなくて、急に、このように、お出であそばしたので、源氏は、驚いて、恐縮申し上げる。朱雀院は、俗世をかえり見はすまいと、思っていましたが、やはり、煩悩を捨てきれないのは、子を思う道の闇です。勤行もなまけて、もし、年の順で死ぬという、道理のままならなくて、別れたならば、このまま逢わずに終わった恨みが、お互いに残るだろうとの、情けなさに、世間の非難も構わない気になり、このように、やってきたのです。と、申し上げる。


posted by 天山 at 06:07| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。