2015年10月05日

打倒・韓国31

フランスの、人文地理学者である、ジャーク・ブズー=マサピュオーの著書、新朝鮮事情で、朝鮮を、植物依存文明と称して、その慢性的な食料不足と、伝統的な貧困を分析している。

朝鮮は日本の植民地政策と、組織的な経済近代化改革の影響を受けた後、再び独立の機会を得て、1000年以上の間、農民の宿命であった不安定な境遇を改善することができたのである。

上記、西洋人であるから、植民地政策と書いているが、彼の国の植民地政策は、どのようなものだったのか。
掠奪、搾取であろう。
それと、日本の政策を、植民地とは、よくぞ、言ったものだ。

欧米の植民地政策と、日本の朝鮮で行った政策は、天地の差がある。
日本は、併合し、拓殖したのである。

だが、上記、確かに、日本の政策により、農民の宿命であった、不安定な境遇を、改善する事が出来たのである。

更に、近代化への貢献として、書く。

現代の朝鮮人の目には、日本植民地時代の悪い面が、伝統と孤立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、その反面、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基礎は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったと言える。日本は、約40年ほどの間に厳しいやりかたで、自然の脅威にさらされた大きな工学設備をもたない貧しかったこの農業国家を、科学的な農業とさまざまな工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれた国へと変身させた。

フランス人だから、書ける内容である。
日本人でも、韓国人でも、こんなことは、書けないだろう。

だが、まさに、その通りなのである。

朝鮮人は、もとより、反日日本人も、日帝36年の朝鮮併合を、非難する馬鹿者が多い。
しかし、冷静に、その時代の社会的大変化の背景を見れば、その併合の時代は、朝鮮にとって、輝く時代だったのである。

ところが・・・
土地を奪った、資源を奪った、人命を奪った・・・
内容の無い、非難中傷ばかりを、韓国人は、言うのである。

自分たちでは、近代化など、遠くの話しだった。

そこで、醜い韓国人の、朴氏の、書いたものを紹介する。

日本国民は韓国の近代化をはかるにあたって、大きな犠牲を払った。
伊藤博文は統監として韓国に赴任するときに、日本興業銀行から一千万の起債を得て、そのうち五百万円を携えていった。この一千万円は無利子で韓国へ提供した。

日本は事業費のほかに、国運を賭けて戦った日露戦争の戦費の処理のために台所事情がきわめて苦しかったにもかかわらず、政府が、一般会計のなかから巨額の予算を韓国のために支出している。

韓国人が言うのである。
そして、その証拠を書き付ける。

1908年 二千七百万円 (日本の国家予算・歳入・六億二千六百万円)
1909年 三千百万円 (同・五億四千二百万円)
1910年 二千百万円 (同・五億四千八百万円)
1911年 二千五百万円 (同・五億七千四百万円)
1912年 千二百三十五万円 (同・五億八千二百万円)

この後も、日本の韓国経済は、毎年、日本の大きな持ち出しとなっている。1909年には、鉄道、道路、海運、農地整備などのために、千九百万円が投入された。日韓併合が行われた1910年には、「恩賜金」として三千万円を韓国のために、贈与として支出している。日本国民の血税が韓国の振興のために費やされたのだった。

更に、驚くべき事が、書かれている。

日本統治時代には治安もよかった。ところが今日の韓国では女性が夜、一人歩きできないようになってしまった。うら若い娘が白日に暴漢グループによって、攫われ消息を絶つとか、暴行されたうえで放り出されるといった事件がし、しばしば起こっている。私の会社でも数年前に、社長秘書の末娘の二十六歳になる女性がソウルの街頭で暴漢グループによって力づくで拉致されて、辱められるという悲惨な事件があった。

それでは、現在は、どうだろうか。
この本は、20年以上前のものだ。

現在は、もっと、凄い状況になっているだろう。
小学生でも、強姦するというのだから・・・

もし、中国の支配が続いたか、ロシアの植民地になっていたら、今日の韓国の形相は、まったく変っていたことだろう。日本の統治下に入ったことは、韓国民にとって幸運だった。

と、韓国人が言うのである。

更に、
日本は36年にわたって、植民地支配をしたという。しかし、ヨーロッパや、アメリカによる植民地統治とは、質的にまったく異なった。
日本人が韓国人を物理的に抹殺しようとした、というのは、日本の韓国統治をみるかぎりでは、まったく当っていない。

よく日本が韓国を植民地にした、といわれるが、日本の手によって日韓両国の併合が行われたのだから、正しくいえば植民地としたのではない。たしかに日韓併合によって韓国人は日本国民となったといっても、総督府の支配のもとに置かれたために、参政権を拒否されていたのをはじめ、内地の日本国民と同等な権利を享受することがなかった。韓国人にとっては有難迷惑としかいえなかったものの、日本は韓国人を日本化することをはかった。

この日本化すること、というのは、日本人と同等に扱うべき存在という意味である。
統治する側からの、傲慢さはない。

日韓併合から、二年目の1912年に、寺内総督が、大正天皇に対して、韓国統治の実績について進講した、その中で、韓国は日本の支配地域ではなく、日本の一部として、扱われていたことが分る。

朴氏は、
いったい世界の他の植民地のなかで、これほどまでに本国が社会資本の整備や、教育、医療衛生をはじめとする社会制度を充実させるために大きな投資を行った例があるものだろうか。イギリスも、フランスも、オランダ、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギー、アメリカも、そのようなことはしなかった。

韓国の王族は、日本の皇族の一員であるとして遇された。日本はソウルと台湾の台北に帝国大学を創立したが、いったいイギリスがインドにオックスフォード大学や、ケンブリッジ大学をつくっただろうか?韓国人は日本陸海軍の将兵として登用された。いったい、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国やアメリカが、インド人や、アルジェリア人やフィリピン人を本国軍の将官にしただろうか?
とのことである。

これについては、韓国人の、シンシアリー氏も書いている。






posted by 天山 at 06:54| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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