2015年10月30日

打倒・韓国39

李朝朝鮮において、事大主義が決定的になった理由は、高麗を滅ぼし、李朝を立てた、太祖・李成桂が、それまでの、尊仏崇武政策を廃止して、尊儒崇文を国是とし、朱子学を国学と定めたことからである。

高麗時代の朝鮮は、実に敬虔な仏教国であった。

ちなみに、仏教が隆盛した時代は、中国では、隋、唐時代であり、日本では、奈良、平安時代である。
また、日本に仏教として、仏像が新羅から送られたのである。

推古天皇時代、朝鮮から僧がやって来て、仏教を伝道した。

だが、中華では、仏教により、儒教が衰退した。
そこで、宋の時代のなり、儒教に変って、理気学という、新儒教が誕生した。
それが、朱熹が集大成した、朱子学である。

朱子とは、尊称である。

朱子学は、仏教が隆盛を過ぎる中華社会に定着し、元の時代になると、公認されるようになる。
そして、それが、朝鮮半島にも、流れ込むのである。

李朝朝鮮は、それをもって、国学とした。

朱子学は、三綱五倫を中核とする教養と、厳格な道徳秩序によって、支えられる。
三綱とは、君臣、父子、夫婦の道。
五倫とは、君臣の義、父子の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。

これは、国王を国父とし、王妃を国母とする、家父長的な家族主義の絶対化により、忠君愛国の、名分と秩序を唱えるものである。

これを形式的に、または「法」にかわって支えているのが、「礼」である。
黄 文雄

日本の江戸時代も、朱子学を持って、政治の主体とした時期がある。

そのため朝鮮は、「君父」、つまり中華の君を父と崇めるという忠誠心が非常に強烈となり、「大中華」への属国の礼を尽くす「小中華」「礼儀之邦」や「君子の国」として認知されるに至ったのだ。つまりそれは、朝鮮が当時の中華帝国である明王朝に臣属と忠誠を誓うことを意味している。


朱子学は、李朝の国是・国家的イデオロギーとして王権を強化し、両班官僚体制を確立するのに役立った。さらに、高麗朝からの政権簒奪の正当性を主張し、高麗朝を継承するために行われた易姓革命の正当化にも貢献している。


小中華でしかない朝鮮が、大中華に奉仕する理論付け、イデオロギーを確立するために、朱子学が、必要不可欠だったという、悲劇である。

だから、大中華に対する、「君臣の義」が絶対化された。
以来、朝鮮は、朱子学の大義名分により、大中華に対する、君臣の義を、守り続けたのである。

日本における、儒教といわれるもの、朱子学といわれるもの・・・
違いは何か。

行政担当の江戸幕府が、朱子学を主体としても、国民は、皇室、天皇を君として、仰ぎ見るのである。
将軍は、天皇に任命された一つの、職であるとの意識である。
それが、日本を救い続けている。

壬辰倭乱、秀吉による、二度の、朝鮮出兵の、丁酉倭乱の後に、それらが、明の大軍の救援のおかげであるという、大義名分ができ、それが恩義論までに、昇華された。

当時の、道学的な朱子学者たちの、正しい歴史認識となったのである。

朝鮮の宗廟と生民を蘇生させたのは、明であった。
それゆえ、朱子学者、尊明主義者は、わが国の木一株、草一株と生民の毛髪一本といえども、明の皇帝の恩恵が及ばないものはない、と主張したのである。

しかし、李氏一族の属国願望は限度を超えた。きわめて徹底的なものであった。明から国号を乞い、国王の認知を求め、生殺与奪の権をすべて宗主国に任せてしまったのだ。これまた、人類史上類例を見ない属国根性である。
黄 

だが、朱子学というものは、君臣の大義、華夷の別を強調するだけの、文化防衛の学であり、特別なものではない。
仏教用語を用いて、孔子、孟子の学を、註釈するだけである。

特に中国思想は、水平思考であり、垂直思考ではない。
私の言い方をすれば、人間世界の事のみに、始終する。
天の思相はあるが、それも、単に人間の行く先の天であり、見えない世界に関しては、全く不明である。

勿論、道教のように、死霊などを扱う所作などもあるが・・・

黄文雄氏は、
そんなものを、李朝朝鮮はあたかも宝物のように拾い集め、廃仏毀釈、尊儒崇文を国策として国教化したのだった。まるで、大国人が吐き捨てた味のないチューインガムを、朝鮮人が拾い上げ再び口に入れて、咀嚼しながら満足げにおいしいと言っているようなものだ。朱子学をいくら「大学」として扱っても、そこで主張しているのは単なる君臣の大義と衛正斥邪のみで、結局、朝鮮の自律性を妨げることにしかならなかった。
と、言う。

つまり、極限を言えば、朝鮮には、独自的な文化が無いということである。
あるのは、仏教文化と、儒教文化のみの、外来文化である。

しかし、仏教の排斥は、何代にも渡り徹底的に行われた。
その時に、仏像などを、日本へ移したものも多数ある。

その仏像を、元々は韓国のものだと、盗み、返す、返さぬで揉めたのが、対馬の仏像盗難事件である。

自分たちで捨てておいて、今度は、我が物であると、盗むという所業は、まさに、朝鮮人である。

救いようがないと言う。




posted by 天山 at 06:52| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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