2015年09月30日

玉砕73

インパール作戦は七月五日に中止ときまり、総退却となっていた。われわれ第一線の者は大局の戦況などなにひとつとして知ることもなく、みずからの肉体をもって防戦につとめていたのである。

インパール作戦が中止になっても、戦争は、終わっていないのである。
退却するが・・・
その間も、戦闘行為が続く。
退却、敗走の無常である。

歩兵の第一線は悲壮だ。軍の前に師団があり、師団の前線に連隊が、連隊の前に出る大隊、そしてそのまた前面にわれわれがいた。少数の戦友とともに、戦いにやぶれ夢も希望もすてて、かろうじて高地を確保死守しているのだ。固守の命令を忠実に実行し、戦闘をつづけている。ただ一日の生命、一時の命をたもつために、草を食べ水を飲んで、飢えをしのいでいたのだ。

ビルマ独立のため・・・
日本軍のため・・・
日本の勝利のため・・・
大義がなければ、出来ないことである。

七月に入り、犠牲は日をおって激増していった。六月三十日までの調べによれば、第三十三師団の損耗は戦死傷者約70名に達し、総人員の70パーセントにのぼった。第一線歩兵部隊のみとすれば、90パーセントを越えたであろう。
六月下旬前後に、わが部隊から独歩患者として後送された傷病者は、名ばかりの野戦病院で、道路ばたで、そして渡河のさい渦巻く濁流に流されて、全員が死亡した。

二十日にいたり、兵団をはじめ師団の撤退は急を要した。連隊の撤退にさいし、中隊長代理の広瀬義久少尉、そして、ただ一人の小隊長である山田芳枝准尉以下二十数名が、パレル支隊の後衛中隊となり、レータン西方高地とテグノバール付近の高地死守を命じられた。そしてパレル・タム本道正面により防戦することになった。

撤退、敗走しつつも、戦うのである。
戦争は、終わっていない。
兵士たちは、絶望感の中で、戦う。

そのころ、われわれは山麓の谷間で、友軍のおきざりにした小銃弾二箱を見つけ、狂喜した。・・・

連隊本部が襲撃された直後、中隊からも連絡係下士官が本部にいっていたが、わが陣地下の本道を当番兵と二人でいちもくさんに退却してきた。
山田准尉が呼びとめたが止まりそうもないので、われわれも遠ざかる後ろ姿に、
「曹長殿、曹長殿!」と大声で叫んだが、振り返ることもなく走り去った。やかで准尉は静かな声で、
「もういいから」と隊員たちをとめた。
曹長のように走り去って行くのも、我が身をまもり、命ながらえる一つの方法かもしれないが、残って陣地に散る覚悟のわれわれは、兵の長たる曹長の行動を情けなくあわれに思った。

生きながらえるために、逃げる。
誰が、それを責められようか・・・

敵と対峙すれば、戦う。それが、戦争である。
敵を倒さなければ、こちらが倒されるのである。

中隊員二十名は、本道を一望する小高い山すその岩盤に、不眠不休で濠を掘りつづけた。器具も不足で、円匙と十字鍬を交換しながら、やっと腰の深さになったころ、すでに朝を迎えていた。

やがて山間にこだまするエンジンの音がちかづいてきた。いよいよ戦車かとわれわれは緊張し、赤く充血した目は異様なほどに光った。ここには手榴弾があるだけで、火炎瓶もない。手榴弾を持って飛び降りるには、あまりにも高い絶壁であった。
敵のエンジン音は五、六百メートル前方の山の後ろでとまった。われわれは身を隠し、息をころして待った。すると前方の山すその道路を敵は突兵もださず、いきなり五十名の小隊が二列になって向って来た。さらに百メートルの間隔をおき、五十名が同じく二列になって進んでくる。

斥候も突兵もださないという、あまりにもわれわれをバカにした隊形に、しめたっ、と思ったのは自分だけではなかった。山田准尉は落ちついた声で、
「引きつけろ、分隊長の合図で射撃だぞ」
と命令した。後続の五十名が百メートルの射程に入るまでがまんした。さきに前進した五十名は、われわれの高地真下にちかづいた。

ついに、一発の合図と同時に、われわれは満を持した射撃を開始した。撃って撃って撃ちまくるが、右往左往する敵の目標がありすぎる。小銃の五発ごとの弾込めがもどかしく感じるほどだ。ダダダダン、と軽機もけたたましく唸り声をあげている。

激しい攻撃が、続くさまが、描かれている。
戦闘行為である。
兵士は、戦闘行為のために、存在する。

しかし、敵は、見ず知らずの人間である。
戦争とは、実に恐ろしい。

「戦友隊員の仇討ちだ、いままでの、いままでの・・・思い知ったか」
味方有利のおもわぬ情勢に、うれし涙が出そうだ。山を登る敵を狙い撃つ。下に着弾すると上に逃げ、上に弾着すると下にとび下りる。どいつもこいつも背中丸出しで、演習の標的のように命中した。

兵士は、その戦闘行為の中で、死ぬことを善しとする。
多くの戦記を読むと、それが分る。

しかし、餓死、病死となると・・・
不幸なのである。

更に、日本軍の場合は、捕虜になることも、恥ずかしいことだった。
生き延びることは、タブーである。

だが、その人たちのお陰で、戦争の悲惨さを知ることが出来るのだ。
死んで来いと、送られて・・・
お国のためと、送られて・・・

斬り込み隊、特攻隊・・・
皆々、お国のために、そして、名誉のために死ぬ。

しかし、戦争を美化するのではない。
その死に行く際の、心の模様を、後々、特攻隊の遺書から読み取る。







posted by 天山 at 06:53| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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