2015年09月23日

打倒・韓国29

朝鮮農民は、日本人の農民により、大きく啓発された。

以下、黄文雄氏を、引用する。

日本農民が老若男女の差なく家族ぐるみで農事に従事し、厳冬には室内作業やその他の副業に励むといった堅実さと計画性は非常な驚異であったのだ。

この日本農民の自力更生に燃える生活意識と勤勉さ、農民気質は、しだいに朝鮮農民たちを触発し、朝鮮の農村に新風を吹き込んでいった。従来は野外で労働する習慣がなく、他人に顔を見られることを恥として屋内に閉じこもっていた女性までもが、少しずつ畑仕事をするようになったのだった。

こうして朝鮮に広まった日本農民の集約的農法は、自らの資産を増やしていくと同時に、その地域をも潤していった。日常必需品は急増し、地方経済はいっそう刺激され、市場経済は賑わった。さらには僻地にまで組合や学校がつくられ、医療施設も普及した。道路や橋が整備されたことによって、流通や運搬も盛んになったのである。

と、いうことだ。
それでも、韓国人は、ウソを言う。

日本の農民たちが、土地を収奪、搾取した・・・

日本農民は、朝鮮農業の近代化だけではなく、朝鮮市民社会の熟成に多大な貢献をしたのである。

醜い韓国人の、朴氏も、医療衛生の確立は忘れられない、として、以下のように書いている。

日本統治時代に入ってから、医療衛生制度も確立された。日本が韓国を統治したあいだの輝かしい成果の一つが、病幕の設置だった。
日本統治時代に入ったころでも、腸チフス、発疹チフス、赤痢、コレラ、痘瘡が猛威を振るったために、しばしば住民の一割ぐらいが病死した。それまでは予防医学の知識がまったくなかったので、伝染病による死者がでると、その家の井戸の上に筵をかけたうえで、厠を焼き払った。厠は家の外につくられていた。

日本統治時代が始まると、村単位にそれぞれの村から離れたところに、伝染病者を隔離する病幕をつくった。多くの場合は、そのような場所にあった貧しい家を買って、改装したものだった。

つまり、それは、画期的な伝染病予防対策だった。

しかし、韓国では、儒教思想のために、家で死ぬことを、理想にしていた。
家の外で死ぬことを、客死と呼び、惨めな死とみなしたという。
そこで、父母、兄弟が、病幕で死ぬことがあると、日本人が、自宅で死ぬ権利を奪ったとして、憤慨することも、多々あったという。

知らぬということの、恐ろしさである。

しかし、病幕と国立、あるいは道立病院がつぎつぎと建てられるようになると、患者が隔離病棟に収容されるようになったので、伝染病は姿を消すようになった。私たちの村では病幕が小学五年生になったときまであった。


農村では人糞が肥料として多用されていたので、大人も子どもも寄生虫によって悩まされた。そこで小学生や、中学生はワカメ汁のような水溶性の駆虫薬を年に二回、強制的に飲まされた。しかし、興南窒素工場製のアンモニア系化学肥料が配られるようになって、人糞肥料の比率が減っていった。


と、いうことで、日本が行ったこと、実に、近代化である。
そのままであったら・・・
韓国は、今も、第三国程度だった。

こうして、取り上げて行くと、日本統治時代が、いかに、優れていたかである。
搾取、強奪・・・
全くそのようなものではない。
与えて、与えた、統治だったのである。

さて、日本統治の、36年間に行われた、農業改革は、朝鮮半島の人口と穀物を倍増させた。

朝鮮総督府は、米を収奪するどころか、農政改革、農地改良の一環として、奨励金を出し、逆さや制度まで設けて、その質と、量を安定させた。
結果、史上空前の米生産量倍増という、偉業を成し遂げ、人口まで、倍増させたのである。

もし、これが、朝鮮人だけであれば、出来ることだったのか・・・
無理だろう。
その方法も、何もある訳が無い。

従来の朝鮮半島は、米作は、五年に二作、あるいは、三年に一作というのが、一般的である。
1905年、農業生産力の高い半島南部でも、反あたりの平均収穫量は、九斗のみで、日本の反あたりの、平均収穫量一石六斗の、半分である。

朝鮮総督府当初、1910年は、約一千万石前後であった、米穀収穫量が、18年後の、1928年、昭和3年には、1700万石になり、1933年には、1900万石と急伸した。

半島の米産は、史上一度も、1000万石を超えることがなかった。
しかし、日本の指導により、20年後の1930年代に入ると、常に、2000万石を突破したのである。

更に、1926年、大正15年時点では、大豆と雑穀の生産も、併合前の、六割も増したのである。

どこが、収奪なのか・・・
どこが、掠奪なのか・・・

明治以降、日本の人口が急増し、食料不足に陥ったことは確かである。毎年300~500万石の米を輸入する必要にせまられ、そのうえ米価の急上昇が生じてしまったため、1918年大正7年、には米騒動が起こったほどである。日本にとって食料問題の解決はまさに焦眉の急務であり、朝鮮産米増殖計画は国策となった。

だからといって、朝鮮半島の米増殖計画は日本のためで朝鮮のためではない、という指摘は正しい歴史認識ではない。これは日本だけのためでも朝鮮だけのためでもなく、当時の植民地の理想としての「人類の境遇拡張」「地球人化」のためであった。日本人はそんなケチで狭い了見ではない。
黄 文雄

正しい歴史認識・・・
韓国人は、とても、その言葉が好きなようで・・・
ところが、その正しい歴史認識を持てずにいるという、不幸である。




posted by 天山 at 06:18| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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